2006年1月18日(水)

京都大学新聞2005年12月16日号特集「京都学派と太平洋戦争」
藤田正勝京大大学院文学研究科教授への編集部からのインタビュー記事:

時間がないので疑問だけ書いておく。
西田の「個人があって経験があるのではなく、経験があって個人がある」という 考えは、確に、デカルトへのアンティテーゼかも知れないが、アプリオリな思想の 枠組みと経験知を区別したカントの「批判哲学」はどう乗り越えているのか? また、チョムスキーの言語理論との整合性はどうか?(この言語理論はカントの 「アプリオリ概念」と整合的。)

これらの思考あるいはアイデンテティの形成は本来は脳生理学の分野。少なくとも 実体論的段階に達している。思考の現象論としての哲学の意義は認めるのであるが、 その役割の限界もわきまえるべきだ。


2004年11月18日(木)

これは10月に読んだ本だが、
阿部謹也著「学問と「世間」」(岩波新書赤版735)
について、忘れないうちに覚え書きをしておく。
広重徹著「物理学史 I」(培風館 新物理学シリーズ5)p.16 を参考にする。

阿部の言う「世間」を問題にする学問は、ボイルに始まる 第一性質第二性質を区別に関係しており、それは17世紀ヨーロッパにおける「科学」 の発生に深く関係している。
ここで、ボイルにおける第一性質とは、原子論に基づく物質観における 基本概念であり、
粒子の 形、大きさ、運動である、とする。
他方、われわれの感覚において生ずる 色、におい、なめらかさ等々の性質は第二性質であり、第一性質より 説明されるべきものとする。
このように、ものごとの認識において第一性質第二性質を措定し、区別する立場はJ.ロック(1632-1704)の 認識論の基礎 におかれた。
「世間」の学問の成立の必要性を説く阿部の主張は
社会科学において、第一性質重視の学問ではなく 第二性質こそを問題とする学問を展開すべき、
ということであると理解できる。

ボイルはガッサンディとデカルトによる粒子論的な自然観を大成させたとされる。 さらに、自然認識における第一性質第二性質の区別はガリレイに始まる。


2004年11月15日(月)

最近読んだ本でおもしろかったもの:
川西政明著「小説の終焉」(岩波新書赤版908)
明治以来の主だった作家の小説の解説が簡明。
衝撃は、「家の終焉」での島崎藤村と 「性の終焉 ---躯に溺れる男、自我を凌駕する女---」での女性作家
ここで紹介されている作家たちの性の無軌道ぶりはまったく驚くべきことだ。 これは、ほとんど性犯罪者やセックス狂いの男女の品評会のようではないか!
ここで紹介されている「凄い」作家たち;田村俊子、大庭みな子、山田詠美、 松浦理英子、
永井荷風、淳之介。 「雨の木」が大江健三郎の劇的な転換点になっているという指摘は納得できる。

高島俊男著「中国の大盗賊/完全版」(講談社現代新書1746)
この大盗賊とは皇帝にまで上り詰めたあるいはほとんど上った盗賊のことである。
中国は農民の国であり、しかし、田畑はいつも不足しているので常に農業労働に 従事できない「あぶれもの」が再生産されている。彼らはくいっぱくれているので 明日をも知れぬ不安定な人生をあゆんでいる。彼らは、 適当な「信仰」を注入されればすぐに組織され「盗賊」の大軍団が出来上がる。 それが中国社会である。 歴代のならずものの中には皇帝にでもなってやろうという大志を抱いたものが 何人もいた; 劉邦、朱元璋、李自成、洪秀全、そして、毛沢東!
この系列の最後に毛沢東がいる、というのがこの本の主題である。 マルクス主義概念の「革命」よりも農村のあぶれ者を糾合した大盗賊の首領による 国の乗っ取り、と見なした方が「中国共産革命」はごく自然に理解できる。また、 毛沢東の「独創的」戦略(「農村から都市を包囲する」等)も中国盗賊の自然で 伝統的な方法である。



2004年8月17日(火)

最近の規律のない風潮を苦々しく思い、また一方で、小泉首相の登場以後、 民主主義において前提とされる人民の資質とは何か?と考えたり 本を読んだりすることが続いている。
(例えば、 福田歓一著「近大民主主義とその展望」(岩波新書黄版 1)、 奥村宏著「判断力」(同新赤版 887))
実際、小泉首相や石原東京都知事(そして ブッシュ大統領)の言動やそれに対するマスコミ/ジャーナリズムの対応を見るにつけ 「知性」や「批判」という言葉が現代の世界においては死語と化したのではないか、 と絶望的な気分になるのは私だけであろうか?
蓋し、大学とは知性と批判を育み、それらをもとに「真理」を発見する、 社会における中心的な機関である。 その両者が社会において価値を無くし、力を無くしてしまえば、大学で働くもの は何に依拠して日々の仕事につけばよいのか?
現在の大学の危機は現代社会の危機であり、その一つの象徴的表れである。

今日たまたま読んだ本に民主主義的政治およびそこにおける民衆の役割 についての鋭く蒙を啓く文書を見つけた。
これは、中野利子著「父 中野好夫のこと」(岩波 1992年)187ページ.
(中野好夫の晩年の仕事である、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」の翻訳に ついての文書の中に出てくる。)

大、中、小とさまざまの段階の権力を持つ人間の知力や膂力(りょりょく) がもたらす結果の大きさ、
権力者も民衆も含めて、国家を支える人々の道義心の有無、民衆の愚かさ、....。
もし、父がこの世に遺書を残すとしたら、ギボンに託したこの書がそれにあたる のではないだろうか。

民衆が賢くなければ、国家(くに)は滅びる(この「国家」は父が明治時代 に受けた教育の中の十九世紀的な意味ではない)。ギボンを読んでいるうちに、 父が一九四八年に書いた文書「酸っぱい葡萄」が鮮やかに思い出されてきた。
リンカーンの有名な言葉「人民の、人民による、人民のための」がこのところ (敗戦後数年後)、日本人の間で盛んに使われている。けれどその「人民の」の 部分については大きな誤解がある。
この「人民の」の「の(of)」は目的格関係を表すofで(the love of nature 自然を 愛すること、the writing of a letter 手紙を書くこと)、
「人民を治める、統治する」の意味なのに、「人民が立てる政府、人民政府」 と間違って解釈している。
民主政治の客体と主体と目的を簡潔に述べている リンカーンの言葉から「人民による政府」と人民の政治」を混同し、 政治の客体の紛失を少しも怪しまない。その結果、
「学生の、学生による、学生のための学園」は無規律学園の標語になったり、
「学生の、学生による学生のための汁粉屋」が町に愛敬を振りまいたりする。
「これらはすべて日本人らしい早合点のオッチョコチョイである」
「...民主政治は、まず正しく治められる知恵と技術をもった人民が存在 しないところではとうてい実現されるものではない」
「政治の自由が解放されると、にわかに猫も杓子も「人民による政治」、自分が 主人になることばかりで有頂天にな(る)...。「人民の---」「人民の---」と 叫ぶ小児病的なお題目は、言いかえればみんなが無意識に小さな支配者、 小さな独裁者になりたがっている潜在意識の現れにすぎぬ。真に治められることを 知る人民にしてはじめて、真に自治することができるのだ」
以上。


2004年7月16日(金)

14年前の基礎物理学研究所将来計画シンポジウム「基研の将来像」 1990年11月22日(木)の記録
(「素粒子論研究」82巻5号、1991年2月号p.438-; 「物性研究」vol. 55 no.6, 1991年3月号 p.603-)

総合討論でのYさんの発言は表現は「過激」であるが、共感するところ あり。

M: 基研は教授になっても定年までいるべきところではなく、他へ 行って教授をやる訓練をするところのようなもの。 .....
「偉い人」がいるのではなく「不幸な人」がここにいると考えたほうがいい。 以下略。
Y: 任期がない人は任期がある人の人権を考えていない。 「頑張ればどこへでも行けるではないか、なぜ頑張らないんだ。」と言って、自分達 は大学でのうのうとしている。例えば、素粒子でも原子核でもない新しい分野を やっていても、おまえは素粒子も原子核もやっていないではないかと言われる。 大学が新しい分野の人を意識的に採っているかというとそうではない。そうすると 基研に来ても、新しいことをやろうとせず、なるべく研究の中心にいてなるべく顔を 広めて次の行く所を考えていて、そして大学に行ってから新しいことをやろうと考えて いる。......途中略....
アンケートをよくみると、自己中心的で、基研は自分達にとって 重要だからいままでの活動をもっとよくやって欲しいといった程度で。 自分は不満である!


2002年12月29日(日)

岩波の宣伝誌「図書」2002年12月号の興味深い記事。

宮田 光雄著「政治指導者と言語」
<<演説家>>ヒトラーのレトリックの基本的特徴;

これらは、アメリカや日本の政治指導者の口調の特徴としてそのまま挙げることができる。
これらのことばの後に敷衍したあるいは具体的なこれ以上の説明があるわけではない。
断定とくり返し!

圧倒的な経済力とネットワークとにもとづく
大放送局や大新聞が、その巨大な影響力を行使して明白なデマゴギーを
横行させている。
現代の政治状況は驚くほどファシズムに接近している。

われわれにできることは、次のリンカーンのことばを信ずることのみか?
「少数の人間を永遠に騙すことはできる。多数の人間を一時騙すこともできる。 しかし、多数の人間を永久に騙すことはできない。」


2002年9月10日(火)

岩波の宣伝誌「図書」2002年9月号は興味深い記事が多かった。

冒頭の座談会での「教養」の役割についての中村桂子の発言; 科学は新しいことをやる分野、オリジナルな研究が大事、と言われていますが、 結局は積み重ねの上にしかないことを実感しています。 (中村は、それまでの発言の中でアリストテレスの「動物誌」のすごさを述べている。 ) 教養というべきか、歴史というべきか、ここのところは知っておくとものが 考えられるよ、自分のなかから何かがでてくるよ、というメッセージは出し続けた ほうがいい...

他には、辻井喬が「網野史学の衝撃」という題で網野善彦の仕事を評価する 記事を書いている。

...文化の在り方とか思想性と創造性というような、少しむずかしい主題で話を しなければならないとき、網野の著作の紹介あるいはそれを敷衍したものを 語ってきた...

伊東光晴は小林一輔著「コンクリートが危ない」を紹介して、 ここで書かれていることは、

効率を追求する市場経済がその底に働いていることでありそのために 見失われていく職場の倫理である。セメント製造技術の転換もその一例である...

としている。さらに、結論;

この本を読むと、日本社会が、高度成長とともに”タガ”がゆるんでいくことが わかる。 これを止めるには強い品質規制か、アメリカのように有資格の特別 検査士による工事監督と行政による入念なチェック、同時に、業界の モラルの回復以外にない。

もう一つ興味深いエッセイ: 佐藤卓己著「日本文化研究におけるマンガの可能性」 (著者は国際日本文化センターでメデイァ史を研究している。)

経済的にはさえない日本だが、あにはからんや、 ...ドイツでもシンガポールでも、日本学科の学生数は増加している。

これは、

マンガやゲームを「原典」で研究したいという「真剣」な動機、 によると言える。

20世紀のマンガは、19世紀の浮世絵を凌駕する影響を世界に与えているようだ。

ドイツ人研究者が、「(ドイツの)若者の日本人化」と言った。 この意味は、佐藤によれば、

文明の「幼形成熟(ネオテニー)」である。

欧米文化は有能な大人に成長することを善とする大人文化、 日本文化は「子供の可能性」を信じる善意の文化である。

あるいは、

成長を強制しない日本文化は「居心地がいい」、特に、未来への展望を 欠いた21世紀においては。

結論:

日本マンガの国際化は日本文化研究に大きな可能性を与えている。 「日本的情緒」や「日本的人間関係」を描いたマンガが、国際的に共感されて いる以上、これまで「日本的」とされてきた感性や思考こそが「普遍的」なものと して再考される契機になるのではあるまいか。


2002年7月3日(木)

大学の研究所の研究者といえども忙しく、研究に没頭できる 時間がいかに少ないかを世の人に知らせるべく、気まぐれに 日記を公開することに していたが、 しばらく休止している。 (2003年6月)

今、文部省官僚を中心に進んでいる独法化の動きはこの 「研究に没頭できる時間」というものをますます少なくする(している)もので あることは憤激に耐えない。文部官僚でオリジナルな研究をして成果を世界に問う ようなことをしたことのある人はどれだけいるのだろうか? 経験していない人にはその意義が分らなくて、経験者には自明のことに、 オリジナルな研究をする上で最も大事な点は問題を見つけることである、 ということがある。 (実践的には、論文のIntroductionが書けるかということである。 このことの意味は論文を(自分で)書いたことのある人でないと分らないだろう。) この問題設定でほとんどの場合、その研究の質が定まる。 そして、この問題を見つけるということ、思いつくということは、いくら 効率的に働け、働けと言ってもできることではないのである。

オリジナルな研究を日本からより多く出させるためには、大学の研究者を信用して、 自由にさせることである。このことの重要性については戦前の理化学研究所の 思いでをつづった朝永のエッセイ(「科学者の自由な楽園」;岩波文庫「科学者 の自由な楽園」(朝永振一郎著、江沢洋編、2000年、所収)) に書かれている。 実は、日本人は独創性ではあまり世界に引けを 取らないと思う。ダメなのは、トップによる研究評価の段階である。よい研究を よい研究と評価し顕彰していくこと、そして国内でその研究を育てていくこと、 これができていない。日本の研究者はむしろ独創的なのだが、 欧米の研究者と比べると、実は比較的視野が狭いという欠点がある。 大学、大学院で基礎的なことをできるだけ広く勉強し自分の素養とする、 ということを重視し実現する教育体系になっていない。 そのために、少し新奇なことがでてくると評価できないということに なっているのである。(私もこれは苦い経験をしている。)

学部、大学院教育を充実するためには、教員の雑用や一人のもつコマ数を少なくし、 教育補助者(院生によるTAや秘書)を充実しなければならない。 今のコマ数でなんでもかんでも教員が自分でやらなければならないシステム では、体系だった教育をしようにもしようがない。そんなことをしたら教員が つぶれてしまう。


2002年6月9日
2001年12月2日付け朝日新聞10版p.37に
岸本忠三(阪大学長)と野依良治(名大教授)との対論
日本は「ノーベル賞大国」をめざすのか

が掲載されている。これは、新聞紙1ページにも満たない短いもので あるが、教育、学術研究、大学の使命等についての誠に正鵠を射た 対論になっていると思う。 少し紹介してみよう。

ノーベル賞受賞は若い人に夢を与える。お二人にも湯川のノーベル賞 受賞が科学をやろうというきっかけを与えた。 子供にとって一番大事なのはあこがれの存在である。
しかし、「ノーベル賞30人」と政府が言うのは筋が違う。 学術研究はもちろん国際水準で高くなければならないが、 あくまで自由な発想と自己責任でやるべきものである。(野依)
研究者の夕食のテーブルなどでも人のうわさをするが、そこでどう 評価されるか、名前がでるか、
あるいは、外国での集まりや国際学会に呼んでもらえるか、 そいうことの積み重ねの究極に、ノーベル賞がある。
会って楽しい仲間をたくさん作ることが大事です。(野依)

日本人の研究がまず外国で評価されるということがよくある。 岸本の場合も最初に評価されたのは外国であった。 これは、 日本が勉強していないということではないかと思う。 勉強していないから、論文の内容ではなく、論文引用数みたいな ものばかりを見る。(岸本)
評価できていないんだから、その実力をつけなくてはいけない。 科学でも目利きを養わないと、若い人を育てることはできない。(野依)

日本は基幹的な大学での大学院教育をもっと充実しないといけない。 日本は成果主義であって能力主義ではない。 大学院教育ではいかに学生の能力を上げるかが第一である。 そのために研究に従事させるのである。
どれだけ論文を書いたかどうかは問題ではない。何本論文を書いたから 学位を与えるというのは間違っている。(野依)

一番の心配は、大学院を含めて、 わが国の学術分野がどんどん細分化していることです。 ある学問分野で新しい価値を生むには他の分野との連携が 必須です。異分野との交流が、足し算でなくて、掛け算の効果を生むので す。(野依)
大学院でできるだけ幅広い勉強をすることが大事です。(岸本)
研究者といっても、結局「人間力」がものを言う。 コミュニケーション能力 も培う必要がありますが、本質は教養の問題です。(野依)

大学のありようを最終的に決めるのは、国民なり、国の価値観であろう。 これから大事なのは、大学があるべき姿に向かって真剣にやろうとしているこ とに対する国民の理解です。(野依)
産学連携が声高に言われていますが、 真理を探究して積み重ねてきた研究が、自然に産業に役立つわけです。 大学は、物事の本質を極めることに興味を持って研究していけば成果に つながる。(岸本)
多くの産業で研究活動の足腰が弱っている。その責任は大学院教育の質が 低いことにある。しかし、大学と産業界では、それぞれ使命と機能が違います。 それぞれの活動の質を高め、その上で連携すべきは連携すればよい。(野依)

大学も大学人も、毅然として自分の価値観に忠実にあるべきです。 市場原理だけだはなく、基礎科学や人文科学、そうしたものが大事だという 価値観が社会に定着してほしいと、私は思っています。(野依)

この最後の発言は私のもっとも共感するものである。


2002年6月9日
「研究者修業」について

朝日新聞社の宣伝雑誌「一冊の本」2001年10月号、6ページに
「小説修業」って、どういう本ですか?
保坂和志

という文章がある。ここで描き出されている「小説家になるために 最も大切なこと」はそのまま「物理学者になるために 最も大切なこと」となっていると思う。 この文章の「小説」を「(物理学)研究」 「小説家」を「(物理学)研究者」と置き換て その内容の紹介をしてみよう。

「研究者になるための方法」というような実践的な本に書いてある ことよりももっとずっと大切なことがあります。研究者を志している人は 「自分の研究が活字になってPhysical Review LettersやNuclear Physics に出版されること」を夢見ているでしょう。 しかし、大事なことは処女論文一作を書くことではなくて、 何十年か続く研究者人生を通じてどういうことを研究していきたいのか、 どういうことを明らかにしたいのかという、漠然としているけれど同時に 確固としたイメージを処女論文を書く以前から持っていること です。そのようなイメージを持っているような人でな ければ研究者にはなれないと思う。

T先生と話していていつも思うのは、 「研究」というものが私にとっても、T先生にとっても、夜空の遠い星を見上げる ような、永遠の憧れのような何ものかだということです。それは、 先生との会話から受ける私の実感です。 アインシュタインでも、湯川でもランダウでも、研究についての話が興に のったときには、後で先生は決まって、「いやあ、本当に楽しかった」 というんですね。その感じが、本当に遠い星を見上げたときのように響くの です。もう本当になんとも言えずいいものがあって、「いやあ、本当に楽しかった 」といってもらうことで今度は私が勇気づけられるのです。

研究者は自分に先行する偉大な研究から力をもらっているんです。 成功した研究者でそういう心性を持っていない研究者は一人もいないはずです。 偉大な研究の論文を、研究者になることを夢見たきっかけを与えてくれた研究 に出会ったときのように読むのです。

「この世界の一員に自分もなりたい」、「こういうことを自分も研究したい」 って、 ただそれだけ。そのとき、自分も実際にできるかどうかなんて関係ない。 現実の自分との比較なんか忘れて、夢というか、 ただ仰ぎ見る意志 だけになっている。

偉大な研究を素直に仰ぎ見る気持ちが研究者を一生の仕事にするためのの絶対 条件だと思います。


1999年10月2日
寺田寅彦について (1999年2月25日付けA君へのメイルより。ただし、 1999年10月9日に一部改変および拡充。)

寺田寅彦の著作は何か読みましたか? 私は多分、5、6年前に岩波文庫で出ている彼の随筆集を通読しました。ただし、 物理学に関係した部分が中心ですが。 そのときの印象は、彼は当時生れたばかりの量子力学をよく理解していた、 彼がそこに見たのは、確率が本質的に法則に関わる新たな自然法則の発見であった、 ということです。 また、当時は実はBoltzman-Gibbs流の統計力学が生れて間もないことにも注意すべき です。 いずれにしろ、寺田寅彦は基礎科学のtrendは「統計」であると喝破したのだと 思います。

そこで、寺田の独創的思索者としての本領が現れるのですが、 彼はすでに生れた量子力学の研究に手を染めることを潔しとせず、 これまでに人々が気が付いていない現象(自然現象であれ社会現象であれ)で統計性が 本質的に関わるものを見つけ、そこに前人未踏の物理学あるいは科学の一分野を開拓し ようとしたように思います。そのような現象の中に、後年、フラクタルと呼ばれるもの と関わるものもあったというべきです。寺田の科学はフラクタルに閉じるものではない 。

以上が、私の寺田「物理」に対する印象です。 彼が、注目し研究した現象は最近になってやっと、「物理」になってきたものです。 これは、二つのことを意味します。一つは、寺田のセンスの良さ、あるいは、その 感受性の鋭さと言っても良い、です。 もう一つは、寺田の時代にその問題を研究 することは、時期尚早、労多くして、実り少ない営みであったことが約束されていた、 ということです。ですから、彼の弟子はきっと苦労したと思います。 また、彼らはよほど自覚的に行わなければ、体系だって学問 を学び、訓練を受けることも難しかったろうと思います。

このことは、最近流行の「複雑系の科学」についても良い教訓を与えていると 思います。 既に統計物理学や力学系等の分野で業績を挙げもう一旗上げたい 研究者が、学問になるかどうかましてや科学になるかどうかさえ不確かな現象や 問題にチャレンジするのは結構でしょう。ただし、上げられ得る成果についてあまり 大風呂敷を広げず謙虚でいさえすれば。

しかし、これから学問の世界に入ろうと する若者(学生、院生)の人達 は十分用心しておかねばなりません。そして願わくは彼らを指導する複雑系の 先生方も。複雑系の分野は 既存のどの学問分野をも「越えた」ものであるとし、 際物のテーマをコンピュータのみを頼りとして 研究を行っていると、何も体系だった学問を身につけることができずに貴重な青春時代 を終えてしまう恐れがあります。また、科学研究とは、簡単なアルゴリズムで計算し グラフを描くことだという悲しい誤解をいだいたまま社会に出て行く可能性がありま す。これでは社会の損失です。 複雑系の先生はこのようなことにならないよう、研究による教育だ けでなく、既存の分野のしっかりした教養を身につけさせるような指導をしていただ きたいと思うのです。

ところで、、寺田が1920年代に量子力学から身を遠ざけたことは「正しかった」で しょうか? 20世紀の科学の一つのフロントは量子力学の展開のうちにありました。 量子力学自体の発展、その様々の局面への適用、それは重要な科学の成果を 与えました。それらは、十分に独創性を要求する営みでもありました。 そのような、物理学、科学の発展、展開の本流から、当時では最も物理学を良く理解し 、指導的立場にあった、寺田が身を遠ざけていたことは、逃避あるいは、 言葉は悪いですが、「敵前逃亡」のようにも見えます。

(この文章の最後の量子力学の部分は恒藤敏彦氏(京大名誉教授、1999年3月末まで 龍谷大学理工学部数理情報学科在職)との会話から触発されたものです。ただし、 恒藤氏がこのようにコメントされたと言うわけではないことはお断りしておきます。 先生にご迷惑がかかってはいけませんので。1999年10月9日付記。)


1999年8月10日
ある理論物理学者二人の対話

A「理論物理学の任務は、プランクがオストワルドやマッハを批判しボルツマンを擁護 するなかで強調したように、自然の統一的な見方の提示である。その認識の背景には 自然は有機的に関連しあっているという観点がある。」

B「物理学は自然科学であり、自然の認識を深めることを目標としている。 その前提として、自然には階層性があり、各階層には相対的に独立な法則が成り立って いることを認めるべきである。そうすれば、 各階層での自然認識の価値に優劣はないことは自然な帰結として得られる。 まず、各階層の構造、運動法則、典型的論理、その階層特有の原理等の 理解の重要性が強調されねばならない。」

A「確かに、即自的段階から対自的段階への認識の深化は重要である。しかし、 その後の統一(アウフへーベン)の段階を想定することを忘れてはならない。」

(1999年8月初旬の新幹線の中でのある研究者との会話を哲学的に脚色した。 1999年10月9日付記。) 1999年8月7日