しかしながら、或はそれ故というべきか、物理学はかつての輝きを失いつつある 様に感じる人も多いだろう。それは過度の成功によって完成されたと思われる学 問分野の宿命なのだろか。また文系の諸君は物理学と無関係に暮らす事は可能な のだろうか。本講義では文系の諸君のために現在の物理学の現状を紹介し、現代 社会における物理の役割を紹介し、物理学の発展の歴史、及び日常の物理を紹介 することを目的とする。
そもそも物理学の進歩が終りに近いという事は正しい事なのであろうか。 一般的な反論をする前にちょうど100年前の事を思い出したい。 1900年4月27日、ケルビン卿は王立研究所で「熱と光の動力学理論をおおう19世紀の 暗雲」という講演を行った。彼はその難問を以下の様に表現した。
熱と光を運動の一形態として説明しようとする動力学理論の美しさと明晰さの上に、 いま、19世紀の2つの暗雲がおおいかぶさろうとしている。そのひとつは、フレネルと トマス・ヤング博士によって論じられた光の波動論に関する問題である。すなわち、 地球が光エーテルのような弾性固体の中をいかにして運動するのかという疑問である。 もう一つは、エネルギーの分野に関する マクスウェル・ ボルツマン理論である。 (Philosophical Magazine, 1900, July: 翻訳は小山慶太「異貌の科学者」(丸善1991) による)ちょうど100年前の物理学の状況についてはいずれ詳しく説明する機会があるで あろうが、ここで最低限の説明を試みる。ケルビン卿が触れた最初の暗雲は光の 本質は何かという事に絡んだ問題であった。ニュートンは光は粒子であるとして いた。 しかし、1803年に表記のヤングが光の干渉実験を行った。また1818と21年での フレネル が光が障害物の後ろへ回り込むという回折の理論の提出と実験の成功に至って、 光は波であることが揺るぎ無い状況になっていた。しかし光を波としたとき、 媒質が必要となる。これは音は真空中で伝わらないのと同じ理屈であって、一般 に媒質なしには波は伝わらない。そのためにエーテルという仮想的な媒質が考え 出された。(化学物質のエーテルとは関係ない)。その一方で光は横波で、 圧縮波である縦波は存在しない事も分かっていた。弾性固体という表現でその圧 縮できない固さを表現している。宇宙空間にそのような固い物質が充満している というのもおかしな話であるが、当時はその存在を疑う者はいなかった。しかし 多くの研究者の努力にも関わらずそのエーテルの存在を示す証拠は見つからず、 それどころか否定的な結果が出始めて来た。特に1887年のマイケルソンとモーリー の実験は有名である。彼らは地球が絶対静止空間に充満しているエーテル内を運 動するとすればその中を伝播する光が進む方向によって速度が違う筈であると考 えて高い精度の実験を行ったが、そのような光の速度の違いは発見されなかった。 この矛盾を解決するのは云うまでもなくアインシュタインの相対論である。
一方、ケルビン卿の後者の暗雲は気体分子運動論に基づくエネルギー等分配則の 問題である。例えば鉄を熱すると、最初は赤く、温度が上がるにつれて、白色、 青と変化していく。高温になるほど青く光を放つ訳であるが、それをもっと定量 的に電磁波のエネルギーが電磁波の波長(あるいは周波数)のどのような関数にな るかという事が当時大問題であった。特にマクスウェルやボルツマンの古典的な 理論ではどうしても説明がつかなかったのである。ケルビン卿の講演から8ヶ月 程後に プ ランクが量子仮説 を導入し、量子力学の道を開いた のは皮肉な事に1900年のクリスマス前(12月14日に投稿)のことであっ た。まさに20世紀に向けての人類へのクリスマスプレゼントであったのである。
このように1900年のケルビン卿の予言の裏にあった連続体的自然観に基づく物理 学の完成への期待は完全に外れたが、同時に的確な問題点を認識していた慧眼に は感嘆の他はない。
1900年のケルビン卿と同じ様に物理学に終りがあるであろうことを明言したケー スがその後に少なくとも2回はあった。1925年にハイゼンベルグがプランク以来 の古典的な量子論をいわば第一原理的に説明する量子力学を提唱して後、爆発的 に物理学は発展していった。その興奮の嵐の中で 1920年代後半に量子力学の建設に主要な役割を果たした マックス・ボルン (量子力学の定式化で1954年ノーベル物理学賞受賞)は 「6ヶ月以内に物理学は終ってしまうだろう」と熱っぽく語った。しかしほどなく ポール・ ディラックが特殊相対論と量子力学を結合させたディラック方程式を提出し (1928)、陽 電子等の予言と発見等から物理学は更に極微の世界へと発展していった。
1980年に車椅子の天才ホーキングはケンブリッジ大学の ルーカス数学教授職の 就任の際に Is the end in sight for theoretical physics? (理論物理学に終りは見えて来たか)という刺激的な講演をしている。 彼はその講演の冒頭で「理論物理学の目的は遠くない将来、今世紀の終りには達成され ているかもしれない、と語っているのである。勿論、森羅万象が物理の対象であ るので終局は原理的にあり得ないのであるが、彼が目的としているのは観測可能 な物理的相互作用が完全で無矛盾な統一理論によって記述されることであった。 この際、問題になる相互作用は重力、電磁気相互作用、弱い相互作用、強い相互 作用の事を指 す。前2者は問題ないが、後2者はおそらく耳慣れない言葉であるであろう。弱い 相互作用と強い相互作用はいずれも素粒子間の相互作用として発見されている。 強い相互作用はハドロンと呼ばれる核子(陽子、中性子等)間に働き、湯川秀樹に よって初めて導入された。また弱い相互作用は光を除く全ての粒子間で働くが、 空間反転や時間反転に対して不変ではなく、そのプロセスの中で保存しない量も 多い。ホーキングの講演の背景に素粒子論における標準理論が70年代初頭に完成 し、電磁気相互作用と弱い相互作用(電弱相互作用と呼ぶ) は統一していた事、またグラショウ等によっ て提唱された大統一理論によって強い相互作用も統一できるのではないかと思わ れていた事、その前年に電弱相互作用の統一でワインバーグとサラムがノーベル 賞を取り、同時に大統一理論の提唱者であったグラショウも受賞の栄誉を担った 事による。すなわち後は重力だけであるという熱気に満ちていた時代なのである。 そしてホーキングの研究はまさに量子重力、すなわち重力を量子化し、他の 相互作用と統一しようというものに捧げられていた。そもそも重力と電磁相互作 用の統一はアインシュタインが後半生を捧げて報われなかった研究内容である。 1979年がアインシュタイン生誕100周年であった事もあり、熱に浮かされた様な 状態にあった。
1985年前後のスーパーストリング騒動はまさにホーキングの慧眼を窺わせるに足 るものであったが、その後の推移はむしろ統一理論の完成には程遠く、大統一理 論も大いに問題があるのではないのか、というところまで後退した。 その一方で素粒子論が実験ではとても観測できないエネルギー領域を理論だ けで議論しようとする問題点も次第に明らかになり、また同時に巨大加速器の建 設計画の挫折等から素粒子論が急速に求心力を失っていった。勿論、現在でも宇 宙論と融合して、最も基本的でかつ人気のある研究分野であることには変わりは ないが物理学の多くの分野の中の(人気のある)一つになってしまった感は否めな い。また、少なくとも相互作用の解明とそれに伴う理論物理の終りは見えて来ない。
このようなある意味で不遜な態度が取れた背景には不遜さを裏付ける実績と自信 があったのである。例えばマンハッタン計画においてアメリカの物理学者が中心 になて原爆をつくり出し、やがて物理学者が水爆を発明し、原子核という極微の 世界が単なる学問的な意味を超えて冷戦構造を支える恐怖の象徴として君臨した。 そしておそらくは冷戦の終りと最近の物理をとりまく物憂げな風潮は無関係では ない。少なくとも核物理学者はパトロンを失ったと云える。
こうした政治的背景とは別に物理学が直線的に成長することにいろいろな問題が 生じて来たことも事実である。実際、現在の状態は幹だけが伸びている木の様な ものである。葉がなければどんなに高い木も枯れてしまう。確かに背が伸びる事 は成長期には必要ではあるが、枝葉を広げて大人として成熟することも必要なの である。本講義でおいおい触れて行く様に身の回りの現象を説明することは実は 素粒子論とは無関係な事であり、またそれ故の難しさがある。例えば東京タワー から落したお札がどのような振舞をして何処に落ちるのかは現在の科学では予言 できない。こうした問題に真面目に答えて行く事が今後物理学として重要になっ ていく。
例えば、影響力のある科学史家である村上陽一郎氏は岩波『図書』の連載「科学哲学の窓」で次のようなことを書いている (1999年3月号58-59頁):
彼は本気でこんな事を書いているのではないと信じる。割算をすれば0.1/0.1も 0.00000001/0.00000001も同じ1である。そもそも村上氏は微分が速度に対応して いて移動距離に対応していないことを意図的にか剽窃している。(云うまでもなく、移動 距離は時間幅に速度をかけたものであり、時間幅をゼロにすればゼロになる)。 または幾何学的に接線を引けるかどうかという問題である。勿論、数学の歴史の 中ではより真剣に連続関数の定義や、微分可能性は議論され固まってきたことで あるが村上氏の議論はあまりにも稚拙で、そのレベルに達していない。 この事自体は村上氏の筆が滑べったためとすれば済むことであ るが、問題はこの一文に触れた読者が彼の云う事を鵜呑みにして今まで築き上げ てきた科学の成果を安易に否定してしまうことであ る。瞬間速度という概念が、微分という便宜的な算法を使わずには成り立たない、あるいは概念上の困難がある、ということを前回に述べた。日常的な考えに従えば、速さという概念は、あくまで一定の時間が定義されたとき、その時間内に移動する距離との比 によって与えられるものだからであり、「瞬間」である限り、そこには一定の値を持つ「時間」が定義できないからである。それを微分を使って切り抜けて、見事に成功をおさめたのが、近代力学であった。しかし、そこに争い難い問題が残ることも確かである。
それは結局時間幅をゼロに近付ければ移動距離もゼロに近付くはずなのに、移動距離のほうだけはゼロにならない、という微分の言い抜けである。
これに対して正面から取り組んだ故大森荘蔵は、このような幅のない時間点の上に立つ瞬間速度という概念の、概念上の困難を真正なものとし、そこからの脱却を主張しよう、というのだから、ことは穏やかではない。
安易な否定はまた安易な肯定とも繋がる。諸君はそういった安直な態度を取らな い様にするためにも現代の物理学の考え方を理解する必要があるのである。