物理学概論:早川尚男 (京都大学大学院人間・環境学研究科)


はじめに
2000年という記念すべき年に物理学概論という文系向きの講義を初めて担当する ことになった。子供の頃には2000年というのは遠い未来という印象がなかった。 これは私だけのことではなく世間一般にそうだった。1970年に私は小学2年から3年に なったのだがその当時に事を思い出すと現在と余りに違いがないことに愕然とす る。勿論共産圏が崩壊するなど世界史的事件はそれなりに起こっていたが、翻っ て庶民の生活にはあまり変化がない。また科学技術の進歩は完全に停滞したと言 えよう。

1970年はどういう年であったか。日本では万博があって延べ6500万人もの人が大 阪千里丘陵を訪れた。69年にはアポロ11号が月に着陸している。ジャンボジェッ ト(B747)の就航も同じ年である。コンコルドは数年後に就航したが遂に超音速飛 行は一般的にはならなかった。ICBMは標準配備され、原子力発電は既にいくつも あった。大学では学園紛争に明けくれ、アメリカはベトナムで泥沼にはまって、 中国では文革の嵐が吹き荒れていた。

政治的な事まで書いても仕方ないので物理の絡んだ科学技術に話を限定しなけれ ばならない。それにしても70年前後の将来像は今から考えるとほほえましい。例 えば1980年には(原子力ロケットで!)火星に有人飛行がなされている筈だった。 原子力ロケットというのは水爆の反発力で前進するという危険きわまりないもの であったが子供の絵本には必ず描かれており、私などは無邪気にその普及を信じ ていた。1985年にはリニアモーターカーが東京と大阪の間を走っている筈だった。 これは小学校で配られる地図帳にも書かれていた国家的な予測であった。2000年 にはエアカーが走り回っている絵がよく子供の図鑑に描かれていた。1969年の NHKの人形劇(ひょっこりひょうたん島の後継)は空中都市008というもので宇宙ス テーションで暮らしている子供たちの話であった。キューブリック監督の伝説的 な「2001年宇宙の旅」もその頃の作品であり、さすがによりリアルであるが木星 への有人飛行は到底ありえない。コンピューターは長足の進歩を遂げたが、映画 のような反乱を起こすコンピューターもない。原理的な面ではノ イマンやチューリングの作った枠の中にあるように思える。 2003年には鉄腕アトムの誕生ということになっていたが、勿論、それほどの知能 を持ったロボットはない。産業用ロボットが珍しくなくなったが知能は幼稚であ り、歩くということに四苦八苦しており子供の頃の未来像からは程遠い。

1969年は一般の人には宇宙時代の幕開けに映ったかもしれないが、NASAの職員や 専門家にとってはむしろフロンティアの消滅と捉えられたかもしれない。実際、 NASAはアポロ計画の終了と共に職員の大量解雇を行っている。現在のスペースシャ トルというのが高々地球の周りを回っているのに過ぎないのに昔は月に何回も行っ ていたというのは驚くべきことであり、そのことだけを強調すれば宇宙に対する アプローチは退歩していると言っても差し支えない。実際、技術的にも進歩はな く旧来の液体燃料ロケット等を用いている。航空機はもっとひどいかもしれない。 ジャンボはあまりにも完成されていたので世界中を席巻した。超音速旅客機はあ まりにも経済効率が悪く、我々は恩恵に浴していない。わずかに大西洋を飛ぶの みである。意外にも高速鉄道はやや進歩が見られ、新幹線の210km/hがTGVと新幹 線の300km/hに引き上げられた。TGVは515km/hを試験走行で実現している。これ とて技術のみで原理的な進歩ではない。むしろ在来型の鉄道で500km/hで走って しまったことでリニアモーターカーは殆んど実用価値を失ってしまった。そもそ も500km/hという中途半端な速度が必要とされているのかも疑問である。

一方、科学技術の負の側面も70年頃から問題となっていた。当時、公害列島とまで言わ れ、水俣病、四日市喘息、イタイイタイ病等が人々を蝕んでいた。やがて公害は かなり改善されて、環境問題は一時下火になったが今はまた温暖化や環境ホルモ ンの問題が世間を賑わせている。環境問題の中でも温暖化を指摘する論文は当初 物理の雑誌に発表された。むしろ30年前は氷河期がやってくるといったような寒 冷化の問題が専ら懸念されていた。実際どちらに転ぶか今の時点でも確定してい ない。というのは現在の平衡点の安定性はどの程度でまた別の平衡点がどこにあ るのかはまだ分かっていない。一般的には寒冷化の方が温暖化よりは脅威であろ う。また20世紀にはいって徐々に暖かくなってきているのも確かである。

雑談風のこのノートはどんどん脇道に入って行こうとしているがここで強調した いのは1970年頃を境にして科学の直線的な進歩が止まり、質的に違ったものが現 われて来たという事である。本講義の対象である物理学はまさに20世紀の象徴で あり、70年迄の直線的進歩とその後の成熟(或は停滞)を示す学問分野と言っても よい。70年前後に何があったかと言えば素粒子論では標準理論がくりこみ 可能である事の証明とその完成であり、物性では臨界現象へのくりこみ群の応用 であった。その後、物理学の中で求心力を持った話題が減り、その結果、専門化 が進むにつれて物理の一体感が失われていったように感じる。少なくとも物理学 の持つ社会的影響力の低下は顕著であり学問の王の場を滑り落ちようとしている。 その事は物理学が最早不要になったという事を意味するのではなく、信頼度の高 い学問分野として確立し、現代文明を支える基礎となっている。謂わば常識なの である。従って文科系の諸君にも物理学の現状を概観することは必須であろう。

本講義では物理学の歩みと現状を概観する。ちょうど100年前にケルビン卿の有 名な講演があったが、その講演の後にどのような発展があったのかを紹介する。 特に相対論と量子論の考え方や発展の歩みをアインシュタインの考えた事を横糸 にとりながら紹介していこう。またその両者の応用問題である宇宙論、素粒子論、 固体論等の発展を紹介したい。

以上がほぼ前期に予定されている講義内容である。一転して後期では古典物理の 発展史と日常における物理学を講義する。例えば野球の物理、鳥や飛行機は何故 飛べるのか、熱とは何か、摩擦について、非弾性衝突について、散逸と時間反 転対称性の破れについて等を講述する予定である。また原子論をめぐる興味深 い論争にも触れたい。古典物理の重要性を再認識させたのはカオスの登場かもし れない。カオス、フラクタルや複雑系といったモダンな名前のついたものはどう いった意味を持つのかという事にも触れよう。またそれと絡んで天気予報があ たらない理由等についても触れられるだろう。

以上の内容は普通物理学科の学生が大学院に行くまでに学ぶほぼ全ての事の内容 を包括している。従って全てのことを週1回の講義で完全に理解するのは不可能 であるし、文系の諸君には不必要な事である。しかし雑談風物語としては物理学 は充分に魅力的な題材であり、その概観を知っておいても損はないと思う。


  1. コンピューターの名前はHALであり、製造された場所はUrbana-Champaignであっ た。言うまでもなくHALはIBMを一文字づつずらしたものである。一方、 Urabana-Champaignはシカゴの南、約200kmにあるイリノイ州の田舎街(人口約10 万:正確にはUrbanaとChampaignは別の街であり、Urbanaの人口は3万程)である。 そこにはUniversity of Illinois at Urabana-ChampaignとMathematicaで知られ るWolfram Research Inc.,がある。