古代〜ギリシャ・ローマの数学
目次
- BC 4241 エジプトで太陽暦採用
- BC 2000ころ バビロニア(シュメール) の遺物に数字
- 知られている最古の数学書「リンドのパピルス」
- BC 640-546 ミレトスのタレス
- BC 580(?)-500(?) ピタゴラス
- 紀元前5世紀のギリシャ
- BC 490-429 ゼノン
- BC 460-370 デモクリトス
- BC 430-349 プラトン
- BC400 - 350 ころ ユークリッド
- BC 384-322 アリストテレス
- BC 287 -212 アルキメデス
- AD 2c プトレマイオス
- AD 3c ディオファントス
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BC 4241 エジプトで太陽暦採用
年代の判明する人類最古の記事。
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BC 2000ころ バビロニア(シュメール) の遺物に数字
楔型数字(60 進位取り記数法)、0 にあたる記号もあったがそれを演算には用
いなかったらしい。円周の 360 等分もこのころに由来するという。
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知られている最古の数学書「リンドのパピルス」
BC 1600 ころ。19c 英のエジプト学者リンドが 1858 に購入。
尚、ロゼッタ石の発見は 1799。
この数学書の表題は「対象の中に含まれているすべての暗黒なるもの、すべて
の秘密の知識を手にいれるための方針」であった。洪水後の土地の測量や徴税
を担当する神官が用いたものらしい。内容は
分数の計算、除法と減法、方程式(1次、2次)、代数と幾何(幾何代数) など。
解法をあつめただけで、論理的体系としての書物ではなかった。
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BC 640-546 ミレトスのタレス
商人、のちに学者として弟子を育てる。商用でエジプトに行った際ピラミッド
の高さを測定し当時の王を驚かせる。BC 585 日食を予言。(この日食により、
リディア×メディア間の戦が回避されたという。)
数学はエジプトの神官から学んだらしく、
「2等辺三角形の底角はたがいに等しい」などに証明をあたえたという。
彼の下ではじめてエジプトの知識が体系化され、イオニア学派とよばれる。
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BC 580(?)-500(?) ピタゴラス
「万物は数である」。
エジプトに留学、バビロニアも訪問。秘密教団を結成
(「魂の浄化のために数学する」)。
和音法。「三角形の内角の和は 180 度」を証明。
重要な定理として
-
正多面体(「世界図形」)が 5 種類あること
(正4面体 および 6,8,20; 正12面体も後に発見)。
これらはそれぞれ、当時元素とされた火・土・空気・水に
対応させられ、最後の 12 面体は(元素がすでにないので)
宇宙そのものであるとされた。
-
√2 が無理数であること。
これは大変秘密とされ、口外したものが船から海に落ちて神罰が下ったとい
う。彼らのいう数は整数とその比である有理数であり、そうでない数の存在は
彼らの信奉した数学(神学?)の秩序を破るものと考えられたのだという。
このあたりから、ギリシャの数学の原子論的性格、無限の回避という特徴がみ
られる。彼らの教団は 200 年ほどで世を惑わすものとして解体された。
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紀元前5世紀のギリシャ
この間アナクサゴラス、オイノピデス、キオスのヒポクラテス、
キュレネのテオドロス、レオダマス、アルキュタス、テアイテトスなどの
数学者が記録されている。このうちキオスのヒポクラテスは最初の
「原論(ストイケイア=構成要素、アルファベット)」作者といわれ、
後レオンはこれを増補したという。
このころの中心的問題が、有名な 3 大作図問題(角の三等分、立方倍積、
円積問題、の定規とコンパスのみによる作図)であった。
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BC 490-429 ゼノン
「ゼノンのパラドックス」で有名。
「飛ぶ矢は飛ばない」「競争路」「アキレスと亀」など、すべて時間・空間の
分割可能性について、有限の単位からなるとしてもまた無限に分割できるとし
ても矛盾が生ずることを主張した。
これは「ユークリッド原論」にも大きく影響したと思われる。
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BC 460-370 デモクリトス
原子論の祖(?)「無からは何者も生じない」
マギ(magi)とよばれた占星術・呪術の族で教育されたという。
-
物質を細分していけば有限回のうちに不可分な極小要素にいたる。
-
一方、数学的な量はかぎりなく細分できるとも主張した。
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BC 430-349 プラトン
「アカデメイア」創立(〜 AD 529)
学科 matemata として 数(の神秘性) arithmetike、形 geometrike、音
(和音、振動) harmonike、星 astronomia
をあげ、これと哲学(的議論)とを教えた。 (「国家」) 数学 matesis
を普遍学 philosophia ととらえたという。
「デモクリトスの考えは青年に害をなす」(ので書を焼きつくそう)、
「点は幾何学上の憶説」、「不可分線」があつまって「線」をなす、
などと言っていたらしい。
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BC400 - 350 ころ ユークリッド
アレクサンドリアで活躍。
いわゆる「ユークリッド原論」ほか、「デメドナ(幾何の定理集)」、「光学」、
「音楽原論」(音程と和声)、「天文現象論」、「図形分割論」、「天秤」
「重さと軽さについて」、「円錐曲線論」(のちにアポロニウスが増補)
などをあらわしたというが、いくつかは失われた。「ユークリッド原論」
以下「天文現象論」までは原典がのこっている。編集者的人間であった
らしいが、原論には自身の寄与もある。人間については多く伝わっていない。
原論の内容:幾何学の公理(axiom =「これを認めてください」)、比例論
(現在の実数論にあたる)、平面幾何の諸定理、三角錐の体積が三角柱のそれの
1/3 であること、正多面体の分類定理、など。
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BC 384-322 アリストテレス
「形而上学」。
「不可分な線であろうと、端は点であろう」
点が線に内在する(そしてあつまると長さになる)のはどんな原理によるのか、
を問うた。また「物事が原理から生成されるとき、そのプロセスは有限であろ
う」と考えた。
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BC 287 -212 アルキメデス
てこの原理、浮力の原理、「積分法の入口」に
あったといわれる。ローマがシチリアを功めた際、太陽光を集めて相手の船に
火事を起こした。幾何学の問題を考えていたところをローマ人に殺された。
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AD 2c プトレマイオス
天文観測(AD 127-157)。天文に関連して、三角比(弦の表)を作成。
「トレミー(Ptolemy)の定理」。「アルマゲスト」
周転円の理論(=のちの天動説の根拠)。
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AD 3c ディオファントス
代数、不定方程式。
ローマ時代はギリシャにおけるようには数学は盛えなかったが、
(「ローマ数字」による四則の困難も数学の普及をさまたげていたと
思われる。)ディオファントスの書はその後フェルマなどに影響を与えた。
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