素粒子奨学会第3回中村誠太郎賞選考結果報告

                              2008年9月1日
                              素粒子奨学会


素粒子奨学会2008年度(第3回)中村誠太郎賞の選考結果をご報告いたします。

【受賞論文】(順不同)

・江尻信司氏(Brookhaven National Laboratory 研究員)
 "Existence of the critical point in finite density lattice QCD"
   Physical Review D77, 014508 (2008)

・島田英彦氏(Max-Planck-Institut fuer Gravitationsphysik 研究員)
 "β-deformation for matrix model of M-theory"
   arXiv:0804.3236 [hep-th]


【講評】
中村誠太郎賞は、皆様のおかげで3回目の授賞者発表を迎えることができた。
今回の応募者数は12名であった。第1回以来ほぼ同程度の応募者数を
維持できており、このまま定着してくれるとありがたいと考えている。
特に目についたのは、経験を積んだポスドクが多いこと及び、受賞者2名を
含め、応募者12名中2/3にあたる8名が海外のポスドクであった点である。
若手を取り巻く状況の厳しさをあらためて感じる。内容的にも一定水準の
仕事を続けている若手研究者が多く、今回も議論を尽くしての選考となった。

江尻信司氏の仕事は、有限密度のQCD相構造の決定に対し、極めて重要な結果を
得たものである。有限温度/密度におけるQCD相図の決定は、現在ハドロン物理
の中心課題のひとつである。特にハドロン相とクォーク・グルーオン相間の
転移が、有限な化学ポテンシャルの領域でクロスオーバーから一次相転移に
移行するかどうか、すなわち臨界終点が存在するかは未解決の問題となっている。
しかし、格子QCDシミュレーションは、いわゆる符号問題のために、その実行は
困難であることが知られている。受賞論文は、この臨界終点の存在問題に対して、
ひとつの解決方法を提示したものである。すなわち、クォークの行列式を
化学ポテンシャルに関してテイラー展開し、行列式の位相に対してガウス分布の
仮定を用いることによって、平均プラケット作用に対する有効ポテンシャルの
ふるまいから、臨界終点が存在するかどうかを決定できることを示したもので
ある。さらに実際の格子QCDシミュレーションを用いて、臨界終点が存在する
兆候を見いだした。受賞論文の結果は、最終的なものとは言えないが、
有限密度における格子QCDシミュレーションと臨界終点の問題に対する重要な
貢献を行ったものと考えられる。

島田英彦氏の受賞論文は、M理論の定式化の最有力候補である行列模型において、
ポテンシャル項にβ変形と呼ばれる変形を行った模型を初めて考察し、それが、
11次元超重力の、3階反対称テンソルゲージ場の4-形式フラックスに支えられた
曲がった計量をもつ背景時空上のM理論を記述していることを明らかにしたもの
である。β変形という積の純代数的変形を行っただけの行列模型が、何の
チューニングもなしに係数まで含めて正しく11次元超重力理論の解を与える
ことは極めて非自明なことであり、M理論の定式化を探る上での行列模型の
重要性に対して、さらに強い支持を与えるものである。島田氏はまた、
このβ変形を、これまで知られていたBMN型変形との共存系に拡張することにも
成功し、変形パラメータの値に応じて膜のトポロジーが、球形とトーラスとの
間を移り合うという現象も見いだしている。この仕事はM理論の行列定式化の
今後の展開に重要な寄与をするだろう。

選にもれた論文の中にも、今後の展開によっては十分に受賞に値するものがあり、
さらに発展させて次回に期してほしい。


【謝辞】
本賞は、審査にご協力くださったレフェリーの方々をはじめとして、多くの皆様に
支えられて、しだいに定着しつつあります。ここに感謝の意を表すとともに、
今後ともご支援をよろしくお願いいたします。