第15回(2021年)日本物理学会若手奨励賞(素粒子論領域)

受賞者は江間陽平氏,山田雅俊氏,Chang-Tse Hsieh氏の3氏です。

受賞者:江間陽平(DESY)
対象業績:ヒッグスインフレーションにおけるスカラロンの研究/Scalaron in Higgs inflation
対象論文:
[1] "Higgs Scalaron Mixed Inflation", Yohei Ema, Physics Letters B770 (2017) 403.
[2] "Dynamical Emergence of Scalaron in Higgs Inflation", Yohei Ema, Journal of Cosmology and Astroparticle Physics 09 (2019) 027
受賞理由:
 標準模型のヒッグス粒子をインフラトンとするヒッグスインフレーション模型は,宇宙背景放射の観測結果と整合する最もシンプルな模型の一つであり, 広く研究されている。ヒッグスインフレーションではヒッグス場 h とリッチ曲率 R の間の結合 (ξh^2 R) を導入する。 宇宙背景放射の観測結果から,結合定数ξには大きな値 (〜10^4) が要求され,これにより理論のカットオフスケールがプランクスケール Mp から Mp/ξ に下がってしまうことが知られていた。これはインフレーションスケールと同程度であり, 再加熱まで含めたインフレーション模型の正確な予言のためにも模型の紫外完備化が望まれる。
 第一論文はヒッグスインフレーションに R^2 項を加えたインフレーション模型についての研究である。R^2項は高階微分項のため,この模型では新たなスカラー自由度(スカラロン)が現れる。 論文ではヒッグス場とスカラロン場を同時に考えた場合のインフレーションについて包括的かつ詳細な解析を行い,観測と無矛盾なインフレーションが可能であることが示されている。 また,スカラロンの存在によってカットオフスケールが Mp 程度となりヒッグスインフレーションの紫外完備化が起きることも示されている。
 第二論文では議論を一般化し,ヒッグスインフレーションのように複数のスカラー場 φi とリッチ曲率 R との結合を考えると, 理論に必然的に新たなスカラー自由度が現れ,それによりヒッグスインフレーションの紫外完備化が行われることが主張されている。主張は2つの方法で議論されていおり, 1つ目の方法では繰り込み群によって ξ φi^2 R 項から R^2 項が現れることを用いている。2つ目の方法では,スカラー場の数 N による large N 展開を用いてスカラー場の四点散乱振幅の量子補正の足し上げを行い, 散乱振幅にスカラロンに相当する pole が現れることによってユニタリティが回復することが示されている。散乱振幅の足し上げによってユニタリティの問題が解決することは自己回復機構として先行研究でも議論されていたが, この論文ではスカラロンの動的な出現として物理的な解釈を与えている。 以上のように第二論文では,繰り込み群による R^2 項の出現,スカラロンによる紫外完備化,散乱振幅の足し上げによる自己回復機構といったヒッグスインフレーションの理論的な側面に統一的な理解を与えている。
 いずれの論文の結果も非自明で興味深く,すでにこれらの研究を適用した研究も複数行われている。今後のインフレーション研究にも有用な成果であり,これらの独創的で重要な結果が高く評価された。

受賞者:山田雅俊(ハイデルベルク大学) 対象業績:漸近的安全性に基づく量子重力理論の性質解明と拡張ヒッグス模型への適用 / Quantum gravity effect in a scenario with asymptotic safety and its application to an extended Higgs model
対象論文: [1] "Gauge hierarchy problem in asymptotically safe gravity the resurgence mechanism, C. Wetterich and M. Yamada, Phys. Lett. B 770, 268 (2017)
[2] "Quantum gravity fluctuations flatten the Planck-scale Higgs potential", A. Eichhorn, Y. Hamada, J. Lumma and M. Yamada, Phys. Rev. D 97, no. 8, 086004 (2018)
[3] "Scalegenesis and fermionic dark matters in the flatland scenario", Y. Hamada, K. Tsumura and M. Yamada, Eur. Phys. J. C 80, no. 5, 368 (2020)
受賞理由:
 電弱スケールとプランクスケールの間にある,ゲージ階層性問題の解決方法の模索は,より根本的な 相互作用の統一理論を構築する上での重要な道標となり得る。 また,プランクスケール以上では,重力の量子効果が効いてくると期待されるため,量子重力理論を構築する必要が生じる。近年,理論に非自明な固定点を持たせると,そのまわりでは有限個の演算子によって低エネルギー有効理論が記述できるという漸近的安全性のアイデアに基づいて,重力の量子論を定式化しようとする試みがなされている。 受賞対象となる一連の研究において,受賞者は漸近的安全な量子重力理論におけるスカラー場の力学的振る舞いを調べることで,ゲージ階層性問題が解決する可能性を示し,そのような量子重力理論のもとで拡張ヒッグス模型を考えた場合のヒッグスポテンシャルがどのような制限をうけるかを議論し,それらの知見に基づいて暗黒物質の候補を含むような現象論模型の構築と,その現象論研究を行っている。
 第一論文では,漸近的安全性に基づく量子重力理論のもとで,ヒッグス場に量子重力のゆらぎを取り入れることにより,ヒッグス場の質量項がプランクスケールでirrelevantとなり,古典的スケール不変性を導く ため,ゲージ階層性問題が解決される可能性があることを示している。
 第二論文では,第一論文のアイデアに基づき,ヒッグスセクターにスカラー1重項を加えた拡張ヒッグス模型において,厳密繰り込み方程式のトランケーション近似の範囲内での解析を行い,量子重力理論からの寄与を見積もっている。その結果,プランクスケールにおけるヒッグスポテンシャルに対して量子重力のゆらぎが与える影響の普遍的性質を明らかにしている。
 第三論文では,第一論文と第二論文で得られた知見を活かし,スカラー1重項を伴うような拡張ヒッグスセクターのポテンシャルに対して,プランクスケールで適切な境界条件を課し,暗黒物質候補となるようなマヨラナフェルミオンを導入した模型を構築している。この模型は,ヒッグス粒子の質量,ヒッグス場の真空期待値,暗黒物質の残存量を再現するようにパラメータを決めると,自由パラメータが1つだけ残るような予言能力の高い模型となっている。このため,将来の暗黒物質直接検出実験において検証される可能性がある。
 量子重力理論はいまだ確立しておらず,広い視点から研究が進められている。そのなかで,漸近的安全性に基づく量子重力理論では,4次元重力理論における非自明な繰り込み群紫外固定点についてなど活発な議論が行われている。とくに,このアイデアに基づく模型構築は今後注目される可能性がある。受賞対象の研究自体は独創性も十分あり,メカニズムの提唱から現象論模型に落とし込むところまでを 全般的に行なっている点も十分評価に値する。

対象者:Chang-Tse Hsieh(東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構/物性研究所)
対象業績:マックスウェル理論における電磁双対性の量子異常 / Anomaly of the Electromagnetic Duality of Maxwell Theory
対象論文:
[1] “Anomaly of the Electromagnetic Duality of Maxwell Theory, Chang-Tse Hsieh, Yuji Tachikawa, Kazuya Yonekura, Phys. Rev. Lett. 123, 161601 (2019)
受賞理由:
 曲がった時空上のマックスウェル理論における電磁双対群SL(2,Z) の作用の効果は,1995年にWitten, Verlinde によって詳しく解析され,2018年にはSeiberg, Tachikawa, Yonekura によって重力-SL(2,Z)混合量子異常(アノマリー)として理解できることが示されていた。対象論文では,SL(2,Z)量子異常の純粋部分を決定し,さらにカイラルフェルミオンの量子異常との対応関係が示されている。  現代的な量子異常の理解によれば,量子異常をもつd+1次元理論は(d+1)+1次元バルクにおけるSPT(Symmetry Protected Topological)相の境界に実現されて,量子異常流入(Anomaly-inflow)が成り立ち,対応するバルクSPT相はコボルディズム不変量で分類される。対象論文では,3+1次元マックスウェル理論を4+1次元時空におけるBdC理論の境界に実現し,SL(2,Z)量子異常を特徴づけるコボルディズム不変量をsignature演算子のη不変量およびArf不変量によって与えた。さらに,この結果が3+1次元カイラルフェルミオン56個の量子異常を特徴づけるコボルディズム不変量(ディラック演算子のη不変量)と一致することを見出した。  この量子異常の一致の理由付けとして,M5ブレーン上に実現されるE-弦理論(E8対称性をもつ5+1次元超共形場理論)の2次元トーラスコンパクト化による説明が与えられている。自己双対テンソル場を生じるテンソル相,E8-インスタントンによりE7対称性に破れたヒッグス相のそれぞれに対応してマックスウェル理論,カイラルフェルミオン56個の理論を低エネルギー有効理論の一部として実現できることが示されている。
 謝氏の寄与による,3+1次元マックスウェル理論と4+1次元BdC理論の対応に基づいた,直接的なSL(2,Z)量子異常の解析は,現代的な量子異常の理解に立脚し,幾何学とトポロジーを駆使した精緻なものであり, 謝氏の研究能力は評価に値する。このマックスウェル理論のSL(2,Z)量子異常は弦理論の無矛盾性において重要な役割を果たす。新たに得られたカイラルフェルミオン量子異常との対応関係は, 1+1次元カイラルボソンとカイラルフェルミオンの関係を一般化する,興味深い結果である。これらの点が高く評価された。