授賞理由: 
理論物理学における最大の問題は重力の量子化であるが、それを実現する最も有力な候補が超弦理論である。高柳匡氏は超弦理論のフロンティアにおいて数々の輝かしい業績を挙げてきた。中でも以下の三つは極めて優れた業績であり、今回の授賞の対象研究となった。

1.厳密に解ける2次元超弦理論を与える行列模型: 時空10次元で定義された通常の超弦理論を解析することは現在でも大変困難であるが、時空次元を2とする時空超対称性を持たない(タイプゼロ型)超弦理論は、非摂動効果まで含めた解析が可能になる。2003年に高柳氏は、Toumbas氏と共同でこの理論と等価な行列模型を構成した。これは現在のところ、非摂動論的に安定でかつ豊富なダイナミクスを含む種々な背景時空の中で厳密に解ける唯一の模型である。これにより、通常の超弦理論では解析が困難な時間に依存する宇宙膨張などを厳密に取り扱うことが可能となった。またこの模型は、D0ブレーン(空間0次元 D-膜)上の行列量子力学と見なせるが、空間1次元の超弦理論とのホログラフィー対応を示す最も基本的な例を与えており、その意味でも重要な業績である。

2.エンタングルメント・エントロピーのホログラフィー対応からの導出: エンタングルメント・エントロピーは、ブラックホールのエントロピーを微視的に理解するために有用な概念である。時間一定面をAとBの二つの領域に分け、Bの領域が観測できない場合、どれだけの情報損失が起きるかを測る量である。 2006年に高柳氏はRyu氏と協力し、共形場理論のエンタングルメント・エントロピーが、ホログラフィー対応を用いて等価なAdS3空間の重力理論でどう計算されるかを研究し、それが、部分系Aの境界を端に持つAdS空間中の最小曲面の面積の定数倍で与えられることを発見した。これは、有名なブラックホール・エントロピーの面積則を、ブラックホール以外のより一般的な時空へ拡張したことを意味する。エンタングルメント・エントロピーは、物性理論でも新しい秩序変数として最近盛んに研究が行われている重要な観測量であり、高柳氏等が見出したスケール依存性に関する振る舞いは大きな注目を受けている。

3. タキオン凝縮の超弦理論による記述: 超弦理論においてブレーンと反ブレーンを置くとその間をつなぐ開弦モードとしてタキオンが現れ不安定となるが、高柳氏は寺嶋・上杉両氏と共に、境界弦場理論と呼ばれる方法でいち早くこの系に対する厳密なタキオン有効ポテンシャルを求めることに成功した。この結果はタキオン凝縮を用いる様々なインフレーション模型の議論で利用されている。氏はさらに、Strominger氏と共に、閉弦のタキオン凝縮に伴う時間に依存した背景時空を扱う方法として、弦の2次元世界面上の通常のリュービル理論を虚数化した「時間的リュービル理論」を導入した。この理論もその後の様々な研究者による研究の出発点となっている。

高柳氏は未だ若年にもかかわらず、すでに多くのすぐれた研究業績をあげ、日本の超弦理論コミュニティにおいて指導的な地位にある。今後も超弦理論分野の国内外での研究をリードして活躍することは間違いなく、第4回木村利栄理論物理学賞にふさわしい研究者である。