素粒子奨学会第18回中村誠太郎賞選考結果報告

2023年9月27日
素粒子奨学会


素粒子奨学会2023年度(第18回)中村誠太郎賞の選考結果をご報告いたします。

【受賞論文】(順不同)


・渡邉真隆氏(京都大学基礎物理学研究所、学振特別研究員CPD)
 "Constraints on charged operators"
 (arXiv:2301.08262 に基づく)

・殷文氏(東北大学理学研究科、助教)
 "Thermal production of cold "hot dark matter" around eV"
 (J. High Energy Phys. 2023, 05, 180)

・林優依氏(京都大学基礎物理学研究所、学振特別研究員PD)
 "Higgs-confinement continuity and matching of Aharonov-Bohm phases"
 (arXiv:2303.02129)

【講評】

今回は各分野合わせて10名(内1名辞退)の応募があった。今年は2019年以来、審査委員会を対面(ハイブリッド)で開催し、論文審査をご担当頂いた多数の外部審査委員の協力のもと、3名の授賞者を決定した。

本賞は、大学および研究機関の常勤のポストについていない者に応募資格があるが、若手研究者を取り巻く環境は変化しており、国内でも、大学や研究所のパーマネント常勤職の前にテニュアトラック期間を設けることが一般的になりつつある。テニュア獲得の可能性は大学によって大きく異なっているが、本賞は着任から5年以内にテニュア獲得審査を受けるテニュアトラック・ポジションにある研究者の応募も可能としている。物理的意義を明確かつ丁寧に説明した論文での応募を期待する。

・渡邉真隆氏
渡邊氏の受賞論文は、共形場理論に関する Abelian convex charge conjecture と呼ばれる仮説に関するものである。矛盾のない量子重力理論ではU(1)ゲージ力による斥力が重力よりも強いことを主張する「弱い重力予想」仮説は、AdS/CFT対応を通して、共形場理論に対する何らかの普遍的な条件を与えると期待される。2021年に Aharony と Palti はそのような動機のもと、次元が3以上の、大域的な U(1) 対称性を持ち、重力双対を持つとは限らない任意の共形場理論について成り立つ仮説として Abelian convex charge conjecture を提案した。これは、あるU(1)チャージ q を持つ演算子のうち最もスケール次元の小さいものをΔ(q)と表したとき、ある q0 の整数倍の U(1) 電荷に対する関数 Δ(n q0) が整数nの変化に対して下に凸な関数になるというものである。もともとの Aharony と Palti による提案においては、q0 はオーダー1の量であると主張されていたが、渡邊氏はこれに対する反例となる3次元の場の理論を具体的に構成することで、q0がオーダー1であるという条件を緩和する必要があることを示した。この仮説は提案されて間もないもので、現在もその検証が続いているが、渡邊氏の業績はそれまでに述べられていた形での仮説が成立しない場合があることをいち早く示したもので、より普遍的に成り立つ条件の確立に寄与するものである。また、渡邊氏らが開発した large charge 展開にまつわる今後の進展も期待される。

・殷文氏
宇宙暗黒物質の正体は長年の謎である。有力な候補の「冷たい暗黒物質」は、宇宙の大規模構造形成を自然に説明する。最軽超対称粒子をはじめとするいわゆる WIMP に代表される冷たい暗黒物質はGeV から TeV 領域の質量を持つと考えられるが、未だに観測されていない。一方、ニュートリノに代表される、より質量が小さく熱的分布を持つ粒子は「熱い暗黒物質」と呼ばれ、相対論的な時期の間に銀河スケール程度の構造を消してしまうため排除されてきた。これに対し殷氏は,熱平衡状態にある相対論的粒子の崩壊によって生成される eV 程度の質量の安定粒子が、低エネルギー状態に集積する非熱的な分布を持ちうることを示した。これは運動学的な効果とボーズ統計の効果によって起こり、粒子は冷たい暗黒物質のようにふるまう。殷氏はボルツマン方程式を用いた数値解析によりこれを確かめた。この業績は、比較的軽い暗黒物質の可能性を復活させ、新しい研究の方向を拓くと期待される。

・林優依氏
林氏の受賞論文は、超流動性を示す系における「閉じ込め相」と「ヒッグス相」が連続的に繋がるかどうかというゲージ理論の基礎的な問題に焦点を当てた論文である。QCDの文脈においては、1990年代終わり頃、Wilczekらによって低温のハドロン相(閉じ込め相)とカラー超伝導相(ヒッグス相)が連続的に繋がっているというクォークハドロン連続性が提唱され、その描像に基づいた研究が多数行われた。ところが近年、カラー超伝導相とハドロン相の量子渦が、異なるAharonov-Bohm位相を持つであろうという考察から、相転移が存在する可能性が指摘されていた。一方、ハドロン相の量子渦の解析が困難なことから、他にも様々な可能性が指摘され、状況は混沌としていた。この問題に林氏は、閉じ込め相とヒッグス相の双方を記述可能な格子模型を用いて挑んだ。その結果、ヒッグス相に存在する非自明なAharonov-Bohm位相が、離散対称性の違いによって、閉じ込め相でも持続する場合と、閉じ込め相に近づくにつれて連続的に位相が消失する場合があることを示した。前者はSU(2)ゲージ理論や先行研究で相転移があるという根拠に用いられていたU(1)xU(1)模型の場合に対応し、QCDは後者に対応する。本研究は格子模型を超流動性と超伝導性が共存する問題に用いることで、これまで解析が困難だった閉じ込め相における量子渦のAharonov-Bohm位相の解析を可能にし、閉じ込め相とヒッグス相の間が相転移なしで連続的に繋がることが可能であることを解析的に示した点において高く評価できる。


【謝辞】
本賞は、審査にご協力くださったレフェリーの方々をはじめとして、多くの皆様に支えられて、着実に歴史を重ねてきました。奨学生事業の時代から長年にわたって趣旨に賛同し、厳しい経済情勢の中でも資金の援助を続けてくださっている企業のご厚意も、素粒子奨学会の存続・発展に不可欠です。また、湯川記念財団の後援のおかげで、安定的な運営を続ける事ができています。さらには、個人からの貴重なご寄付も、素粒子奨学会ひいては若手研究者の未来を支えていくことに貢献しています。ここに全ての関係者へ感謝の意を表します。今後ともご支援をよろしくお願いいたします。