基研研究会「熱場の量子論とその応用」:研究会の目的と成果のまとめ
京都大学 基礎物理学研究所 湯川記念館 Panasonic 国際交流ホール、
2013年8月26-28日
研究会の目的
本研究会は、「熱場の量子論」を道具とするさまざまな分野の研究者が一堂に集まり、分野の枠を越えて研究対象に対するより深い理解の獲得を目指す分野横断型の研究会である。「熱場の量子論」は、素粒子・原子核・宇宙物理から統計物理・物性物理・量子光学までの幅広いエネルギースケールの物理分野で使われており、熱・化学平衡量子場系、非平衡量子場系までも研究対象としている。また「オーダーパラメータ」「揺らぎ」「対称性の自発的破れ」といった概念は、広い分野で使われている基本概念である。「熱場の量子論とその応用」をテーマとした基研研究会は、モレキュール型研究会及び「有限温度・有限密度場の量子論とその応用」研究会を含めて、2013年度で19回目となった。ユニークな分野横断型研究会として、特に最近では参加者数が100人を越え、分野内の研究者の議論の機会はもちろん、異分野の研究について理解する貴重な機会を提供している。その結果、現象を捉える視野を広げ新たな研究の足掛かりを築くきっかけを与えてきたと考えている。
2010年にCERNのLHC実験がスタートし、ハドロン散乱に加えて重イオン散乱のデータが報告されてきている。ブルックヘブン国立研究所のRHIC実験から得られたクォーク・グルーオン・プラズマ(QGP)に関する理解が、より高いエネルギーで確認されることになる。これらの新しいデータを通じて、QCD物質の高温状態と重イオン反応における系の時空発展に対する理解が深められると期待される。また、計算機による格子QCDの数値シミュレーションの分野でも現実のクォーク質量でのシミュレーション結果や有限密度系に対する新しい技術など、注目すべき成果が得られている。さらに、レーザー技術の発達によって高強度電磁場が作られるようになり、高強度のもとでの散乱や粒子生成の問題が、実験的測定を視野に入れて議論され始めている。一方、冷却原子系においては中性原子気体の実験が盛んに行われており、擬ギャップ状態の観測やFeshbach共鳴を利用した強結合領域でのフェルミ原子気体と強結合QGPとの類似性も指摘されている。また、冷却フェルミ原子の実験を通して中性子物質の性質を理解する試みも始まっている。今後ますますこれらの研究分野の発展が期待されている。この研究会を通して、それらのことを総合的に議論し、異なる分野の持つ知識を学び、活用することが本研究会の目的である。
研究会の成果
各トピックごとのレビュー講演、一般講演そして学生講演という3つの講演形式で構成されている。熱場をキーワードに多岐に渡る研究成果が報告され、分野を横断する活発な議論がされた。以下では各セッションごとの成果をまとめる。
【1日目】
初日午前のセッションは、今年19回目を迎えた熱場の量子論の歩みの紹介と、長く本研究会の世話人を務められ、先日急逝された中川寿夫氏を偲んでの講演があった。本年度本研究会世話人代表の稲垣氏は、研究会「熱場の量子論とその応用」のこれまで歩み全体を紹介したのち、本研究会の中心テーマの一つである有限温度場の量子論に基づく有効理論の研究について、中川氏らの奈良大グループとの共同研究の成果などを総括した。中川氏と長く共同研究を続けてきた横田氏は中川氏のと一連の共同研究の成果を振り返った後、最近の奈良大グループによる有限温度ゲージ場に対するSD方程式に基づく場の理論的な研究を報告した。中川氏とともに本研究会の発起人であり、長く本研究会の中心メンバーであった牲川氏は中川氏との共同研究の歩みを振り返り、有限温度場の量子論に関する中川氏の業績をまとめた。本セッション後半の3つの講演は通常の研究発表であり、まず、強い磁場の存在を仮定した場合の原始中性子星からのエネルギー放出の可能性と、QCD相転移をクロスオーバーであると仮定して比較的低密度からQGP相の影響が効くと考えた場合の中性子星の質量予想が議論されたのち、内部自由度だけでなく時空間対称性も考慮に入れた場合の南部・ゴールドストーンモードの自由度の分析が報告された。
初日午後前半のセッションでは、電弱相互作用スケール でのバリオン数生成に関するレビュー講演と関連する一般講演が行われた。レビュー講演では、まずスファレロンによる標準モデルでのバリオン数生成機構が紹介された。この機構がうまくいくためには強い一次相転移であることが必要であるが、1ループ有効ポテンシャルの解析に依れば、標準模型ではこの条件は満たされない。超対称性標準模型では軽いSTOPにより一次相転移が実現される。講演者が開発した2ループレベルでの有効ポテンシャルの解析方法が紹介された。一般講演では、電弱スケールでニュートリノのスペクトル密度に3ピーク構造が生じることが報告された。これは、このスケールでの熱的レプトン数生成に影響を与える可能性がある。後半のセッションでは、まず堀田氏による講演では、有限温度における弦理論のブレイン系を、Thermo Field Dynamicsをもちいて考察する研究が報告された。熱場ならではである。続く幡中氏による講演では、ゲージ対称性の破れの機構として研究がなされてきた細谷機構を、格子上で調べる提案がなされた。そこではQCDの虚数化学ポテンシャルの場合に見られるの、Roberge-Weiss対称性が現れることも報告された。今後の展開に注目したい。
初日最後には、ポスター講演者用の3分間講演と、それに続くポスターセッションが行われた。本研究会はこの数年講演申し込み数が増加しており、全ての講演を3日間の日程で口頭発表に収容しきれなくなっている。このため、昨年まではD2以下の学生にポスターセッションに回ってもらっていたが、本年度からはシニアスタッフの一部にもポスター講演を受け入れた頂いた。3分講演は、限られた時間制限にもかかわらず、よくまとまった講演が多く、その後のポスターセッションも盛況であった。学生によるポスター発表を対象としたポスター賞は、京都大学の市原輝一氏と大阪大学の坂井田美樹氏が受賞した。
【2日目】
2日目の午前の前半のセッションでは、極低温原子系のなかで特にボーズ凝縮現象に焦点を当てたレビュー講演が行われた。冷却原子系の一般的な説明から始まり、ボーズ凝縮の実現、人工的に磁場を生成する実験手法について説明があった後、多成分ボーズ凝縮体、スピン・軌道相互作用による興味深い現象が解説された。また、冷却ユニタリー・フェルミ気体に対して摂動論的量子色力学の研究で用いられたoperator-product expansion の方法を使って、一粒子スペクトル関数に関する和則を求める研究に関する発表、および超流動崩壊の前駆現象に対して密度揺らぎの効果に関する研究発表があった。午前2つめのセッションでは弦理論からの熱力学への新しい理解に向けた研究成果が報告された。励起状態に対するエンタングルメント・エントロピーの持つ熱力学的性質に関する講演から始まり、AdS/CFT により発見された新奇な非平衡臨界現象を現象論的に理解する試みの報告、AdS/CFT 対応からの定常粘性流についての考察についての講演が行われた。
2日目午後前半のセッションは、冷却原子系を用いた量子シミュレーションついてのレビュー講演から始まった。冷却原子系の実験制御性の高さを利用し、非線形シグマ模型、Schwinger模型などの相対論的模型に対する量子シミュレーションを行うための理論的なアプローチについて論じられた。続く講演では、光学格子と調和型ポテンシャルに捕捉された1次元量子気体における二重極振動の減衰が、量子位相滑りを用いて議論された。後半のセッションでは、まず2重井戸型ポテンシャルに捕捉された冷却原子系の原子分布の緩和、一次元光学格子中の冷却気体ボーズアインシュタイン凝縮系における凝縮粒子数の時間変化が議論された後に、クォークの閉じ込め・非閉じ込め相転移とノンアーベリアン双対超伝導描像の関係が格子計算に基づいて議論され、最後にストリング理論におけるクォークグルーオンプラズマはブラックホールと双対という描像に疑問を投げかける議論が提示された。
【3日目】
3日目最初のレビュー講演では、高温高密度QCDにおける Elliptic flow や Jet quenching といった特性に類似する、冷却原子系での性質が議論された。特に、冷却原子ガスに原子を衝突させる過程についての詳しい説明があった。続いて、強磁場中での有限温度QCDの相構造についての講演があり、磁場を加えるとクロスオーバー転移が一次相転移に変わる可能性が指摘された。午前後半のセッションでは、有限温度QCDの性質とその重イオン衝突実験との関連が議論された。具体的には、媒質中の中間子、保存量のゆらぎ、状態方程式、さらには非平衡定常状態における温度の定義も論じられた。
3日目午後のセッションでは相転移現象や輸送係数等の非平衡現象についての6講演が行われた。Maxwell-Chern-Simon QEDにおける1次相転移、非摂動繰り込み群(NPRG)を用いた磁気効果、NPRGとHamilton-Jacobi方程式の関係、ハドロン物質の輸送係数、2粒子既約(2PI)有効作用による散逸モード、QEDに基づく原子分子系の時間発展など、多彩な内容について発表された。
【研究会の総括】
本研究会は「熱場の量子論」という各分野にまたがる基礎理論を軸とした分野横断型研究会である。研究会中に実施したアンケートによると、ほぼ毎年参加している方がいる一方で、学生を含め初参加者も多い。また、例年の講演タイトルを見ると、年ごとに話題が変わりながら、発表・交流の場として、また若手研究者育成の場としてもこの研究会が機能していることがわかる。さらに、研究会中に二度行われるポスターセッションや休憩時間のサロンなどでは参加者が分野を超えて熱心に議論する姿も多く見受けられた。本研究会は今年度で19回目を迎えたが、決して漫然と継続している研究会ではなく、本年度も分野横断型研究会として大変意義深く実り多い研究会になったと考えている。
最後になったが、本研究会の成功は基研の財政的・人的サポートによるところが大きかった。ここに深く謝意を表したい。