私たちは、環境や世界を十分に認識しているつもりである。しかし、環境のごく一部分しか認識していないという事実を、認識しているとはいえない。科学がかつてない勢いで発展していても、このジレンマが解消するわけでは決してない。それどころか、ますます私たち自身の不完全な認識が精密化・細分化していくに過ぎない。こうした現実を無視して、既成科学の成果を無批判に受け入れるだけでは、次世代に継承するべき自然や社会の真理・本質を捉えられないばかりか、自然や社会それ自体をも維持できないに違いない。地球温暖化を取り巻く「不都合な真実」は、その典型例の1つに過ぎない。ベルリンの壁崩壊やソ連邦崩壊に象徴される、社会主義世界にかわって台頭してきた競争原理に基づく資本主義世界は、いまや地球規模の経済危機に瀕している。何かが間違っている。それでは自然にも社会にもそして人類にも貢献しうる科学の発展とは、どのような科学なのだろうか。
「統合」の科学とは、矛盾を排除すべく科学がこれまでに暗黙裡に仮定してきた前提それ自体を問い直すとともに、矛盾を排除するのではなくその意味を探り、従来までの科学の適応限界を明確にし、さまざまな可能性をも考慮にいれた統合的な世界を提示する学問に他ならない。もちろん、科学も芸術と同様に人類のこころと環境世界との相互作用の産物である。その際、3種類のバイアスが存在することに留意する必要がある。 第1のバイアスとは、私たちの認識の‘構え’が認識すべき対象とその記述に影響を与えるという点である。この事実を理解には、メタ認識すなわち、環境認識の特徴やはたらきを認識することが必要である。特に、認識には「意識的」認識と「無意識的」認識があることを自覚することが重要である。つまり、メタ認識によって、認識の構えを「意識」および「無意識」の両側面から捉えていく必要がある。環境や世界の認識とは、そうした認識の構えに応じて創発するものなのである。そのために、唯一絶対の世界認識などは存在しない。環境・世界の在りようは、あらゆる認識の統合によってのみ、近似的に捉えられているに過ぎない。国際交流・学際交流・世代間交流が必要なのは、多視点を用意することによって、世界・環境認識の近似の精度を少しでもあげられることにある。
第2のバイアスとは、環境そのものが私たちの認識機構に影響をおよぼすという点である。「不都合な真実」に指摘された地球温暖化に見られるように、私たちは人類による環境汚染の実体を直視することが遅れたばかりに大きな試練に立たされることになった。ところが、「不都合な真実」は地球温暖化ばかりでななかったのである。新種の化学物質が巻き起こす化学汚染は、単に環境発がん物質としての脅威ばかりでなく、環境ホルモンとして発生異常・脳機能障害を引き起こすのである。私たちの環境認識が環境汚染によって正常にはたらかない可能性が指摘されてきたのである。さらに、ここ十数年で急速に普及してきた携帯電話などの電磁波汚染も無視することはできない。
そして、第3のバイアスとは、科学の知識ばかりでなく環境汚染物質も世代を超えて継承されているという点である。人類は遺伝子以外に文化という世代間継承システムを生み出すことによって、進化速度を急速に加速することに成功した。環境汚染物質が母胎から胎児へ‘垂直に’、また環境からあらゆる世代を構成する人体へと‘水平に’伝播することによって、まったく予期できない新たな心身の疾患が発症する恐れを無視することはできない。
現在、地球温暖化現象に顕著に見られるように、私たちを取りまく環境は著しく変貌を遂げようとしている。生命やこころの問題は、環境から切り離して考えることはできない。まして、環境汚染がさまざまな形で現実となってきた今、その生命およびこころへの影響をいかにして捉え、評価するかという問題は緊急かつ重要な問題と言える。しかも、汚染のない理想環境を前提としてきたこれまでの科学の常識では問題の実体すら捉えることはできない。京都大学国際フォーラムでは、物理学・生物学・医学・農学・工学・哲学・経済学など自然科学および人文科学の幅広い分野から研究者を招聘し、人類の置かれている現状を精査するとともに、明るい未来への展望をさぐる提言を求めて、異分野交流・国際交流を行いたい。これがフォーラムのテーマである「統合」の科学の目指す内容である。