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   2000年3月、私は久しぶりに春休みに名古屋の自宅に帰った。夜の12時は過ぎていたろうか、たくさんの郵便物に混じって私は(旧姓)橋本節子さんからのはがきを見つけた。「久保さんがお亡くなりになって悲しくて・・・」。え??久保さん??何時?ショックだった。それは私の親友であった久保未沙さんの他界であった。
 
   そういえば、今年は彼女から年賀状がこなかった。忙しいのかな?と思っていた。 今ごろになって知ったのだが、私は「何か一言いいたかったな」との思いが頭から離れなかった。
 そして、この1枚のはがきをきっかけにして、私は一つの企画を本気で実行する準備をしようと決心した。これは長年、つまり夫があの世に旅立ってからずっと私があたためてきた構想につながる「ある事」の実行である。

 夫が他界して12年を迎えたこの2002年、私の家にはまだ夫のお骨がおる。お墓に持っていくのをためらってから、どうしたら一番いいのか考え続けてきた。 そして12年が経った。ある友人からいい話を聞いた。沢村貞子さんが遺言で「私が死んだら、夫のお骨といっしょに海に散らしてください」と言って、 本当にそうされたということであった。そうか、そういう方法もあるな。
 でも私は自然科学を仕事にしてきた。人はみな死んだら自然の一部として自然に還る。 そうなら、もっと私らしい合理的な方法はないものか?人はみな死んだら肉体は原子にかえればいいが、その人が残したもの、その人の生きざまやその人の思想は、ずっと後の人たちに伝えられ、生き残るのではないだろうか。そうだとすれば、残るものは心の奇跡であり、その人の経験であり考え方である。 そういうものを残すほうがずっと大切なのではないか。そしてそれは後に残った人々の心にずっと残って生きつづけ、勇気を与え生きる力になるのではないだろうか。
 それにみんな予定もあるのに、お葬式だというと何をさておいても出席しなければならない。考えてみれば、夫のお通夜の日も寒い夜であった。私は皆さんが風邪をひいてもらっては申し訳ないとそう思ったのを、今でも忘れることが出来ない。もし、夫が自分の死に直面する時間が十分にあったなら、きっと「僕のお葬式はしないでくれ」と言ったに違いないと、私は今でも思っている。
 もちろん、ただ葬式をしないだけでは、夫をとりまく皆さんのお気持ちも、 私を励まそうとやってきて下さった方々の気持ちも分からずじまいになる。何といっても、仲間たちの夫に対する思いや暖かい励ましこそ、後に残ったものにとって生きる支えになる。

 では、この両方をどうして両立させることが出来るのか?それを考え続けてきた私は、2000年の1月以来、夫の写真を見ながらある考えがまとまっていくのを感じていた。ずっと考えつづけてきた構想を実らせてみよう。そうなのだ。気持ちを伝えるのなら、今ならインターネットを使えばいい。これなら気持ちさえあればいつでもアクセスできる。そして、いつでも夫をとりまく仲間と交流できる。お墓は場所を取るし、時間を割いてその場所まで行かないといけない。それに訪れたところでこちらに何も語ってはくれない。  墓地のお墓の代わりにたくさんの仲間のメッセージをいれた宝をいっぱい積み込んだ「ネット上のお墓」をつくればいい。そんなことを考えていた矢先、クボチャンの他界を知らせたハガキを受け取ったのである。私は他界されたことも知らず、お葬式にも行けなかった。
 そこで、これを機会にともかく、プライベートにこのサイトを開設しようと決心した。

 
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