学術研究の進め方


最近、頭もよく知識もある人で、しかも、かなりの労力を必要とする 計算や作業をしていながら必ずしも論文としてまとまった研究の多くない人 たちのいることに気がついた。そういう人たちには共通して何かが 欠けているような気がする。そのような人たちに向けてのアドバイスが 以下の文章である。

2002年3月30日


研究は新しい知識を作り出すことである。 論文は、その新しい知識を人類の既存の知識体系の中に組み込むための 媒体である。研究は論文を書くことを目的としてなされるべきである。 少なくとも職業的研究者あるいはそれを目指す者はそう肝に銘じて おくべきである。したがって、研究者は論文を構成する要素は何かに ついての感覚を身につけておかなければならない。 そうであれば、 日々の研究活動はその要素を満たすための作業となるはずである。 そして、一つの研究は論文として結実してはじめて完結する。

それでは、ある文章が論文であるための本質的要素は何であるのか? それは、もちろん新しい知識を含んでいるかどうかである。 しかし、この「新しさ」と「知識」が曲者である。

「新しい」とはもちろんこれまでに誰もそのことを言っていないということ である。この「新しさ」こそが論文の命である。 しかし、それは知識としての新しさでなければならない。 ある事実が一つの知識として新しいと言えるためには、 前提として既存の知識に対する体系だった理解が不可欠である。 新しいと言えるには(1)それが体系内の新しい要素であること、 あるいは、(2)体系そのものの変革あるいは新しい構造の発見で なければならない。

一つの研究テーマで研究をはじめるときには、このいずれかの意味で そのテーマの新しさを自覚しておかなければならない。 それは、よく言われる、「研究をはじめるときには、その研究の論文の Introductionが書けなければならない。」ということの説明を与える。

「以上」