理論物理学の現状と望まれる理論物理学の研究所のあり方


以下の文書は理論物理学の現状に対する私見および今後理論物理学の研究所に 期待される構成要素について思うままにつづったものである。 基礎物理学研究所とは何ら関係のない文書であることをお断りしておく。

国広 悌二

2001年5月(2002年1月改訂)


物理学の研究、特に、その理論的研究の基本分野は、 物質の各階層に対応して素粒子、原子核、物性、宇宙の物理学、また、一方で これらの階層を貫く物理学の基本的方法として、場の理論、統計物理学、あるいは 非線型、非平衡物理学と大きく分類することができる。 しかしながら、研究の発展により、 各階層の固有の法則の解明の段階から、その研究の深化により、むしろ、各階層における 法則の対応関係および階層をつらぬく普遍性が注目されるようになった。 この対応関係およびその普遍性の認識は各分野の研究を発展させるだけでなく、 新しい研究分野をも生み出す動機づけにもなっている。

コンピュータの発達を含む実験や観測手段の大いなる発展により、 現代においては、自然科学、工学、社会科学等を含む人間の知的な営みは かつて人類が経験したことの無いほどの速さと広がりを持って進展しつつある。 このような人類の新しい「経験」は、科学研究の 新しい分野を創出しつつあり、この傾向は 今後ますます強まるであろう。このような状況においては、 理論物理学はこれまでの「もの」に即した研究だけでなく、 これまでの研究で培ったその強力な方法、すなわち、数理的方法、 普遍性への希求等により、たとえ「もの」を離れた科学の 分野においてもそれを理論物理学の新しいフロントとして包摂し その前線を拡大しつつある。

熱の物理学から発展した統計物理学は自然現象における確率過程として記述することの 有効性を示したと言える。社会現象のなかには、例えば経済活動の一部のように 自然的過程として捕らえることができるものがある。そこに確率過程の存在を同定する ことにより「経済物理学」と呼ばれる分野が現在 生れつつある。 様々の階層の法則が絡まりあっているためにこれまでの物理学の方法あるいは認識 の枠組みが必ずしも有効になり得ないシステムが物理学の新たな研究対象と して注目され、「複雑系」と呼ばれている。 「複雑系」の研究の対象は自然現象だけでなく工学や社会現象も含み、 今後、その範囲はいくらでも広げていくことが可能である。 しかしながら、「複雑系」を対象とした科学的な営みが物理学あるいは何らかの 学問的基準を持った知的営みとして定立しうるかどうかは今後の 展開を俟たざるをえない。

研究の更なる深化のみならず、このような全く新しい 研究分野の創出あるいはその進展を促す舞台として研究所が中心的かつ 先進的役割を果たすには、組織的保障を行うことが必要である。 すなわち、これまでの ような狭い分野に分けられたものではなく、よりはゆるやかな研究組織に改変し、 新研究分野の創出やその進展に 柔軟かつ迅速に対応し、且つ、総合的に研究する体制を確立すること事が 望まれている。

コンピュータの発達は理論物理学の方法自体を根本的に変え、計算物理学と 呼ばれる分野がすでに確立しつつある。今後の 理論物理学の研究においてはどの分野においてもネットワークを 含むコンピュータの有効かつ体系的な活用 は不可欠である。 また一方で、量子計算機の理論の例でも 分かるように、理論物理学は計算の物質的基礎理論として コンピュータの全く新奇の技術の「芽」を育む可能性が大いにある。 このように、21世紀の理論物理学の研究所としては専門の物理学研究者 を含む部門として計算物理学関連の部門を有することが望まれる。

アイデアの交換をその創造活動の中核とする理論物理学の 研究では、国際交流の必要性および重要性は新しい分野の創出、発展が予想 される今後において、 ますます増大していく。 理論物理学の研究所の国際交流を充実し、 国内を超え世界的な理論物理学のセンターとして、 名実ともに世界の中心的研究所とするためには、専任のスタッフを 置いて国際交流の部門を充実させることが望まれる。 「以上」