粉体の物理の目指すもの


早川尚男 (京都大学大学院人間・環境学研究科)


(人環フォーラム:サイエンティストの眼(印刷中))
小学生のときに一つ上の従兄に勧められて中谷宇吉郎 の「科学の方法」を読む機会があった。 都会の早熟な従兄はこんな本まで読むのかと驚きつつ手に 取ったが、内容は子供の私にも十分刺激的であった。 特に「現在の様に 科学技術が発展しても東京タワーの上から 落ちる紙きれの運動を予測できない」、という記述から当時の科学が 解決できない大きな問題を垣間見ることができた。

長じるに及んで、中谷の記述を実証する機会があった。 粘性流体の中で沈降する不等間隔の3つの 小さな球の動きを数値的に追ったのであるが、その複雑さは魅惑的ですらあった。 この問題は流体を介して長距離相互作用を する三体問題の一つである。 こうした三体問題の難しさは昔から天文学では認識されており、 彼の文豪トルストイもその小説「復活」の中で 作中人物に尋ねさせている程である。100年以上の歳月を経て、我々は こうした問題は本質的に解けない問題であることを知るに至った。 つまり初期条件のわずかな違いが時間と共に急激に増大するのである。 中谷は20世紀前半のミクロレベルでの 物理学の革命を横目で見やりながら日常のありふれた 現象を物理学を用いて記述する難しさとそれ故の面白さを痛感していたのに 違いない。

このように諸般の物理現象に対して現在の物理学はあまりにも無力である。 上の3体問題の例は基礎方程式が分かっても問題の解決には繋がらない という事を示している。まして自由度が増えるとますます問題が難しくなり 基礎方程式から積み上げる手法では手が出ない。 ところが自由度が極端に増えると逆に簡略化した記述が可能になる。 この事を徹底的に利用したのが統計力学であり、 今世紀初頭のその完成によって我々は多体問題を抵抗なく物理学の 問題とみなすことができるようになったのである。 その後、気体分子の運動論を論じる方程式 から流体の方程式をある種の仮定の下に統計力学に基づき導くことが 出来て、20世紀風の誤解、即ち、ミクロな基礎方程式があれば 世界は理解できるというものが蔓延していく様になった。中谷の本は ちょうどこの頃執筆されている。

しかしこうした考え方はちょっと考えればおかしいことが分かる。 そもそも人間が知覚できるのはマクロな現象であり、それに応じて 流体力学や熱力学の方が先に定式化されている。そこでは原子の存在は不要であった。 一方、熱力学と一見矛盾するような現象が現れたときに、それを救うために 原子の存在が必然となり、 量子論が生まれた。つまり歴史的にはむしろマクロなものがミクロなものの 基礎になっているのである。一方で気体から流体の関係はともかく、液体から 流体の関係を論じる場合にもその相互の関係が明らかになっている訳ではない。 しかし19世紀から知られる流体の運動を論じる方程式は通常の流体では様々な テストから誤差が検出不能な程の精度を持つことが知られている。 ではどこから流体力学が成立しているのかという問いには今の処誰も 答えることができない。例えば気体(流体)中で2つの滑らかな粒子が衝突する 理由は今の科学では答える事ができない。つまり現在の科学は既に設定された 階層の中での記述はかなり発達しているが、 その階層間の関係ではよく分かっていないことが多々ある。

このように階層間の不分離があると現在の科学は効力が失う場合がある。 日常生活でもありふれた物質でありながら、階層の不分離の問題が顕著に現れ る例が粉体に見られる。 粉体とは内部摩擦を含むある程度大きな粒子の集団と定義しておこう。 奇しくも粉体は中谷の師である寺田寅彦や 電磁気学の建設の中で主要な役割を果たしたファラデーに 取り上げられていた。 しかしその後、その取り扱いの難しさ故に 物理学としての研究は闇に潜ってしまった。 何が粉体の物理で難しいかと云えば、 まず粒子の数が統計力学を使うには中途半端に少なく、また粒子の個性が 残っているという面で流体力学とは馴染まないと云った具合に まさしく階層が不分離であるという点が挙げられる。また粉体では そもそも固体、液体、気体といった相の概念も適用できない物体である。 図1 のマスタードの種の流れを見て頂くと、固体の様に整然と並んでいる 粒子と表層を勢い良く流れている粒子が共存している。 そもそも流動していない粒子を含む流れを記述する流体力学の枠組はない。 また、流れている粒子だけに着目してもその 領域の最下層の粒子もかなりの速度で滑落しており、通常の流体力学で要求される 境界条件は満たされないことになる。 また図2 に示す様な重力の影響がない場合に稀薄な気体の状態から出発しても 衝突によってみるみるクラスター化して固体的な領域が析出してくる。 この様に物質の三態という概念が必ずしも粉体には適用できないことが分かる。

粉体を記述する力学モデルは存在する。しかしそのモデルには 多くの仮定とパラメータが含まれている。そのうちの一つとして 高校の物理で習う はねかえり係数が含まれるが、それすらその起源ははっきりせず、 一義的に定義可能かどうかも保証されていない。このことから分かる通り 力学モデルの位置付けも曖昧なままなのである。 一方でパラメータを適当に設定すると 上に示した現象の多くは再現できることが知られる様になった。 しかし既に述べた通り、そのマクロな現象を包括的に 記述する枠組はまるで存在しない。

粉体が広範な応用を持つことは言うまでもない。コピーのトナー、薬、 焼却炉の中の粒子の運動、コンクリートミキサーの中の粒子の運動、 雪崩、地震における地盤の流動、砂丘や河川による地形、 交通流等世の中は粉体だらけと 言ってもよく、その研究は少なくとも人間とも環境とも深く関わっている。 従来、粉体は各分野で制御という立場から工学的に研究されてきたが、今後は 現象の相互の関係やモデルの基礎付け、マクロな現象の記述法の開発等、総体的に 環境問題と絡めて 捉え直す必要がある。 現在、筆者は文字通り 泥沼(粉体と水の混相系)に足を取られて身動きが取れなくなった 様に思えるが、この状態を中谷の本を勧めた従兄はどう思うだろうか。


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