永田さんからのメッセージ   坂東昌子

人間は大なり小なり自分なりの欲望やわがままな要求を持っている。それを正当化して回りの人たちのことも考えず通す人もいれば、理性で最後までコントロールする人もいる。永田さんほど最後まで理性をコントロールできた人もあまりない。

大学院生の頃は、のちに私の伴侶となった夫は、永田さんの属する京大原子核研究室を選んだ。私はその隣の湯川研究室を選んだ。日本の学問的にも社会的責任を果たす上でも素粒子論グループの存在は大きかったが、当時のそれを支えていたのは永田さんの世代であった。その頃から、研究者としてのあるべき姿とその活動を永田さんを通じて教えられたのである。

永田さんから教えられたことは、それから今日まで、あまりにも膨大でいくら紙面があっても書ききれない。この日告別式に参加した田中恒子さんが私に「永田さんの言葉で忘れられない一言がある。進歩的思想があれば組織が進歩的だとは限らないといわれて、それまで進歩的な人が集まればおのずと進歩的な団体になると思っていたのでガーンときた」といっておられたが、永田さんは決してそういうところで妥協しない人であった。真のインテリとはこういう人を言うのだろう。自分の頭で考え鋭く科学の目で評価するという姿勢をずっと持ち続けた人であった。

もんじゅ事故の時には、永田さんは分厚い流体力学の本をマスターして、渦流のでき方を自ら計算し、「どうも鳴現象をおこす計算にはファクター2のずれがあるな」といわれていた。まさに物理学の知識で解明しようとするその姿勢に感服したものであった。JCOの事故のときには、臨海点からどれくらい安全係数を想定しているのか気になったことがあって、中性子とウラン235の衝突断面積がどの程度中性子のエネルギーに依存しているか知りたかった。現役の原子核の人にきいても「調べればわかりますが」というだけだったが、永田さんはすぐ答えてくださった。エネルギーが少し下がると、一挙に反応率があがるので原爆のときと同じく安全係数2にしておくのがどんなに危険かよくわかった。

こんなわけで、永田さんは、科学者精神を常に持ち続けていい加減なことはいわず、自ら計算までやる人であった。偏見に決して惑わされないだけの鋭い眼力を持っておられら。だから私はお見舞いと称していつもいろいろなことを教えてもらいに行った。教えてもらえるのは今のうちかもしれないと思いつつ。

病気が進行していくのに、永田さんのこの眼力は衰えを知らなかった。テロ事件がおきたあと、エネルギー問題を自然科学入門の講義で教えて板私は、日本の戦争は結局はエネルギー問題であったことを授業でとりあげていた。そして、民族紛争のように見えても、それはそれを利用しているのであって、石油確保の争いなのだという論を、このたびのアフガンにも適用しようとした。しかし、アフガンには油田はない。何故アフガンなのか、という疑問があった。永田さんからそのとき紹介されたのが「世界資源戦争」という分厚い本であった。「アメリカが京都議定書に調印できないのは天然ガス確保に成功していないからで、アフガンを押さえれば、天然ガスのルートを確保できる」といわれた。カスビ海近辺の複雑な情勢はこの本から学んだ。どうして病気なのにこんな本をどこで見つけられるんだろう。私はその鋭い洞察に心底感銘を受けたことを覚えている。  私の書いたニュートリノの解説にも興味を示されていて「あんたのを読んでいたので、木柴さんの話もよくわかったわ」などといっておられた。

さすがにこのお正月は、ニュートリノの混合を予言したのは、牧・中川・坂田だけではなく、田中・片山・松本の論文も同じく評価されていいのではないかということを論じた「ニュートリノの偏見を破った科学者たち」という解説(パリティ特集)をもっていってもしんどそうであった。田中正さんのことも書いたっていったがそれでももう体力がついていかなかったようであった。常日頃、私立大学の仕事と、それにまだ研究を続けている私はは土曜日も日曜日もフルに仕事をしてやっと何とか研究と教育と、それとそのほかのいろいろな問題にも加をお突っ込んでいる。そんな私はなかなか永田さんをゆっくりお見舞いする時間がなかった。そんな私だが、今年のお正月3日間だけだったが、朝から晩まで永田さんの病院にいでお手伝いができた。そのとき、いろいろな人が訪ねてこられた。そのたびに、しんどい永田さんが必ず私を訪問客に紹介してくださった。その1人に京大病院のご主人と一緒に看護婦長の南出成子さんがこられた。南出さんの治療アドバイスに永田夫人がとても気持ちが落ち着いたことにびっくりしたが、その看護に対する奥深い知見に私は感心した。ちょうど私は「バイオテクノロジーと現代」という総合科目で取り扱ったテーマで本をまとめつつあり、その中で「看護・医療そして医学」という現代科学のありお方を問う論考を執筆中であった。看護の基本的な著書とナイチンゲール著作集をお貸しいただいた。、看護の基本といったものをしっかり見につけられ、患者に温かい目で接しておられる南南出成子さんの姿に、ああ、日本にはこんな素敵でしっかりした技量を身につけられた看護婦さんがおられるのだと、感銘を受けた。この出会いは永田さんが私に下さった最後のメッセージのような気がする。



思いでネット永田さんのページへ戻る