Volume 45-4
湯川秀樹先生の胸像除幕高知訪問3日間の苦悩と生涯の決断:洞窟の蝙蝠から世界へ
大久保 茂男 (大阪大学核物理研究センター)
素粒子論研究・電子版 Vol. 45 (2025) No. 4
2025年11月28日受理
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概要
湯川秀樹先生は、高知県の夜須町夜須小学校にPTAが自発的に日本ではじめて建立した湯川秀樹銅像の除幕式に出席するため、5年間の米国での研究生活から1953年に帰国後翌年の1954年3月21日、高知を訪問した。歴史の偶然か、出発の3週間前、3月1日、米国による水爆実験が太平洋ビキニ環礁で行われた。そこでは日本の漁船がたくさん操業していて、事前に知らされることはなく、第五福竜丸をはじめ多くの漁船が被爆した。高知駅に3月21日夕刻到着した湯川は、ビキニ水爆について記者団の質問攻めにあった。湯川は深い苦悩にあった。日本人として「原子の物理」でノーベル賞を受賞した湯川である。湯川は、それは「研究外だ」と質問に答えることを断固拒否した。翌3月22日夕の高知市での一般市民向け講演会では、自分は原子力の研究では素人で専門家はほかにたくさんいる、としてビキニ水爆問題・原子力について発言をすることを前日同様に拒んだ。湯川は、だが、京都に帰り4日後3月28日には有名な「原子力と人類の転機」を起草し、3月30日新聞発表した。以後、ビキニ水爆問題・原子力問題の激流に引き込まれていく。苦悩の湯川はいつ決断したのか。本稿では何が懊悩の湯川をして短期間、1日のうちに決断させるにいたったか、なぜ一夜で大きな心境の変化が起こったのか、資料に基づき詳細に明らかにされる。
キーワード
湯川秀樹胸像、除幕高知訪問と苦悩、ビキニ水爆、核廃絶運動への決断、土佐の友人気風、湯川スミ、素粒子素領域理論