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 1937年に大阪で商人の家に生まれ、1956年大阪大手前高校卒業、1960年京都大学理学部物理学科卒業、大学院入学、1965年、京都大学大学院理学研究科博士課程卒業(博士号取得)、京都大学理学部助手、理学部講師を経て、1987年愛知大学にやってきました。
 愛知大学ではAUCC(Aichi University Computer Club)とメンネルコール(1部)、雄弁会(2部)、最近はトライアスロンと立ち上がったばかりのリサイクルグループAUF[サークル会館502]とたくさんの顧問をしています。でも本当を言うと運動は一切ダメです。昔から運動会に親がやってくると「あんたは走ってもいつもビリで、運動会に行く甲斐がないなぁ」と冷やかされていたくらいです。でも口だけは達者で「いつか私はドナーカードで登録して臓器をあげたいけど、年をとったのであげるものがなくってきて」と言ったら先生方から「いやいや、口だけは大丈夫でしょう」と冷やかされてしまいました。
 趣味は音楽、特に合唱で(これも口が達者な証拠ですかね?)、合唱部に所属してました。それと美味しいモノを作ってみんなとご飯を食べる事も好きです。家族は原子力を研究していた夫を1990年にガンでなくし、今は娘も息子も結婚し、合計3人の孫がいます。
 私の専門は物理学で、自然に存在する物質の究極の姿をずっと追い求めてきましたし、今もなお追い求めています。最近では謎の粒子であるニュートリノの研究に最も力を注いでいます。ニュートリノの新しい発見はこの日本で最も進んでいて世界をリードしています。昨年、その実験センターである神岡の宇宙線研究所の光電子増倍管が事故を起こして大変ショックを受けました。ノーベル賞級の仕事ですので、1日も早い復旧が望まれています。所属学会は日本物理学会ですが、その他にも日本応用数学会、日本科学教育学会等に属しています。また、国際女性の地位協会や尊厳死協会、女性研究者の会等にも入っています。ですから「専門は?」と聞かれたらメジャーは素粒子論で、マイナーは女性問題や環境問題、最近では生命倫理の問題にも頭を突っ込んでいます。そして昨年は一念発起して実務教育研究所の通信講座の「実務統計」を受けてフウフウ言いながらやっと昨年10月に卒業しました。最後のレポートは点数が悪くて「再提出」を申しつけられました。でもやっと卒業できて、みんなに教える統計の授業ではこれを活かしてもっと実用的な役立つ統計を教えてあげたいと思っています。愛知大学の皆さんといっしょに環境問題や科学と社会の関係を調査したり議論したりするのは楽しいです。


   愛知大学で学んでほしいこと。それは、事実をきちんと見つめ、そこから議論できるノウハウです。文系の大学で科学の授業を始めて約10年がたちましたが、この間授業を通じて皆さんと交流する楽しさを味わってきました。そして、逆に皆さんから学ぶ事も沢山ありました。現在の私たちの生活には、科学の最先端の知識がふんだんに使われています。現代に生きる私たちにとっては、自然科学で得られた原理や現状を知らなくては環境問題や医療の問題、そして生命倫理にかかわる問題等、とうてい解決の道を探る事もできません。特に最近の生命科学の発展は目をみはるものがあります。クローン羊ドリーちゃんの誕生の発表からおよそ2年、今や我が国でもクローン牛が成功し、この技術を使って内臓の生産も始められる時代になっています。つい先だっては、韓国でクローン技術を人間にも応用した記事が出ていましたね。

 今、私たちは生命観の大きな変革期を迎えています。生命操作を遺伝子の段階でできるようになった現在、遺伝子操作によって、種としてのヒトを人為的に操作して、交配できない種に分離する事もありうるのではないかといわれています。21世紀に生きる皆さんが直面する問題は、こういうスケールで考える必要があるのです。また、皆さんは1960年代にアメリカでベストセラーとなった「成長の限界」(通称「ローマレポート」)という本を読んだことがありますか? これは、地球をひとまとめにして、その環境を論じた最初の本でした。それまでは、同じ公害問題と言っても、例えば工場の排気ガスを規制するのに、「煙突の高さ」をどう制限すべきかで論争していたのです。いくら高くしても、地球環境という立場からは、結局その排気ガスの行方まで考えなければならない、ということに、人間は気づき始めたのです。あるいは、人間の活動がそれだけ拡大したと云うこともできるでしょう。


 私は、自然科学の講義や総合科目の授業を通して、当面する現代のアップトウデイトな問題を取り上げ、皆さんといっしょに考えていきたいと思っています。遠い先まで見通せる知性をもち、賢く環境問題を解決していけるための基礎知識をしっかり持ち、悲壮がらずに21世紀を見通す英知を養ってなってください。また総合ゼミは、旧教養の教員が学生といっしょに考える小人数の授業の場です。ゼミを受け持ってこれで 3 年目にはいりますが、学生たちの能力を引き出し、ゼミ生の調査の発表を通じて、客観的なデータに基づいて議論をすすめられ資質や、自分の意見を人に伝えられる技術を養なう場にしてきました。プレゼンテーションの技術は単なる技術ではなく、今後の自己発現の大きな道具となりますから、この技術を仕事にも生かしていけるでしょう。ちょうど、「みんなで 1 つのテーマについて実際に調査し、アンケートの集計なども使って共同作業をしよう」という空気が盛り上がってきました。これから取り上げたいテーマは、生命倫理の問題や環境問題です。実を言うと、いつか、こういう科学と社会の接点の問題を取り上げ、それをゼミの学生と一緒になって教材用のビデオにしたいというのが私の夢です。今のところ、共同作業を通じて人との輪や仲間を沢山増やす、そういう学生たちをゼミで作り出したいなと思っているのです。今私の使っている手製のテキストは、受講生のレポートや学生たちが統計をとってくれたさまざまなデータがいっぱい掲載されています。このテキストも学生たちも参加してできたものです。みんなよくやるな、なかなかの能力を持っているなといつも感心しています。次はビデオ作りですね。もちろんビデオ作りの基礎は、その内容にあります。技術と中身を練って面白い企画にしたいのです。ぜひ皆さんも仲間になって下さい。

  司会(以下S):坂東先生、よろしくお願いします。
坂東先生(以下B):よろしく。


S:まず、先生の生い立ちについて聞きたいのですが。
B:私は昭和12年に大阪の商人の長女として生まれたんや。気が弱く、おとなしい子供やったし、運動会ではいつもビリで走り、泣き虫やった。そやけど、むっちゃ優しい子やったことは確かやで。


S:いつからそんな大きな声で喋るようになったのですか?
B:大きな声で人前でも喋れたらええなあっちゅう一心で高校のときに弁論部に入ったんや。そしたら、厚かましい人間になってしもた。そやけど、誰でも努力すれば自分を変えられるわ。


S:先生はそれで自分を変えたわけですね。

B:そうや。人間っちゅうのは生まれつきの資質だけじゃなくて、やろうと思えば何でもやれるねん。忘れものの癖だけは何ともならんかったけど(笑)。


S:ちなみに僕もディベートのサークル入ってますけど、参加してないから全然変わりませんけど(笑)。ところで、もう少し学生時代のことを話していただけますか?

B:高校は大阪大手前高校出身やけど、私の中学からは私と将来の夫となった坂東君だけしかこの高校に行かんかったんや。坂東君しか頼りにできんかったのが後々腐れ縁になったのかも知れん。大学も坂東君と同じ大学を選んだけど、もともと坂東君は家業がメッキ工場やったから工学部へ行くとか言うてたのに理学部にしたし、私も「近いところにしとこ」ということで阪大に行くっていってたのに京大にしたし。


S:この頃から既に2人とも相手を意識していたのでは?

B:そうかもしれん(笑)。理学部の物理学科を卒業して2人とも大学院へ進学したんや。私は素粒子専攻(湯川秀樹先生の研究室)で、(将来の)夫は原子核専攻(小林稔先生の研究室)やった。この頃は2人でよく勉強したで。昭和37年の春に大学院博士課程に進学して、小学校からの同級生やった坂東弘治君と結婚したんや。坂東君は結婚の申し込みのときに、「2人で協力して、キュリー夫妻みたいな生活を作っていこう」って言うたんや。

S:先生のロマンスですね(笑)。

B:そやけど、学生結婚で貧乏暮らしやった。私は一番安い肉(犬用の肉?)をよく買って料理したんや。そしたら夫は「せめて、人間用の肉にしたら?」なんて言うて、2人共、大笑いしたで。そやけど、私の家はいつも友達がようさんおったで。


S:その場の和やかな様子がうかがえますね。

B:そうや。昔から私の家は溜まり場やった。そして翌年の夏に長女の亜希子が誕生したんや。忘れられへん。この頃は保育所も普及しとらんかったから、自宅を解放して、近所や職場と仲間と共同保育所を開設しながら、京大の職場に保育所を作る運動を展開したんや。それと、地域のもんと共同して、地域に保育所を作る運動もしたで。


S:現在はかなり環境も改善されていますね。

B:そうや。昭和39年には京大に「朱い実保育所」が、昭和40年には地域に「修学院保育所」ができ、私の家の共同保育所は、発展的に解消したんや。


S:現在、環境が充実しているのは、先生方の努力もあったわけですね。

B:この頃は、「子供を保健所に預けて働くなんて、なんちゅう親や」と非難を浴びる時代やった。そやけど、仲間と育つ思いやりのある子に育っていくための条件づくりには、骨身を惜しまず働いたと思う。昭和40年に京大大学院理学博士号を取得し、私も夫も同じ職場に就職し、理学部の助手として共働きの生活を続けたんや。


S:同じ職場で働けて、ラッキーでしたね。

B:ほんまにラッキーやった。同じ職場で働けたのはこの時だけやったから。昭和41年の秋に長男の太郎が生まれたんや。子供と成長っと一緒に歩み、保育所、学童保育、子どもの読書運動、PTA、教育問題などに取り組んだんや。学童保育所では、合宿、運動会、子どもの 祭典、いろいろやったなあー。昭和46年の秋に夫が福井大学に転勤し、これ以後、長いながーい別居生活を続けたんや。仲が悪くて別居したんじゃないで。共働きで転勤があれば仕方なかったんや。私は、何度夫の近くの職場に、アプライしたか知れませんが、どうしてもっと女を採ってくれんのやと、改めて、女性への不当な差別意識の深刻さを思い知らされたんや。しんどい時期やった。


S:今の世の中を見ていると、表立った男女差別は見られないと思いますが。

B:そんな事あらへん。昭和50年から1年間カナダのマックマスター大学に客員研究員として滞在したけど、カナダでは、「2人で来てくれるなら、それはこちらにとっても有り難い。どうぞ2人でおいで下さい」といってくれたんや。日本なら、「夫婦で雇うのはちょっとまづい」と言われそうやけど、それが反対に、歓迎してくれたのには驚いたで。


S:まだ日本は、こういう点では欧米よりも劣っているのかもしれません。詳しくは、国際女性の地位協会の会員でもある先生に話を聞いて下さい。

B:この期間が、私たち家族にとって、一緒に暮らせた例外的な1年やった。カナダのハミルトンでの生活は、いっぱいの思い出を残してくれたんや。そやけど昭和61年には夫が肝臓の手術をしてしもた。これらの闘病生活を通じて、生命の尊厳、生命の質の問題を深く考えさせられたんや。ここで紹介するにはあまりにも重い話や。闘病の記録は、冊子にまとめてあるから、欲しい人は申し出てほしい。昭和62年の4月に愛知大学教養部に転勤したんや。愛知大学が女性だとわかっていて、採用してくれたことには、今も感謝しとる。


S:理系の大学を出た先生が僕たち文系の生徒に授業をするとき、とまどうときはないですか?

B:そんなことあらへん。今まで理学部所属だった私は、この大学で教養部に所属して、いろいろ新しいことを学ぶ機会も増えたんや。それに、たくさんの学生さんから元気をもらって、新たな課題に挑戦するチャンスを得たんやから。平成元年に夫は東京大学原子核研究所に転勤してしもたけど。同時に息子は大学生となり、一家は、大阪(太郎)、京都(亜希子)、名古屋(私)、そして東京(夫)、と、東海道新幹線の主要な駅を横目に見る生活となってしもた。次の年はさらに悲しい話を書かないかん。


S:何のことですか?

B:平成2年、夫が肝臓ガンのため先に云ってしもたんや。この間の経験は、私の人生観を大きく変えたで。夫の最後の生き方は、人を超越したような迫力があった。教えられることの多い生き方やった。また、仕事の上でも、生活の上でも、そして人生の価値観でも、社会を変革する目標でも、あらゆる意味で、夫は私の大切な戦友やった。


S:随分と暗い話題が出てしまいましたが、闘病記録についてもう少し詳しく教えて下さい。

B:坂東弘治博士追悼文集「Quality of Life 1」「Quality of Life 2」は、人生の岐路に立たされたときには、勇気を与えてくれるところや、問題解決への力になってくれるところがあると思う。だから私は今も頑張っとる。平成5年4月から1年間国内留学(京都大学理学部)もしとる。この期間は、私の素粒子論という専門分野ではじめて、思いっきり、仕事をする機会に恵まれた。育児もなくなったし。充実しとった。この1年間は、私の人生の最大の贈り物じゃないやろかと今も思うとる。このお陰で、私は再び研究への意欲と、新しいものへ挑戦するエネルギーをもらったんやから。


S:先生へのインタビューもそろそろ時間がきてしまいました。現在の先生の講義を含めた活動内容を聞いてみましょう。

B:日本物理学会・日本応用数学会・日本科学教育学会会員、国際女性の地位協会会員・女性研究者の会・京都会員、日本尊厳死協会会員に所属してます。


S:自然科学以外のこともたくさんおこなっているんですね。

B:合唱が趣味で、1992年京都アカデミー合唱団に入団し、1993年全国コンクール(大阪)参加のため仙台にきたんや!!


S:がっ、合唱ー?

B:あと、おいしいものを作ってみんなと食べることも趣味や。(最近私の住んでいるマンションを改造して、パーティが気楽にできる環境を作ったで。)専門は素粒子論やけど、最近は応用数理関係もやります。女性問題、生命倫理問題、高等教育問題なども研究しとる。


S:本当に意欲的に活動されていますね。最後に主な著書をあげて終わりたいと思います。その中でも同じ大学内の功刀先生との共著である「性差の科学」は自然科学入門の授業でも紹介され、図書館にも置いてあります。是非、読んでみて下さい。先生、今日はありがとうございました。

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