日記 (1月)


1月〜3月の主な予定

  1. 1/8: 授業開始(3)、航空チケット:4:30 編入試験の会議->終了
  2. 1/9: 授業(2),セミナー, 4:30 会議->終了
  3. 1/10: 物性研究編集会議(12:00)->終了
  4. 1/15: 試験(1コマ)->終了
  5. 1/16: 試験(1,2コマ)
  6. 1/17-20 韓国 (two invited lectures)
  7. 1/22-24 理研-> 5月に変更
  8. 2/3-3/16 アメリカ(Cornell, Lehigh)
  9. 3/24-27 学会(シンポジウム講演)
  10. 4/12 夏の学校テキスト
  11. 応用数理の原稿(〆切:年末)->一応終了
  12. 全然終らない本1(〆切はとっくにすぎた)
  13. 全然終らない本2(〆切はとっくにすぎた)

1/31:

Daniel Hongからメール。病院からでずっと入院していたそうだ。正月に奥さん からメールが来たのでそうではないかと思っていた。これでLehighで研究する ことはなくなった。seminar位には行くかもしれないが。

集中できず砂山の矛盾は解決せず。幾つか試してみたが接続がうまくいかない のは1年前と同じ。間に合わないな。

航空券購入。後は行くだけか。今晩金君の論文は投稿されるだろう。


1/30:

TCを作る。昔のアメリカの銀行の口座をCiti bankに移して円立てに変えたら昨今の 円安でドルに戻すのがバカバカしくなった。という訳で円高を待ってCiti bankの 主要部は凍結。代わりにTCと多少の現金とクレジットカードでしのごう。もうちょっと 滞在が頻繁だったらアメリカの銀行は維持したのだが...

砂山は解けているのだがまた例によって外側と内側の接続が不具合。確かに内と 外で異質な計算をしているのだが極限応力状態の素直な離散バージョンをやって いるのでうまくいってもいい筈。 外がなければこれでいいという話もあるがそうすると摩擦係数を決める根拠がなく なる。一般形は面倒だから扱いたくない。


1/29:

砂山の問題。一つ解けたのはHong's modelで不純物が軽い場合。直線的に重量が 伝播するのでそのままdipになる。これではつまらない。また金曜のアイデアは どうも無理があることが判明。一方摩擦を入れたモデルで不純物との接触では 摩擦係数が異なるとするとそこで応力線がうまくsplitすることが分かった。格子 領域の外側(そこを極限応力状態とする)まで考えると格子を組む必要条件として 摩擦係数が一意に決まり計算が劇的に簡単になる。解析解もそんなにややこしくない 形をしていると期待できる。とりあえずこれを計算してアメリカに持って行こう。


1/28:

うまくいきそうでうまくいかないのは砂山の常かな。

受験志望の学生が来る。


1/27:

金曜のアイデアでいけそうだが抗力が負になって変だ。

ビデオで「スターリングラード」を視る。期待していたがいつの間にかスナイパー (とメロドラマ)の話になっていた。映像は過激だが舞台をそこに設定する必然性が ない。「戦争と平和」とか「ひまわり」みたいな作品を期待する方が間違いか。


1/26:

図書館で本を借りその日のうちに4冊読む。駄本ばかりだった。そもそも家で 仕事をするつもりだったが金君が呼び出しをかけたので学校に行く羽目になり 予定が狂った。最近の彼は更に1時間後ろに時間帯がずれて図書館とかに行く のは困難な時間に規則正しく登校してくる。


1/25:

うーん。解けるには解けるが面倒臭い。それより問題は不純物をどういれて いいか今一歩分からない。摩擦係数を一定にしたらIFE(極限応力状態のモデル) そのものだから解くまでもない。 つまり物理的描像が希薄なんだな。折角force chain splittingがキーだということが 認識されつつあるのだからそれを入れない手はない。ということで方針を変更して Hongのモデルにsplitting vertexをいれることにした。その応答関数から物理は 見えるしdipも出るだろう。


1/24:

Hongの解析には摩擦が入っていないし何故か正方格子なのでそれを変更。可解なのは 変わらないがちょっと面倒。帰ってから仕上げよう。摩擦を入れておけばホールや 不純物があっても矛盾はないようである。どうも集中できていない。渡米前に砂山 の問題を仕上げてしまいたい。

金君の原稿は峠を越えたようである。この分だと渡米前に投稿できるだろう。式が 100を越えている大変な労作で、Burnettが67年前にやった計算を拡張している。 問題は「どこでもドア」の計算になっている部分だと思う。


1/23:

砂山。2000年の年末にやって没にした解析を思い出す。というよりもHongが同じことを 昔やっていたことを発見して論文を読む。あれ、このままだとホールが入らないぞ。 どうやっていれたのか思い出せない。

田崎さんの一昨日の日記。理論家でその意見に反対する人はいないのでは? それどころか40過ぎると理論の論文なぞ書けなくなるのがちょっと前までは 普通であった。有名な話では朝永さんが学長をお辞めになった際に弟子たちが 研究に復帰させようとセミナーを催したときに彼は淋しそうに途中退席した。 プロの研究者として復帰できないことを悟っていたからである。彼の論文は 最後までqualityが高いが驚く程早く論文を書くのを辞めている。

では量産体制に入る人はどうしているのか。殆んどは外的要因に依ると思われる。 まず考えられるのは競争の唯中にいる場合である。田崎さんが批判するような 指導的地位にある研究者はある程度国際的にも認知されており、 当然競争も激しい。また論文一本で 完全解決ということはまずないのでいきおい途中経過の論文を多数生産して相互理解 を深めつつ研究の前線を進めることになる。ホットな研究の最前線は研究者間の 注目も高く、大抵の場合は物理としても重要なテーマである。その場で競争を 強いられている研究者は個々の論文の質を高めている余裕がないと思われる。

上の様な量産は質的な進歩をもたらすのでいずれreviewや教科書によって補われ るので問題はないと思う。(無論、早い流れの中で進行している研究だからノイズ を落す必要があるし、流れが去った後何も残らない危険性も勿論ある。)もっと深刻 なのは最近増えて来た予算獲得や消化、外部評価等に応えるためにeasy goingな 研究をせざるを得なくなった場合である。無論、学生やPDFも多いのでそれらに テーマを行き渡らせるとそれだけ密度が薄くなるということである。従って 金が自由に扱える様になるとそれだけqualityが下がって論文数が増えるということが (理論では)ままある。ボスになると雑用が増えて論文出版への圧力(予算や 学生に問題だけではなく国際会議への招聘もその圧力になる)が高まるのでいきおい 高打率量産体制に入るのであろう。まして政府はそういった研究を奨励しているので 録でもない論文が大量に生産される。

無論、田崎さんの様に振舞えれば恰好はいい訳だが殆んどの研究者はそこまで ダンディズムを追求できる能力がない。学生を取らないで研究費を獲得しない 事が必要条件である。大抵はそういう環境下では研究は出来ず雑用の海に溺れていく。 また論文数が減ると次にqualityを要求され るのでますます論文が書けなくなるという悪循環に陥る場合が多い。だから凡人は 自分の納得のいく研究内容を選択したらそこで最大限の努力をして論文を書くという 作業はできるだけ継続すべきであろう。(ダンディズムの理想はDiracやde Broglie なのであろう。だがスノビズムの香りもする)。

実は統計力学(特に非平衡)の分野で量産をしている人は少ないし、 出来る人は質も高かったりする。 川崎、(田崎さんは異論があるかもしれないが)鈴木増雄とかは論文数は半端ではない。 人事でよく問題になるのは統計力学の人の論文の少なさである。決して少ないことは 自慢にはならないと思う。以上、量産はできないモードに入りつつある1研究者の コメントです。論文書けねー!


1/22:

Plippe Claudinの論文を読むとやっぱり切れるなあと思わざるを得ない。しかし まだ決定的ではないので砂山も論文にする方向でもうちょっと考えてみる。

夏の学校の要旨を書けということなので 青空文庫から一握の砂を拾って来る。 それで送ったのが以下の文章。


いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ
(石川啄木「一握の砂」より)

啄木の歌を詠むまでもなく砂には儚きイメージがつきまとう。一方で安部公房 の「砂の女」を読む迄もなく砂は制御しにくく何時の間にか人間を呑み込んで いく。

砂の研究が雅なものであるのは先駆者の一人に寺田寅彦がいた事からも想像できよう。 しかしながら制御の重要性故に砂の研究は雅を忘れて不粋な工学的なものとなって しまった。

物理学が雅な側面を持つのは耽美的物理学が存在することからも明らかであろう。 10年程前から物理学の立場から砂-あるいはより一般的に粉体-の研究が盛んに なってきたのはより研究者の遊び心をくすぐる存在であることを認識したから であろう。

本講義ではここ10年程の粉体研究の成果と問題点をまとめて更にごく最近の動向を 紹介しようというものである[1]。講義内容として以下のものを予定している。 (以下略)


1/21:

疲れが残っているのか非生産的な一日。一番の仕事は金君の原稿を読み、コメントを したこと。だいぶ長くなって来たのでコメントをするだけで4時間もかかってし まった。


1/20:

朝、宿からバスセンターまで普通のバスに乗り、バスセンターから金海空港(釜山) まで高速バスに乗って帰路に着く。実は浦項から直接空港まで行くのは一般的でなく 英語も(日本語も)通じないので切符を買うのに苦労した。バスに乗り込むと慶州迄 2人の乗客で、もう一人も慶州で下りてしまった。一方慶州からかなり沢山の乗客 が乗り込む。

空港で2時間程待って飛行機に乗り、京都の自宅に3時半過ぎに着く。大体8時間の 旅だ。

さすがに疲れたので「真剣師小池重明」を読んだ位で何もしなかった。


1/19:

朝1に2nd talk. 極性流体の話。話し慣れている話題なのでさすがに混乱は なかったが受けなかったなあ。ついでClaudinの2nd talk。最近(cond-mat/0201242) の仕事の紹介。うかうかしている間に砂山の問題にはかなり質的な進展がある。 その次のMoonの話はSwinney,Swift等が率いるTexas-Austinの振動実験、 シミュレーションの解析であった(PRE65, 011301)。 エンターティメントとして、すごい、面白いと 言うしかない。これで学位がまだというのだから嫌になる。 午後はS.Leeの有効Hamilotonianを使ったlattice modelで粉体もどきの現象が 出て来るという話。この手の話はあってもいい。ただPhase orderingを議論するなら (どうせ粉体と関係ないのだから)格子モデルよりTDGLを使って欲しいと思った。 最後はホストであるJysoo Leeの話だったがつまらなかった。

Moonの話やClaudinの話を聴くと個人でできることはしれているような気がして ならない。(分野が成熟期にある事の裏返しであるが)Franceやアメリカの強力な グループが大勢の協力体制の下で着々と成果を挙げるのを見ると太刀打ちできない。

Workshop全般についての感想は思ったより講演レベルが高く楽しめた。しかし東洋的 謙譲のせいか議論はそれほど盛り上がったという感じではない。座長もあっさりと 議論を打ち切っていたし、休憩のときの議論もそれほどあった訳ではない。僕も 折角Claudinと同居していたのに物理の話よりも当たり障りのない話ばかりしていた 気がしてもったいなかった。

その後、皆いなくなったので大学の食堂で夕食を食べGuest Houseへ。NHKの 衛星放送が映るのを発見して裸足でテレビを見ていたら足の裏が火傷をしたよう になった。(韓国ではオンドル由来の床暖房が完備している)。


1/18:

APCTPはPOSTECHという大学の建物の一部(Science Bld, No.4の1階の1部) を間借りしている。 POSTECHは新しい大学で何もかもがアメリカ風。きれいで広い (ちなみに近所の人が大学の食堂や売店に大挙して押し寄せていた。)

午前はfreeなので1室とコンピューターをあてがわれて砂山の計算等を思いだし ながらやってみたりした。(当然できない)。

Workshop on Granular MediaはScience Bld No.3で行なわれた。トップバッター は僕だった。小さい研究集会にしろOpening talkをするのは初めて。結果は OHPを用意しすぎて失敗。reviewのさわりしかできなかったし、OHPが無秩序化して 言葉も滑らかに出ず、 悲惨だった。Claudinのtalkは知っていることばかり。YuのThree experiments on granular systemsは面白かった。特に2つめの話は衝突の解析で音波放射のみで 解析してHertzian theoryよりいいことを示していた。前に考えて捨てたアイデア だが再考の要があるかもしれない。彼は水崎さんとつきあいがあり、夏に京都に 来ると言っていた。

Workshopの後、会食。Claudinは時差惚けのため欠席。地元の人がいないせいか 道に迷ってものすごい田舎の方にある店に到着。韓国風の懐石料理?を8人で楽しむ。 料理はおいしかったが、Claudinがいないせいか、なめられたのか途中から韓国語 の会話になってfrustrationがたまる。


1/17:

朝5時に起床。5時52分の地下鉄に乗ったが乗客が多いので驚く。 空港のセキュリティーチェックがきつくなっているかと思ったがそうでもない。 飛行機は搭乗前の無駄な時間がどうも好きになれない。

釜山にはすぐ着く。バスから眺めた釜山の町並みは新しい高層ビルが整然と 並んでいるのが印象的。どうも皆アパートらしい。ここ30年で人口が倍になったし、 山が迫っているから高層アパートを量産しているのであろう。 バスを慶州で下りて、仏國寺 と石窟庵に行く。どちらも素晴らしいが規模の点で物足りない面もある。韓国の 建築の彩色が鮮やかな点は日本との対比をなす。

慶州から浦項まではローカルバス。浦項のバスターミナルからタクシーでゲスト ハウスに向かうが普通のアパートが並ぶばかりでその管理事務所はない。焦って organizerに連絡し場所を教えて貰って無事到着。部屋には既にClaudinが前日から 到着していた。普通のアパート(3beds room, 15Fにある)を彼とshareする形になっている。

程無くJysoo Leeから電話があり彼と韓国人2人とClaudinの5人で夕食。夕食後 喫茶。Jysooは在外経験が長いせいかよく喋る。時として会話に取り残される場合 もまだある。またこっちの説明が下手な場合もある。


1/16:

試験。1コマ目と2コマ目で問題が違うので出来が微妙に違う。線引きをどこに するか。


1/15:

物理学概論Bの試験。授業に出ていた学生は大体出来ている。課題演習は中途半端 な終わり方。学生の方が今後もシミュレーションコードを完成するまでやると言って くれたのは頼もしい。


1/14:

とりあえず韓国用のOHPを作る。枚数が多すぎる。焦点が絞れていない。量が多いので 重い。


1/13:

(成人の日に寄せて)

河原町荒神口にあったシアンクレールは 「二十歳の原点」の高野悦子の愛用の店としてよく知られていた。 1階はクラシックを聴かせ、2階はジャズを聴かせる店だった。「原点」ではよく 2階に行っていた記述が多々あるが、ピアニストのケンプを愛し詩を書く彼女が1階を 利用しない筈がなかったであろう。 僕は学部時代にわざわざシアンクレールに行ってみたことがある。が 落ち着かなかったためにコーヒーを飲んで早々に退散した。

シアンクレールはかなり前に閉鎖していたが建物は長い間残っていた。 角地とは言え小さな1軒分の土地では利用価値がなかったのであろう。 先日そこの前を偶然通ると小さな駐車場になっていた。

高野悦子の「原点」は死に向かうにつれ透撤した美しい詩篇へと転化していく。 最後の「旅に出よう」という詩はまさに絶品であり、読後は音が死に絶えた 静寂感に打たれる。彼女が死を選んだことは時代背景を無視できないが文学作品と しても非常に優れたものとなっている。

上野千鶴子が「学園紛争は我々にとって戦争であった」と語り本当の戦中派の顰蹙 を買ったことがある。確かに戦争と呼ぶには甘すぎる状況だったかもしれないが、 その時代を賢明に生きた当人たちにとっては戦争と同化して見ることは可能である。 そこで挫折して死を選んだ高野悦子は痛々しい。

実際の戦争に挫折感を抱き自殺した男として原口統三がいる。彼の残した 「二十歳のエチュード」は完成度では高野悦子の「原点」を上回る。しかし 一高の伝説的な秀才であった原口のエチュードはややもすれば衒った文章と 読めなくはない。実際、彼は死を予告し、子分格の友人に自殺前に追悼文を 書かせている。

高田恵理子の「文学部をめぐる病」を読む。そこで主に2流の文学者の悲哀 が語られている。言うまでもなく文学者は文学作品の解釈と普及に終始して おり作品を書き残すことができる文士に比べて劣るという事である。(本の中で は高橋健二等ドイツ文学者の戦争協力という問題をも扱っている。池田浩士が 授業中に高橋の戦争協力について言及していたことを思い出す。) 特に中野孝次の「真夜中の手紙」を紹介し(仏文の)橋本一明が秀才でありながら作品 を残せず忘れられて行く悲哀を描いている。橋本は「二十歳のエチュード」で 原口の弟分としてエチュードの演出に一役買っている。 無論、橋本が書いたものを僕は読んだことがない。教養というものが 旧制高校で称賛され、少なくともドイツ文学界では揶揄されるべきものである という事の理由がよく分かる好著であった。

立花隆の「東大生は馬鹿になったか」も読む。彼の教養主義はそれほど目新しい ものではない。本棚にも20年位前に買った本にも ほぼ同趣旨のものがある。しかし教養主義が戦前、戦中にどういう役割を果たして きたかという事を考え、高田の本や「大学という病」に記載されていた教養主義の 権化である河合栄治郎の人となりを考えると立花の一方的な教養称賛はナイーブ すぎるのであろう。


1/12:

構想まとまらず。

将棋で子供に負ける。


1/11:

応用数理学会の原稿を出す。静電気学会の原稿を修正して出す。物理学会の予稿を 書いて出す。意味のないことばっかりやっている気もするな。

韓国の方の構想をそろそろ考えないといけない。


1/10:

宿の方は予約してもらった。中途半端な期間だからguest houseが安心。便利な所に あるらしい。

韓国の方も Workshop のプログラムと宿泊の案内が来る。Openingともう一つ講演がある。気分的には もうちょっと盛り上がらないが。釜山、慶州経由で浦項に入り、慶州でバスを 乗り換えないといけないので17日は少しそこで観光をする予定。

応用数理学会は面倒なので内容の手直しをしてformatとか量の問題には目をつぶって 送ることにした。この作業にはあまり時間がかからなかった。

昨晩再投稿が完了した。今日は プレプリントの入れ換えが完了した様だ。

それやこれやで非生産的な日であった。


1/9:

宿の方は何とかなりそうだ。稲垣さんとMaureenに感謝。

統計物理の最終回は強引にBoltzmann方程式とH定理をやるがちょっと無理がある。

セミナー。経済ネタ。出席者多し。割と面白かった。景気変動と所得のべきの指数 が一見して分かるのは面白いが、それだけに数理の対象となるかは疑問。そこを 数量化できたら面白い。

会議。面倒な仕事がまた増える。


1/8:

文系物理の最終回。なんか盛り上がらない終わり方だった。

課題演習。メディアセンターがシステムの入れ換えをしたので使えなくなった。 いい加減にして欲しい。

Visaは昔は個人で領事館に行って即刻発行してくれたので簡単に取得できると 思っていたらどうも最近は面倒な様だ。昔発行してくれた福岡では扱っていない だけでなくテロの影響で当分は個人で申請取得はできないことになっている。業者 に任せる訳だがその業者がまた他の業者に任せるので2倍の手間賃と時間を取られる。 時代に逆行していると感じるのは僕だけだろうか?

また業者もあてにならない。そこに韓国行きのチケットを頼んだにも拘らず、24日 にパスポートを返すと言って去って行った。その場で気づかない僕も間抜けであった。 その後、連絡してパスポートを取り返す。

御手洗さんの改訂原稿のチェック。

僕の原稿は規定量を大幅超過している様なのでげんなりした。もう書くのをやめよ うか。与えられた量が極端に少ないから意味のあることは何も書けない。


1/7:

朝から免許センターに行って免許の更新と国際免許の発行。帰りに完全全自動の ガソリンスタンドで給油。アメリカのよりわかりにくい。銀行の手続きを済ませて から学校へ。学校では試験監督の交代と試験問題の提出を済ませてから解説の初稿を 書き上げる。

物理学会誌の南部さんの記事は面白かった。学生の頃は老人の記事ばかり載せるな と当時の編集委員に言った記憶があるがああいったものが一番面白く読めるのは 歳のせいか、物理に質的な進展がないせいか。


1/6: 学校に来る。暖房は直っていた。解説の骨組みはできた。
1/5: 暖房が直っていないと考えられるので在宅勤務。午前は年末にやっていた計算の 手直し。はかばかしくない。午後は年末〆切の解説(応用数理)を書き始める。 構想は固まった。後、試験問題の作成。

Noriに22日に用事が入った事を連絡(後で勘違いだったことが判明)。彼の来日も遅れる ので理研へ行くのを5月に変更する。助かった。


1/4: 蒲郡から京都へ移動。名古屋まで混む。大垣と米原の間は雪国のようだった。
1/3: 大雪だった。パズルは95%の完成で蒲郡近郊のホテルに行く。名鉄のローカル線 は悲惨だな。
1/2: 特筆することはない。晩からNew Yorkの写真(WTCあり)のジグソーパズルを 始める。
1/1: 下鴨神社と妻の実家に挨拶に行ってから名古屋に移動。雪はなかった。