素人を専門家から区別するものは、ただ素人がこれと決まった作業方法を 欠き、したがって与えられた思いつきについてその効果を判定し、評価し、 かつこれを実現する能力をもたないということだけである。
学問に生きるものは、ひとり自己の専門に閉じこもることによってのみ、 自分はここに後のちまで残るような仕事を達成したという、(中略)、 深い喜びを感じることができる。
あまり類のない、第三者にはおよそ馬鹿げて見える三昧境、こうした情熱 --- これのない人は学問には向いていない。
情熱はいわゆる「霊感」を生み出す地盤であり、そして「霊感」は 学者にとって決定的なものである。
一般に思いつきというものは、人が精出して仕事をしているときに限って あらわれる。
作業と情熱とが --- そしてとくに両者が合体することによって --- 思いつきをさそいだすのである。
こうした「霊感」があたえられるかいなかは、いわば運しだいの事項であ る。
学問の領域で「個性」を持つのは、その個性ではなくて、その仕事に 仕えるひとのみである。
--- 自己を滅して専心すべき仕事を、逆に何か自分の名を売るための手段のように考え、 自分がどんな人間かを「体験」でしめしてやろうと思っているような人、 つまり、
どうだ俺はただの「専門家」じゃないだろうとか、
どうだ俺の言ったようなことはまだ誰も言わないだろうとか、
そういうことばかり考えている人、こうした人々は、学問の世界では 間違いなく「個性」のある人ではない。
自己を滅しておのれの課題に専心する人こそ、かえってその仕事の価値の 増大とともにその名を高める結果となるであろう。
いたずらに待ち焦がれているだけでは何事も成されない ---、 そしてこうした態度を改めて、自分の仕事に就き、そして「日々の要求」 に --- 人間関係の上でも職業の上でも --- 従おう。
「以上」