永田さんの「お別れの言葉」によせて   坂東昌子

 

 

永田さんは、お元気な頃から、「僕の葬儀は、みんなにテープを吹き込んでおいて、『では皆さんさようなら』と自分でいうことにしたいな」とおっしゃっていました。1週間ほど前、加藤さんが、病院で「永田さん、こういうのをかいておられるんですよ」といわれました。これを書かれたのは、まだワープロが打てる頃ですから、多分昨年の9月か10月ごろと思われます。このほかに、奥様あてとか加藤さんあてとかあるようです。いつか、奥様あてのものも見せて頂けたらと思います。永田さんが築いてこられたご夫婦像に接することができるでしょう。

 

 

永田さんには、たくさんのフアンがいるのですが、中でも中年の女性たちにとても人気がありました。今回、この告別式にも宮崎からたくさん女性が見えていますが、やはり宮崎でもその通りだったんですね。

 

 

宮崎大学を定年退職されてから、愛知大学で非常勤講師として自然科学概論の講義を永田さんにお願いしていました。愛知大学には夜間部がありますが、私もですが、永田さんは夜間部で社会人たちが熱心に聞いてくれるのがとても気に入っておられました。この夜間部には、女が大学にいかない時代に生きてきた女性たちがいます。すでに単位を取った学生でも、新聞に天然ガスのことが出ると「どうして天然ガスは環境に優しいのですか?」とききにきます。「燃料の成分は炭素と水素でしたね。軽い燃料は水素が多いのです。」といったら「ああ、なるほど、天然ガスは水素が多くて炭酸ガスの排出が少ないのですね。授業で習って役立ちます」と嬉しそうです。永田さんは、この雰囲気がとても好きだったんだと思います。

 

 

永田さんの授業もとても人気があって、最終講義で花束贈呈をうけるなんてことはめったにないのですが、永田さんは、こうして拍手につつまれて愛大での講義を終えられたのです。

それだけではありません。卒業生たちは、その後も永田さんを訪ねて京都までやってきたり、年賀状をくれたりしているのです。このお正月、永田さんの看病のお手伝いをさせてもらいましたが、そのとき量子夫人が年賀状の整理を病院でやっておられたのですが、その種分けを手伝っていたら、愛知大学の女性たちからたくさん来ているではありませんか。中には私の知っている人もいるのですが、まあ、なんと、私には年賀状はきていません。永田さんのところには、わざわざ京都の家まで遊びに来ていたのです。

 

でも、永田さん!! あまり自惚れてはだめですよ。永田さんがこれだけ人気があるのは、量子夫人のおかげなんですよ。永田夫人を知る人はみんな知っているでしょうが、永田家を訪れただれもが、量子夫人の暖かいおもてなしとやさしい気配りにとても慰められるのです。ですから、永田さんが人気のあるのは、量子夫人のおかげですよ。

 

そんなこと、永田さん、わかっていましたよね。量子夫人は京大保育所。朱い実保育園の園長先生として、たくさんの子供たちを慈しみ、たくさんのお母さんを励ましてこられました。量子夫人は、みんなのお母さんです。永田さんは、その長い人生で、このお母さんとともに、みんなを慈しみながら、叱咤激励したり、たしなめたり、温かく見守ってくださいました。

 

 

今日は、本当は、永田さんの告別式ですが、異例ですが、私は、量子夫人に花束を差し上げたいのです。それで、孫の坂東いつき(樹)君に小さい花束を贈呈してもらいます。これからも、量子夫人が、いっぱい子供たちに囲まれて、いつまでも、優しく、そして楽しく生きていってほしいというのがみんなの願いです。永田さん、これをいっしょに楽しんでくださいね。



思いでネット永田さんのページへ戻る