物理関連 (Physics)

 

クォーク / 南部陽一郎 / ブルーバックス 2020/1/4

ノーベル物理学賞受賞者による素粒子物理発展の非常に良い解説書。

加速器の例としてのテレビ。テレビの原理は、真空になっているブラウン管の中の電極フィラメントを熱して電子を飛び出させ1万ボルト程の高電圧をかけて加速し蛍光物質を塗ったスクリーンに衝突させ光子を飛び出させているが、これは加速器の原理の応用である。...基研の図書館にない!注文する必要がある。

湯川秀樹著作集 / 岩波書店

日本初ノーベル物理学賞受賞者による著作集。

1: 学問について 2020/1/3

微積は中世ヨーロッパのニュートンやライブニッツが導入したが、その他の地域でそのような極限計算が無かったかというとそうではなく、日本において同時代の関孝和が円周率の精密計算で極限計算を導入している。日本の和算には無限小解析の萌芽はあったといえるが、これを十分発達させることは出来なった。この理由として、湯川は天体観測や天文学が発達していなかったこと以外に、日本の技芸を秘伝する文化が技術の発展を妨げたのではないかと指摘している。

徐々に素粒子物理学が膨大な費用がかかるビッグサイエンスとなり個々人の研究者が物理学の進展の意思決定や認識主体になれないことに湯川は大きな問題を感じている。量子力学や相対性理論が成立し始める20世紀初頭根本的な変革が行われた時期であるが、その後の理論物理はテクニカルな研究が重視され形式的発展のみの恐ろしい貧困がありこれは物理学の老化であると指摘する。


物理学に志して / 湯川秀樹 / 養徳社 1944 / (2019/11/12-13)

湯川の物理観や生い立ち、精神や意識に関する哲学的な考察も書かれている。物理の解説は簡潔明瞭であるが、朝永との筆致の差異が著しい。このことの背景には湯川がいち早く周囲の人間に実力が認められ恵まれた環境を与えられ、かつそのことを自覚していることに起因するのではないのかと思われる。

困ります、ファインマンさん / R.P.ファインマン 大貫昌子訳 / 岩波現代文庫 (2019/10/6)

ファインマンはQEDにおける繰り込み理論の開発によって朝永とともにノーベル賞を受賞、また経路積分法の開発などの業績で知られる一方、ロスアラモスのマンハッタン計画で原爆製造の仕事に携わった理論物理学者としても知られる。1986年に打ち上げられたスペースチャレンジャーゴーの爆発事故の調査を行った際の詳細や氏の科学についての考えが率直な言葉でつづられている。朝永の本を読んだ時もそうなのだが、考え方にとても共感する部分が多い。どうしてこれほどまで理論物理学者同士で考え方が似るのか不思議であり、そもそも同質のものが集まった結果なのか、はたまた物理の教育や研究で感化された結果なのかは定かでない。

熱学思想の史的展開1,2,3 / 山本義隆 / 筑摩書房 (2017/3/2*-5/7)

文献を丁寧に辿った熱学史。熱力学を専門に研究したい学生は一度は読んでおきたい内容。一度で読み込むのは大変なので、何回か読みなおすのがよいように思う。

朝永振一郎著作集 / みすず書房

ノーベル物理学賞受賞者による著作集。本質的な事柄が平易な文章で語られており、共感を覚える部分が数多くある。

1: 鳥獣戯画 (2019/1/1)

自然科学者の非人情性。朝永はドイツ留学中、友人のインド人学生が雪の中で夭折した際にハイゼンベルグがその死を悼む言葉を一言述べるとすぐ数式を書き始めた切り替えの早さに異様な感触を覚えている。朝永の後の述懐ではこれは非人情であり、不人情とは異なるようである。非人情になっていくことが科学の特徴であり、科学だけでよいという問題ではないという。

インスピレーションはいつおきるかについて質問された朝永は、「パッとした閃きを生で論文にする人と、そういうパッとしただけじゃ、まだ科学とは言えないんだというんで、それを抑えて、そしてそこへいろいろな証拠固めのようなことをやって、そしてこれよりほかに考えようがないんだという形になるまで外に出さない人と両方ある」と述べている。(SY:これは論文のcreditが人によって異なることと関係しているように思う。)いずれにせよ、「あんまり生産的でないみたいであっても、考えるのをストップしちゃあダメ」だという。

研究費について、「日本の学問の欠点は純粋な研究を役に立たないものと決め込んで、機会を見ては無視したり、悪いときは圧迫したりする。これでは立派な研究は育たない。日本のような貧乏国ではすぐに役に立つ研究でなくては困るという考えもできるが、目前の安易な考えばかりでは、結局は日本のためにもならない。」と述べている。乞食根性で出すべき研究費さえ出さない日本の為政者は学問に対する考えを改める必要がある、と強い主張を述べている。「出すべき」という点については諸説紛々であろうが、その点について朝永の意見は次のものだろう:「特殊法人理研となり、そこの理事長に就任された長岡治男氏(故長岡半太郎博士の長男)が、先般欧米を視察してどんな制度が一番理想的かを研究した結果、語った言葉が教訓的である。「とにかく、よい人を集めることだ。」たしかにそれである。これは、よい人たちがそこへ行って研究したいという意欲をそそる環境を生み出すことが先決である、という意味も含まれているわけである。...研究にとって何より必須の条件は何といっても人間である。そして、その人間の良心を信頼して全く自主的に自由にやらせてみることだ。...」

12: 紀行と閑談 (2018/6/27)

対談「科学・技術・教育」は示唆に富んでいる。

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茅野 健:「...結局ね、重役さんはみんな明治の初めに生まれておるんです。それで研究の指導の仕方を知らんもんですから、研究はちょこっとやってみて半年でできるもんだと思っている。いざやらしてみたらこりゃいかんということになる。技術者の方は半期の間に成績を上げなきゃ首切られますね。半期の間に成績を上げるのにはもう図面を買ってくるのが一番ですね。図面買ってくりゃ、これはもういわゆる機械屋というエンサイクロペディックな人間さえくりゃあいいんですよ。だから本職の我々が会社へ行ったってちっとも重要視されませんよ。ただし人をくれるからということで重要視されているんですよ。...」
「ただ、なぜそうなっているかということは、考えてみると、日本の社会における価値判断がひっくり返ってることにあると思う。つまり文化というか技術、科学、そういうものを進めさせるということに高い価値を置く社会ならばそのようなことはないと思う。ところが価値のおき方が違うと思うんです。だから一番簡単にやるには図面を買うのが早いですし、それに、これから先は失礼な言い方になるんですが、いわゆる我々の方の専門の学者の方でも、とにかく外国語を読んで早いとこ、ごちゃごちゃとやった人がえらいということになっていますね。」
「...一番困る問題は、日本で新しいものを考えてやったらいいというんですが、それができないのです。日本でなぜできないかというと、それには二つの理由があるんです。研究者と設計者が両方ともいないんですよ。」
「...一番能率のいいのは聞くことですね...日本の研究というのは私は大部分は調査だと思うんです。そういうのではなく、本当に自分が新しい道を行ったときは、その人を他の人は知らなくとも、評価されるような社会が、学会が出てきまして、それから研究者が出てくるんです。それにはまたなかなか時間がかかりますから、それを待って会社の経営をやっていたのではダメなんです。そこでそういう研究者が評価される社会というものは、日本ではまだ無理だから、日本の中で箱庭のようなものを作りましてね。私の会社ではそうするんだというような箱庭システムしか方法がないと思います。...」
朝永: 「これはねえ、やっぱり箱庭システムというよりしようがないですが、物理なんかもそうでしょう。今でこそ偉そうなこと言ってるけど、やっぱり箱庭だったんだな。」
茅野: 「...たとえばついこの間の江崎ダイオードというのね、(SY:不純物濃度の高い半導体でp-n接合をつくることにより、逆方向から量子力学的効果により電流(トンネル電流)が流れるダイオード。この業績により江崎は1973年のノーベル物理学賞を受賞。本対談は1963年、江崎がノーベル賞を取る以前に行われている。)あれ江崎という人がトンネルダイオードを発見したんですが、どこの会社でも、どこの研究所でも、これは使い物にならないということになったんで、その人はPhysical Reviewかなんかに出して放っちゃっておいたんですね。そして二年か三年してなんかの学会で、あれはベルシステムでトランジスタを発明したバーディーンがほめたわけですね。ほめた演説をやってくれたわけです、座長としてね。これは大したものらしいと日本でも思って、それから日本でも勉強しだしたんですね。その時は大方応用面においては、おそらくアメリカが特許を全部取っていた。つまり日本は評価力がないわけですね。発明力はあるが評価力はない。私はやっぱり社会の評価ということは大事な問題だと思うんです。...」
朝永: 「江崎ダイオードの問題ですがね、僕はね、ソニーの社長さんといろいろ話し、事情を伺ったんですが、今おっしゃる通り、いろんな人にこれを使い物になるかどうか聞いたんですよ。ところがほとんどがダメなんです。...」
茅野: 「しかし日本で発明されたことに対して、我々は実績はないわけですね。実績のないものに対しては日本は従来弱いですね。」
朝永: 「これは僕も同感です。我々の方で湯川さんがああいう仕事をされたでしょう。それまでは自信がなかったんですよ。あの仕事だって当時実験の裏付けになるものは何もなかったんです。だから気の弱い人間だったらあれを一生懸命やって発表するところまでやったかどうか。一応アイディアがあってもね、あそこまでやらなかったろう。...ところがいっぺんああいうことがありますとね、その後の人間がいろいろと自信がつく。...やっぱりね、われわれは外人に対して劣等感というか、日本人はオリジナリティーがないんだろうという定説を我々自身が認めているからね。」
富山 小太郎: 「外国だったら論文読んでみても、偉そうに当たり前なこと発言しているが、なあんだと思うものもある。しかし日本ではそういうように変わったものを発言できないし、平凡なことも発言できない。日本の社会というものがもう少しのびのびと発言できるような、これは科学技術面だけでなくね、もう少しまともに当たり前の発言ができるような社会を作ることが必要じゃないですか。」

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科学や技術に関して目利きがいない、という指摘は本質的である。日本だけでなくアジア諸国にも全般的にこの傾向があると思われる。

9: マクロの世界からミクロの世界へ (2018/1)

オーロラの原因になる宇宙線のお話。 宇宙線の大部分(80%)は陽子。 宇宙線が電磁波ではなく荷電粒子であるということが分かった理由は、緯度によって宇宙線の強さが異なることが観測されたからで、宇宙線の強さは、赤道へ近づくほど弱く、極に近づくほど強くなる。この理由は、地球に近づく1次宇宙線粒子が赤道に近づくにつれ地磁気によってより跳ね返され極の方に集まってくるから。

ケクレがベンゼンの構造が正六角形であると推測した方法は以下のように化学的で、物理学者が用いる方法(例えば、ラウエによるX線干渉構造解析)とは異なり、化学者の推理の力に驚かされる。

  1. まず成分分析をしてC6H6であることを突き止めた。
  2. ベンゼン分子の6つの水素を他の元素(例えば、塩素Cl)と置換し、水素の性質、どの水素が離れやすいか、他のもので置き換えられやすいか、などを調べた。
  3. その結果、全ての水素が同じ性質を持っていることが判明したため、水素が対称に配置された構造、すなわち正六角形構造をしていることを予想した。

放射能の効用。トレーサーとして放射能の利用。3.11の大震災で福島原発事故が起こった昨今、放射能は忌避の対象になりがちであるが、利用できるものはうまく利用していくのが賢明だろう。

3: 物理学の周辺 (2017/7,8)

一般の人が物理学を苦手にする理由の一つが、ものの考え方が常識的な考え方と違っているところがある。例えば、19世紀から20世気にかけて電子一粒一粒を細かく実験的に調べたイギリスの学者J.J.Thomsonは電子が粒子であるということを明確にしてノーベル賞を受賞した一方で、その息子のG.P.Thomsonは陰極線から飛び出してくる電子が波のように振る舞うことを示しノーベル賞を受賞した。電子が粒子のようにも波のようにも振る舞う、というのは常識的には分かり辛い。

ノーベル賞メダルには、naturaと書かれたヴェールを被った女神が中央にいて、そばにscientiaと書かれた女性がそのヴェールをもちあげて女神の顔を覗いている模様が描かれている。すなわち、自然の女神はヴェールで被われていてその素顔(普遍的法則)をなかなか見せたがらないが、scienceはその覆いを剥ぎ取って(dis-covor)その素顔を見出そうとしている。これは自然に対する冒涜で乱暴な営みである、と感じられるかもしれないが、実験を基礎に据えた物理学というものはこのような性質をもつことは避けられない。ただ、物理学にはヴェールを剥ぎ取ることでその普遍性にせまる方法以外にも、気象学を含む地球物理学や天体物理学など、対象をそのままにして研究をする分野もあり、このような分野も重要で存在意義がありより関心を払っていく必要があると朝永は言う。

(昭和薬科大学にて)薬は我々の生活になくてはならないものであるが、同時に薬は毒にもなり副作用もある。科学や物理学も大体毒があるものだということを認めた方がいいのではないか。科学は薬のようなもので副作用のない薬がないのと同様、科学の使用にも常に副作用が伴うと考えるべきである。だから、いかにその毒性、副作用を小さくするか、副作用が出てきた場合にそれをどのように治療するか、を考えながら科学を進めていくことが重要である。

10: 量子電気力学の発展 (2017/5/5)

量子力学が輸入されだした当時の日本の状況、湯川と朝永の学生時代に関する対談など。

朝永は学生時代、Schrodingerの波動関数を勉強した際、Lagrange描像で見るべきかEuler描像で見るべきか悩んだが、湯川はEuler描像で考えるべきだという信念をもっておりヘリウムのエネルギー準位の計算を行い実験と良く一致した。その計算は実はHartree近似に他ならなかった。関連して、Heisenberg-PauliのQEDの量子化が出てきた辺りからDirac方程式は一体問題に対するSchrodinger方程式と考えるよりむしろ場の方程式と見るべきだという空気になってきた。実際、電磁場は一つの光子に対するSchrodinger関数と見ることはないのと同じで、Dirac方程式を(Lagrange描像による)一体粒子を記述するものと考えると負のエネルギーをもつ粒子の存在が予言されてしまいユニタリティーの要請から迂闊に捨てられないので悩まされるが、(Euler描像による)場の方程式と考えれば「空孔理論」を用いることが可能となり、真空の定義で解決できる。

7: 物理学とは何だろうか (2017/1/*-28)

朝永による物理学黎明期からの物理の発展の詳細な解説。名著の誉れ高くよく書けていてかつ非常に面白い。文献引用もページ番号含めしっかり行われている。自分の物理学史のまとめノートを作る際にも参考にした。技術と科学の関係についての著述があったのでまとめておく。

  1. 18世紀における熱力学体系の発展が蒸気機関という技術上の発明から展開された。技術が科学の新展開をもたらした非常に良い例。技術から提出された問題の枠をはるかに超えて化学、生物学、宇宙論を含んだあらゆる分野に拡大した。
  2. 19世紀後半になると、逆に物理学から新しい技術が生まれる例が多く出現。ファラデーの電磁誘導の法則の発見からジーメンスによるダイナモ発電機の発明、マクスウェルの電磁場の方程式からマルコーニの無線電信の発明など。20世紀に入ると、半導体の研究はトランジスタをもたらし、ウランの核分裂の発見は原子力技術を生み出した。(SY:放射線の発見は、放射線にまつわる技術(放射線医療など)を生み出した。)
  3. 物理学の発見から技術につながるまでの時間は、現代に近づくにつれ短縮される。電磁誘導の法則から発電機は35年、電磁波から無線電信は25年、トランジスタはほぼ物理と技術の密接な関係で実現し、核分裂の発見から原子爆弾ができるにはたったの5年である。この科学と技術の距離の短縮が現代において科学と技術が表裏一体のものとみなされる背景にある。

11: 量子力学と私 (2017/1/*,5/28)

量子力学が発見された当時の日本の状況の説明。Diracの多時間理論とは、Lagrange描像において、時間を各粒子ごとに割り当てることにより波動関数を相対論的に共変な形式にする理論で、超多時間理論はこれをEuler描像で行って、空間の各点に時間が付与された波動関数を考える。このときの空間は、space-likeにしておく。(SY:超多時間理論とは、今日相対論的場の理論と呼ばれるものにおいて場の代わりに波動関数を基本的対象と考えたものに相当すると考えられる。)

超多時間理論から繰り込み理論までの道のり: 酒田のCメソンの導入による無限大を相殺するアイデア、超多時間理論により計算が簡略化されダンコフの計算における縦波が寄与する項が見落とされる間違いを発見、これにより散乱振幅と自己エネルギーの無限大が同じ起源をもつことが分かり、これでいろいろあった無限大が質量の中に一つの無限大を導入すれば相殺することの発見につながった。経路積分が開発された今、くりこみ理論を理解することは難しくはないが、当時は場の量子論の発散の処理はHeisenbergが「蛇が自分のしっぽを噛んだようになる」などという表現から察するに、あまり理解されておらず混沌としていたのだろう。 いずれにせよ、簡明かつ系統的な計算法を見つけることは計算間違いの発見を容易にさせるだけでなく、正しい概念にたどり着くために非常に重要である、というよい教訓である。

5: 科学者の社会的責任 (2017/1/3)

パグウォッシュ会議の詳細。どうしたら「恐怖の心理」から軍拡競争を止めることができるか。核軍縮条約締結は可能だが、その履行は査察を伴う必要があるためそれは「国家主権」なるものにより阻まれ困難になる。核物理学者シラードは核抑止理論として「最小限抑止理論」を掲げるが、これは戦力が均衡している場合にのみうまくいく。科学技術に進展があると再び軍拡競争のスパイラルに戻る。

恐怖の心理は競争に負けることへの恐れとも言え、大なり小なりどこでも起きている。企業間の競争、子育て競争etc。競争に何がなんでも勝とうとする人々は不正すら厭わないことは、ロッキード事件やウォーターゲート事件など暇がない。

朝永の考え方は核は完全に廃絶すべきというもので、理想を追い求める立場である。2015年の集団的自衛権の立法の際の益川氏の立場も理想主義的だと感じた。どうやらノーベル物理学賞をとるような理論物理学者は極めて理想主義的であるようである。自分は彼らほど理想主義的ではないように思う。

4: 科学と人間 (2016/12/31)

朝永が各地で講演したものを筆記したり投書したものをまとめたもの。そのため各章で内容に多少のダブリがある。率直に言って、物理学者は似たようなことを考えるのだなと思った(もちろん細部ではいろいろ違いがあるが)。そのためもあってか、読みやすく朝永の意見には概ね同意であった。科学の社会における役割について。ギリシャ神話に登場するプロメテウスが人間に火の知識を与えた罪、アダムとイヴが教えに背いて知恵の実を食べた罪、人類が原爆の構成法を知った罪(オッペンハイマーは原爆が完成した際"The physicists have known sin, and this is a knowledge they cannot lose."と発したとされる)の類似性。科学が、純粋な知的営みと人間生活に役立てようとする技術的、政治的営みとが切り離せなくなっているなど。