高橋の世界最高記録に寄せて:

高橋が98年の名古屋マラソンで 日本最高を出した時には一般の人の注目をさほど集める事はなかったと思う。 というのはそれまでの朝比奈の日本記録を僅か数秒破ったに過ぎず、92年から40秒 余りしか記録が伸びていないという沈滞感の方が強かった。しかしその折、 専門家は高橋の後半の脅威的なペースアップ(多分後半のハーフで1時間10分前後) に驚き、或は従来のランナーとは別次元の潜在能力を持つ事に気がついていた。 その年の暮れに好調の高橋はアジア大会で或は日本記録を更新するのではないか という下馬評もあった。しかし灼熱のバンコクでそれが可能な筈がないというのが 僕の下した常識的な判断であった。しかしそこで 高橋は独走ながら彼女自身が持っていた従来の日本最高を4分以上 短縮するという信じられないレースを行ない、一挙に世界最強のランナーの一人と 目されるようになった。その後の活躍は言う迄もないことである。

日本記録の変遷を見ると最初の記録は79年の村本みのるということになりその記録が 2時間52分台であった。まさに隔世の感がある。実際にはその年の別大 マラソンで鬼太鼓座の小幡が2.48.52で走っていた。しかしベルリンの高橋同様に男女 混合レースでかつガードランナーがいたので公認されなかったという経緯がある。 小幡の記録を破ったのは瀬古のコーチであった中村の指導を受け始めた佐々木であり 81年のボストンで2.40.56で走っている。この記録更新はマラソンが市民ランナーの 楽しみから系統的なコーチを受けた競技者によるレースに変わった事を意味した。 佐々木は中村の指導を受ける前から日本の トップランナーの一人ではあったが、その年の春の10000メートルの レースで増田明美に1周抜かれるという屈辱を味わっている。増田の出現は 衝撃的で当時の10000mの3000mのラップが3000の日本記録を上回っていた程である。 果して増田は初マラソンで2.36.34という日本新をものにし(82), 83年には2.30.30迄 記録を伸ばしている。しかし増田はプレッシャーに弱く、多くの大試合で失速し、 ロス五輪でも途中棄権を余儀なくされた。 一方、佐々木は中村の指導を受けて長足の進歩を遂げた。ロス五輪こそ17位に終った ものの10000の レースでは最後のスパートに物を言わせまず増田に負けることはなくなったし、 マラソンでも82年に2.35.00の日本新を出し、最後には33分台迄伸ばすと共に東京 と名古屋の初の日本人チャンピォンになるなどの勝負強さを見せていた。

増田の記録を破って日本人で初めて2時間30分の壁を破ったのは宮原美佐子である(88)。 しかしこのレースでも1位のリサ・マーチンとの差は6分あり、ソウル五輪でも20位以下 であった。その後、小島(89),有森(90)と小刻みに記録は更新されていったが、日本の レースでも外国招待選手に歯が立たず世界との差は大きいと思われていた。しかし そのコンプレックスを一挙に拭払したのは91年の世界選手権(東京) での山下佐知子の銀メダルであった。その後、有森の五輪連続メダルや、浅利(93)、 鈴木(97)の世界選手権の優勝等があり世界屈指の強豪国と目されるようになった。 その一方で記録の伸びは小鴨が2.26.26 (1992)で走って以来、安部や朝比奈の僅かな 更新があったものの高橋の出現迄は本質的に止まっていた。この事は五輪や 世界選手権等の夏マラソンでは成果があがっているもののスピード不足からやがて 世界の趨勢から取り残されるのではないかという懸念とも繋がっていたのであるが 世界記録と五輪優勝の双方のタイトルを持つ高橋の出現でそれが全くの杞憂であった 事になる。

世界のマラソンの変遷はどうか? 女子マラソンは70年前後に男に紛れてボストンマラソンを走った 事から始まる。70年台中期 には日本人でアメリカ人と結婚したゴーマン美智子がボストンで 優勝する等で話題になったが記録は30分台後半であり市民ランナーの域を出ない ものである。初めて競技ランナーとして登場したのはグレテ・ワイツである。 彼女は旧姓アンデルセン時代から一流の中距離ランナー(3000m等) であったが当時の五輪トラック 種目の最長が1500mであり、そこでは流石に世界の一線では戦えなかった。そういう 理由もあってかマラソンに取り組み初マラソンである78年のNYマラソンで従来の記録 を2分程縮め,翌年には更に5分記録を短縮して初めて30分の壁を破った女性となった。 ワイツは80年代に入っても無敵の快進撃を世界記録を4回更新し( 81年にアリソン・ローがNYCマラソンで世界最高を出したが後に距離不足が判明し 記録は削除された)、83年の世界選手権の初代チャンピオンになっている。

83年にワイツの記録を一挙に3分近く縮める大記録が突如出現する。アメリカの ジョーン・ベノイトがボストンマラソンでその記録を実現した。当時、無名選手の 記録の評価は低くコースそのもの(距離は正しいか、downhillコースであるボストン を他と同列にあつかっていいか)の疑問も出る程であった。しかしその疑念を 払拭するように猛暑のロス五輪では高橋に破られるまで五輪記録として残った 好記録でワイツ(銀)、モタ(銅)、クリスチャンセン(4位)をねじふせ 初代女王になった。

ここで名前を挙げた4人の力は傑出しており翌年(85)にはクリスチャンセンが 13年残る世界最高を出し、秋のシカゴでは4人が再び相まみえベノイトが 世界記録に僅かに及ばない当時歴代2位の記録(現在歴代4位) でクリスチャンセンに競り勝ち、 3位のモタも生涯の自己最高記録を樹立する大レースであった。 その後、クリスチャンセンは何回か世界最高に挑むも失敗し、ソウル(88)では 何故か10000mに回ったが勝てず、マラソンではモタが圧勝した。その後、アトランタ の頃迄は24分を切るのが難しいと言われると同時にスピードランナーが五輪、 世界選手権で勝てない時代が続いた。ピッピヒは 90年代半ばでは傑出した当時の歴代3位(現歴代5位)の記録を持ち、 春、秋の賞金レースで無敵を 誇ったがアトランタ五輪では序盤、独走したものの失速し、棄権の憂き目にあって いる。

ロルーペは初めて黒人として世界最高記録を樹立した。この意味は意外と大きい。 彼女は 97年のロッテルダムで22分台の記録を出し注目され,98,99と世界最高を わずかづつ更新したがその評価は高くなかった。というのはこれらは今回のベルリン 同様、ガードランナー、ペースメーカー付のマラソンであり他の一般マラソンで の勝率が高くなかったからである。しかし2000年のロンドンではシモンや(シドニ ー銅の)チェプチュンバを破り本命としてシドニーに乗り込んだが惨敗。今回も 2週間程前のハーフマラソンで1.12以上かかって8位に終り、高橋とは勝負に ならないと思われていたが、予想通り惨敗し、もはや過去の人になりつつある。 むしろ昨年のシカゴマラソンで21分台を出して優勝したヌデレバが現在注目される ランナーである。またアフリカ勢が本格的にマラソンに取り組めば小出が2時間12分 で走れるという様に日本人は歯が立たなくなるおそれはある。既に男子5000m,10000m はケニアとエチオピアの争いであり、他は蚊帳の外である。 マラソンでもこの両国は強い。女子選手は70年代には皆無であったが男子同様5000, 10000mではケニア、エチオピアの両国は他国を寄せつけない。

今後どの位記録が伸びるのであろう。男子の場合初めて20分を切ったのは英国の ピータースで1953年のことであった。クレイトンが10分を切るまでに14年 しか要さなかったがその後の24年で4分程しか記録が伸びていない。 (因みにピータースもクレイトンも五輪では入賞も出来なかった。1952年のヘルシンキ では既に世界記録を持っていたピータースは序盤独走するも失速、5000,10000の覇者 であるザトペックに抜かれてほどなく棄権した。このときザトペックは3冠で 人間機関車の異名をほしいままにした。クレイトンも世界記録の翌年のメキシコ五輪 では高地のせいか振るわず、ミュンヘンでは全盛期を過ぎたのか10位以下に沈んだ)。 女子も既に 述べた様に長い記録の停滞を経た後の今回の大記録であり、ドーピングでもしない 限りそれほど記録が伸びるとは思えない。日本のマラソンはクリスチャンセンの記録 の出た頃から11分記録を伸ばし遂に頂点に立ったがその絶頂は長くはないであろう。 というのは10000mの記録が96年からほぼ停滞しているからである。例えば増田の 記録は32.48.5 (1982)であったが松野は31.54.0(1989)迄伸ばし、更に鈴木は96年に 31.20を切る記録を出した。その結果千葉が97年の世界選手権で3位になるなど96-99年 の五輪、世界選手権で入賞をしてきた。しかし去年川上が10000の 日本新を出したものの五輪では等外で世界選手権でも9位が最高であった。この様に スピードは停滞気味であり今後の記録の大幅な上昇は見込めない。(実際、 日本男子でも10000mの走力の低下によって記録の伸びは止まった)。 高橋はトラックでも本格的に走れば、おそらく日本で一番強いだろうが、今回の ベルリンと五輪では終盤、余裕は見られず、今後記録が大幅に伸びるとは考えにくい。

それにしても改めてすごいと思うのが事前に世界記録を出すと公言してほぼ予想通り のタイムで優勝する点である。練習から結果を読む事が出来るという点だけでも 小出は驚くべき監督である。 また高橋の顔の変遷も面白い。食事の量が半端ではないので 99年セビリアの世界選手権で故障のために走れなかった時に満月みたいな顔になって いたが、今回はしっかりと絞れた顔を作って来て好調さを窺わせた。従ってシドニー 後の激太りは当然のことである。追い込んだ練習をしたときの彼女の顔と練習量が 落ちたときの顔はまるで別人の様になる。また名古屋で初めて日本最高を出したとき のパーティーでかつらとつけまつげで化粧をしてくるようなお茶目な人でもある。

以下は10/3の追記: ドーピング疑惑だって?うーむ。高橋が強いのは昔からだからその可能性は 乏しいと思うのだが。陸上界にドーピングが蔓延しているのは事実でジョイナー みたいに明らかなドーピングで作られ、未だ公認されている記録は多い。90年代に 入って記録の落ちた全ての投擲種目の世界記録はドーピングによると断言していい し、馬軍団による記録や冷戦時代の男みたいな東欧女子による記録はまずドーピング によっている。前年迄平凡な選手が急に記録を伸ばす場合はまずドーピングと見て 間違いがない。馬軍団やジョイナーを含めて 明らかなドーピングも見逃されているので高橋が今回クロになる 可能性は少ないが冷水を浴びせる様な愉快でないニュースである。

10/5付記: 好調が伝えられるヌデレバが今度の日曜にシカゴで高橋の記録に挑戦す る。高橋自身がシカゴに出るという驚く様な話もあったがそれは周囲の説得で やめたようだ。高橋は18分30秒あたりを目指していたのもヌデレバを意識して のことらしい。 ヌデレバがロルーぺの記録を破ってくるだろうが高橋の記録に届くかどうか。 またシカゴでは男子も歴代3位の記録を持つタヌイとシドニーを始めとしてこ この処の大試合での10000mで常に2位のテルガド(1位はゲブラシラスエ)と の対決は楽しみ。テルガドは1回目の倫敦マラソンは7分台とやや期待外れだっ たが今度は真価を発揮するか。この2人はクロスカントリーで90年代前半と後 半に 無敵を誇ったことでも知られる。