基研研究会「熱場の量子論とその応用」−セッションレビュー

京都大学 基礎物理学研究所 湯川記念館 Panasonic 国際交流ホール、 2012年8月22-24日


研究会の目的

 本研究会は、「熱場の量子論」を道具とするさまざまな分野の研究者が一堂に集まり、分野の枠を越えて研究対象に対するより深い理解の獲得を目指す分野横断型の研究会である。「熱場の量子論」は、素粒子・原子核・宇宙物理から統計物理・物性物理・量子光学までの幅広いエネルギースケールの物理分野で使われており、熱・化学平衡量子場系だけでなく、非平衡量子場系までも研究対象としている。また「オーダーパラメータ」「揺らぎ」「対称性の自発的破れ」といった概念は、広い分野で使われている基本概念である。「熱場の量子論とその応用」をテーマとした基研研究会は、モレキュール型研究会及び「有限温度・有限密度場の量子論とその応用」研究会を含めて、2012年度で18回目となった。ユニークな分野横断型研究会として、特に最近では参加者数が100人を越え、分野内の研究者の議論の機会はもちろん、異分野の研究について理解する貴重な機会を提供している。その結果、現象を捉える視野を広げ新たな研究の足掛かりを築くきっかけを与えてきたと考えている。
 2010年にCERNのLHC実験がスタートし、ハドロン散乱に加えて重イオン散乱のデータが報告されてきている。ブルックヘブン国立研究所のRHIC実験から得られたクォーク・グルーオン・プラズマ(QGP)に関する理解が、より高いエネルギーで確認されることになる。これらの新しいデータを通じて、QCD物質の高温状態と重イオン反応における系の時空発展に対する知識が深められると期待される。また、計算機による格子QCDの数値シミュレーションの分野でも、現実のクォーク質量でのシミュレーション結果や有限密度系に対する新しい技術など、注目すべき成果が得られている。さらに、レーザー技術の発達によって高強度電磁場が作られるようになり、高強度のもとでの散乱や粒子生成の問題が、実験的測定を視野に入れて議論され始めている。一方、低エネルギー領域では中性原子気体の実験が盛んに行われており、擬ギャップ状態の観測やFeshbach共鳴を利用した強結合領域でのフェルミ原子気体と強結合QGPとの類似性も指摘されている。また、冷却フェルミ原子の実験を通して中性子物質の性質を理解する試みも始まっている。今後ますますこれらの研究分野の発展が期待されている。この研究会を通して、それらのことを総合的に議論し、異なる分野の持つ知識を学び、活用することが本研究会の目的である。

研究会の成果

 各トピックごとのレビュー講演、一般講演そして学生講演という3つの講演形式で構成されている。熱場をキーワードに多岐に渡る研究成果が報告され、分野を横断する活発な議論がされた。以下では各セッションごとの成果をまとめる。

【1日目】

 午前のセッションでは、まず研究会の前の週に開催された国際会議Quark Matter 2012におけるハイライトが紹介された。引き続いて、古典Yang-Mills系における熱化過程、またバリオン数の中心値から離れた値における分布、Kadanoff-Baym方程式を用いた膨張系におけるスカラー場の熱平衡化が議論された。
 午後のセッションでは、まず有限温度摂動論に関するレビュー講演が行われた。熱力学量などの静的な物理量と、スペクトル関数や輸送係数といった動的な物理量の双方について、有限温度摂動論による古くから最近までの研究が紹介されたほか、南部-Goldstoneモードに関しても議論された。次に、有限温度におけるフェルミオン場の集団運動として知られるplasminoとplasmaronについて、両者の類似性と相違点を論じる講演が行われた。
 続いて、超弦理論に関連した3つの研究が報告された。AdS/CFT 対応を利用した研究では、超弦理論の古典解から示唆される新しい形の非平衡定常状態の可能性の議論と、重量子に対して希ガス近似を適応することによって有限密度系に拡張された酒井-杉本モデルにおける気液相転移の議論がなされた。また、超弦理論自身を有限温度に拡張子して開弦や閉弦の有限温度状態を考え、D9-反D9対の生成によって励起状態を記述する、超弦の有限温度理論が議論された。
 そして、1日目の最後には学生講演セッションがあった。この数年講演申し込み数が増加しており、2009年度から3日間の日程で口頭発表にて収容しきれなくなり、学生講演セッションを設けている。このセッションでは、発表を希望する博士課程2年生以下の大学院生に対して3分間の口頭講演とポスターセッションでのプレゼンテーションを行ってもらった。ポスターは初日から最終日まで1階のロビーに掲示し、ポスターセッション以外の時にも自由に見られるようになっている。参加者は14人にのぼり、冷却原子、相対論的粘性流体、非平衡場の理論、フェルミ液体、強磁性超伝導、状態方程式、中性子星、非可換統計、有限温度・密度でのハドロン、QCD相図と多岐にわたった。講演も3分という時間制限にもかかわらず、よくまとまったものが多く、ポスターセッションも盛況であった。

【2日目】

 まず、レビュー講演として、マクスウェルの悪魔に代表される熱力学第2法則にまつわる古典的問題、情報消去に伴うエントロピー、量子情報への拡張、情報消去の統計力学が論じられた。次に、有限温度下で液面に立つリプロンを測定できるレベルまで光子到着時間の量子力学的揺らぎを抑える方法、また、3K宇宙背景放射のCOBEデータを用いて非加法性を表すパラメータや化学ポテンシャルにきつい制限を与える試みが紹介された。
 さらに、カイラル対が多重に織りなされた非一様な配位がカイラル対称性の回復に与える効果についての発表があり、カイラル対の数の変化による、相転移の系列が存在する可能性が示された。次に、重イオン衝突で生成される強い磁場の影響を複素誘電率を評価することで検討する発表があり、磁場の方向にファルミオン対が放出されることが報告された。最後に、交差ダイアグラムの効果を含めることでラダー近似を超えた非摂動繰り込み群の計算の発表があり、ゲージパラメター依存性が小さくなることが示された。
 午後のセッションでは、まず、QCD相構造の解析について、汎関数くりこみ群によるアイソスピン化学ポテンシャルと揺らぎの導入と、このとき現れる新しい一次相転移、8体相互作用までを考慮した核子模型とクォーク模型による閉じ込め非閉じ込め相転移の取り扱いについて報告があった。次に、非平衡熱場の量子論の構築に関して正準量子化に基づくThermo Field Dynamicsの超演算子形式を用いた構成、相対論的ディラック粒子導入の問題点とその解決策について報告があった。また、物質中の電磁場の幾何学的取り扱いについて紹介され、カシミアエネルギーの計算について収束因子を導入することで、正則化による不定性を回避できるという可能性が指摘された。
 休憩をはさみ、レビュー講演として、場の理論と物性論におけるトポロジカル量子現象についての講演があった。特に中性原子系において、スカーミオンと呼ばれる秩序変数のトポロジカル励起について1,2次元についてはこれまでの実験結果も踏まえた解析が、そして3次元については実現のためのアイデアが紹介された。トポロジカル励起は様々な分野で見出される可能性のある現象であるが、これを中性原子系で実現するという点で、興味深い講演であった。続いてSchwinger-Dyson 方程式の頂点補正効果について、理論の無矛盾性のために成立が要請されるWard-Takahashi恒等式を保持した計算法について講演があった。

【3日目】

 最初のセッションは有限温度・有限密度格子QCDの最近の発展のレビュー講演から始まった。QCD相構造、状態方程式、有限密度における発展、さらに重いクォーク間ポテンシャル、最小ダブリング作用の構成などの話題があった。続いて有限密度格子QCDの相構造についてヒストグラム法を用いた報告があった。
 続く2つの講演では、有限密度で格子QCDのシミュレーションを可能にするための試みである複素ランジェバン法の理論的な側面が議論された。次に、ゲージ理論におけるトポロジカル励起であるカラロンと磁気モノポールとの間にある密接な関係が議論された。さらに、ハニカム格子構造を持ったグラフェンの相転移に関する講演があった。
 午後のレビュー講演では、冷却フェルミ原子の実験を通して、中性子物質の性質を理解する試みが紹介された。これは他の実験や観測、理論とともに中性子星の内部状態を理解するプロジェクトの一環である。その他冷却原子気体のマルチバンドにおける相構造やBose凝縮体のソリトン成分と輻射成分との干渉の問題、さらにピタエフスキー・ストリンガリ定理の再考察といった原子気体に関する様々な発表が行われた。

【研究会の総括】

 本研究会は「熱場の量子論」という各分野にまたがる基礎理論を軸とした分野横断型研究会である。研究会中に実施したアンケートによると、ほぼ毎年参加している方がいる一方で、初めての参加者も多く、年ごとに話題を変えながら、発表・交流の場としてこの研究会が機能してきたことがわかる。参加人数は年々増える傾向にあり、講演申し込み数の増加に対処するために行った学生ポスターセッション(3分の講演を含む)はすでに今回で4回目となり、定着してきた。アンケートでは現状のままでの存続を願う声が多く、来年度以降も開催したいと考えている。最後になったが、本研究会の成功は基研の財政的・人的サポートによるところが大きかった。ここに深く謝意を表したい。

【ポスター賞】

 学生ポスターセッションでのポスター賞は、早稲田大学の桑原幸朗氏と東京大学の益田晃太氏が受賞した。