日記 (1月)


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主な予定

  1. 1/16: 物性研究
  2. 1/17: 公聴会
  3. 1/18: David Yoon
  4. 1/24: 大阪市大セミナー
  5. 1/24-27: 数学者のための分子生物学入門
  6. 1/28-30: 理論応用力学講演会(OS9)
  7. 2/4 M論
  8. 2/10 卒論
  9. 2/13-14: M入試
  10. 2/21: DEM
  11. セッションプログラム(1/30(木))。
  12. 岩波(初稿送った。現在校正中。3月28日発売か?)
  13. 全然終らない本2(〆切はとっくにすぎた)

2月


1/31:

東京に行った後の虚脱のせいか学生の論文を2つ読んで、 事務書類を一つ仕上げた位。

事務書類で論文リストが必要になったのだが、この機会に日本語の解説のリストも 作ってみたがおそろしい勢いで増殖中である。また聞いたこともない学会が多い。 解説を書いた学会誌を列挙すると 物理学会、流体力学会、粉体工学会、粉体工業技術協会、エアロゾル学会、 静電気学会、応用数理学会、混相流学会となる。ここから僕の専門が分かる。

物性研究編集後記

相撲の貴乃花が引退した。私は今ではすっかり相撲を取ることも見ることもないが子 供のときは相撲好きで知られる少年であった。小学生時代は大相撲を毎年1回 見に行っていたし、テレビにかじりついてひいきの力士を応援していた。また 体育の授業でクラスを半分に割って相撲の勝ち抜きをすると全員抜くなどほぼ 素人相撲ではまず負けることはなかった。

相撲は時代に応じて梅常陸の時代から太刀山、栃木山を経て戦前の双葉山の登場 があって隆盛を極めるようになった。戦後も栃若の時代に人気が沸騰した後に柏 鵬に引き継がれ、その後も北玉から輪湖を経て千代の富士、そして曙貴時代を経 て今日に至っている。このように強い横綱や拮抗したライバルがよいタイミング で現われ続けて世代を引き継いで来ている。今場所で貴乃花が引退して朝青龍が 横綱に昇進したのはまさにこの流れに乗っているが、相撲人気はすっかり衰えて、 今後どうなっていくのか先行きに不安を感じるファンも多いだろう。

ミーハーな相撲人気が絶頂だったのが貴乃花が貴花田という四股名で曙と競って いた頃だから昨今の零落ぶりは急で甚だしい。そもそも二子山部屋と藤島部屋が 合併して上位幕内力士間の取り組みがなくなったのが相撲人気の衰退の 原因の一つであり、また外国出身力士に対抗できる日本人がいなくなったのも一 因となっている。

貴乃花はなんだかんだと言っても日本人の横綱としての孤塁を保っていた。しか し小泉が「感動した」と絶叫した相撲で全てを失った。足の怪我をおして無理に 相撲を取ったことで目先の勝利と熱狂は獲得したが相撲人生はそこで終ったに等 しい。あそこはやはり休場すべきだったのであろう。

国技としての相撲がこのまま衰えていくのを見るのは忍びない。しかし科学 や大学をめ ぐる環境も予断を許さず、相撲のようになってしまうかもしれない。幾つかの類 推があてはまる。相撲人気がなくなったのは子供たちが相撲をしなくなったから である。一方、子供の理科離れは先進国共通である。またアメリカ等においては (特に理論系では)院生やポスドクは外国人ばかりであって、自国人はいろいろな 意味太刀打ちできない状況にある。また一部の機関に人気と人材が集まりすぎ、 あるいは集めるシステムに移行させようとしていて若い学問としての魅力が失 われつつある印象がある。 こうして考えると田中さんがノーベル賞に関してミーハーな人気が 出た現状は逆に危機的で、若貴人気の湧いた後の相撲のように科学全体の 衰退はあっという間におこるかもしれない。また目先の効果を追い 求めて「感動」的な即効性のある改革をすると学問にはとどめを刺し兼ねない。 特に日本では学力低下の波がおそろしい勢いで伝播しており今後が懸念される 状況にある。


1/30:

雪でひどい目にあった。

セッションは物理学会よりは盛り上がったが、いかんせん講演時間が足りない。 印象的だったのは阪口さんのパワフルなシミュレーション、 田中君がこの間のセミナーから随分新しい実験結果を加えて いたことと小松さんの相変わらずきれいな実験である。

理論応用力学講演会の論文集を見ると物理学会より面白い話がいっぱい並んでいる。 しかし(我々のところは部屋が狭くて立見もあったが)大先生を集めたパネルディス カッションではパネラーの方が多いのでは、という位の不入りだったそうだ。 あまり盛り上がらないのか?

たまげたのはここでの講演を論文にするときにまず採択のいかんに関わらず10000円 を振り込み、更に論文になるとき投稿料として50000円を出せという一文を目にした ことである。英文の論文を書く気はあったがやめにしよう。


1/29:

宇宙フォーラムからの講演依頼。2/17-18とは日程が悪い。断りたいのは山々だが 宇宙実験も捨てがたい。

明日の準備のための計算とトラペ書きを大あらわで行う。東京へ。


1/28:

朝一から試験監督。といっても最初のは私の試験科目。火曜の学生はあまり授業に 熱心に参加していないだけに 退席可能になった瞬間に矢継ぎ早に出された答案は殆んど白紙で げんなり。ざっと見ても明らかに金曜の学生よりできが悪い。更に不正行為すれすれ の挙動不審者が2名いるはで朝から今一歩の気分。

ゲラをもう一回見てBehringerとやりとりをしてから、ゲラを提出。岩波のシリーズ にも文句ばっかり言っていたがいざ書いてみると愛着も湧く。基礎的な分野の教科書 には小冊子スタイルの本は不適だが、探してみると小冊子ならではの機動力を生かした 本もある。佐藤文隆の「光と風景の物理」は暇潰しにちょうどよい。久我隆弘の 「レーザー冷却とボーズ凝縮」はある程度、物性研究で大見さんに書いて欲しかった ことが書いてあるのでいい。山本昌宏の「逆問題入門」は入門としては面白く書け ている。と言っても今のところ、この3冊位しか面白い本は見当たらない。

化学反応系は直ちにできないので元もとの問題設定に沿って訂正の計算をする。すぐ 終ってくれないと困るが、おいおい計算が合わないぞ。


1/27:

論文をようやく投稿できた。 やれやれ。長い道のりだった。非弾性衝突の理解もだいぶ進んだがもう一歩だと思う。 例えばはねかえり係数が1を越えるメカニズムを簡単に説明できないといけない。 と思ったら早速印刷ミスを発見。(3)式の符号が間違っている。

化学反応系ではスケーリングがないのか?何か勘違いをしているような気もするが。 そうすると変更点が多いのかな。

ゲラと格闘。


1/26:

岩波の本のゲラ刷が来たので全面的に見直し、索引を作り、まえがきを書く。大幅に 書き換えた箇所も多々ある。もう一回通して見直す必要があるだろう。

好記録ラッシュに沸く大阪女子マラソン。野口のように全身を使って足を高くけり あげ、足の流れるランナーにはマラソンは無理だろうと思ったが、その予想を覆した。 また秘かに大物と言われていた坂本の好記録や一旦ランナーをやめた元世界選手権 メダリストの千葉の復活など見ごたえがあった。

「ロケットボーイズ」を読了。町のみんなのバックアップを受けて、 高校生が仲間同士で知恵を出してロケットを打ち上げていく所は自分の高校時代と 比較すると羨望を覚える。 その一方で廃鉱間近の町で恩師や友人が亡くなったり父親が大怪我をしたりして もの悲しい話が深みを出しているのか。


1/25:

「数学者のための分子生物学入門」に参加。参加者が多く、数学者が確信をついた 質問をし、また仕事をしていることに驚く。新しい分野の勃興の熱気を感じた。 分子生物学という諸科学の中で最も注目されている分野に数学者が積極的にコミット して、意味のある成果が挙がりつつあることに正直に驚嘆する。物理学者はマクロな 生物なんかやっている場合ではないと思う(私見)。


1/24:

私の試験科目の試験監督。試験中に最初に退席した学生が満点であったのには驚きと 喜びを禁じ得なかった。今までは例外なく白紙だったのだが。ざっと見たところ出来 はよさそうだ。

4年と卒研の打ち合せをしてから大阪市大へ。まだパワーポイントに慣れておらず 画面表示のトラブルもあった。聴衆は少なく、あまりこうした問題に馴染んでいな かったようだが、問題の面白さは伝わったようだ。セミナー後、坪田さんと痛飲する。


1/23:

多分気体の化学反応の記述に援用可能。だいぶ話が変わるような気もするのだが Santosとの差異を出すには仕方がないだろう。

明日のセミナーの準備をする。Reviewの方が長かったりする。

吉田君の修論はどうなるか心配していたが非常にまっとうなものが出来上がった ようだ。最後の頑張りがきいて良かった。

ASEPでも4/3乗則が出るとの報告。そうだろうそうだろう。何しろ元が可解モデルだから 誰も納得する形で法則を書き下せる可能性がある。 まずは卒論は予定通り進んでいる。

流体力学会のセッションオーガナイザーはさすがに断る。来週のをやって夏に同じ ようなのを東京でやれと云われても対応できない。


1/22:

午前は銀行。

金君のセミナー。激論があった。

何とか活かせないと考えるが難しい。下手に時間を潰すよりも他のもっと大事な ことを開始した方がいいかもしれない。


1/21:

今年度最後の授業。

結局モデルは最初考えていたものとして言い訳する。外にソフトコアがあって内側 に非弾性ハードコアがあるとする。そうすると本当はインパクトパラメータと エネルギーによってハードコアに到達できるかどうかが決まるのだがそこを単純化 したという苦しい言い訳。もともとのMaxwell モデルからしてそんなに物理的ではないので 正統性を多弁しても始まらない。

金君と國仲君の原稿論文を読む。共に投稿OK. 金君は再投稿だが、國仲君のは やっと投稿までこぎつけたという感じ。ここはスパッと一発で通したい。


1/20:

どう修正するかで筆が止まる。やはりrealityを強調しないといけないが容易では ない。単純にハードコアのデカップル近似とすると分かりやすいがそうすると 明日はない。

金君と議論。どこでもrevisionの話ばかりでうんざりする。卒研はやはり2状態は 必要。そうすると行列が大きくなりそう。

貴乃花の引退ということで相撲ネタの続き。

解説をしていた玉ノ海さんは現役でかつ二所ノ関親方(二枚看札)だった玉錦の 後をついで2枚看札となった。 現役時代は怪力でならし、小柄な芸者をてのひらに乗せて 見せるのを得意にしていたと言う。その後どういう経緯で大関佐賀乃花に名跡を 譲って相撲界から身を引いたかは知らない。(追記:戦犯容疑をかけられたときに 相撲協会が積極的にサポートしてくれなかったため協会を離れる決心をしたらしい。) (先代)片男波(玉乃海)は荒法師と言われ、私生活でも相当に 無茶な人だったと伝えられる。 戦前に鬼より怖い と言われた憲兵をなぐって怪我をさせ、破門になる。戦後復帰して平幕優勝を するも大関にはなれなかった。玉の海の死後はまたむちゃくちゃな生活に戻った という。

玉の海は不知火型の土俵入りをしていた。不知火型は横綱不知火が始めたかといえば さにあらずで不知火は雲龍型に近い形で土俵入りをしていたと言う。また雲龍こそが 不知火型の原型で土俵入りをしたとも云う。 どこかで間違えられ、その 後、誤った名称が定着した。この辺の事情は ここ 参照. 不知火型の土俵入りをする横綱はどうも短命である。玉の海の他、吉葉山、 琴桜、三重の海、隆の里、旭富士、双羽黒、若乃花(勝) がやったが皆あまり活躍せずに引退した。 双羽黒に至っては優勝できなかったばかりか親方夫人を足蹴にして逃走したので 三面記事を飾り、大相撲の権威を大いに失墜させた。 従って不知火型の強豪横綱と言えば 羽黒山と太刀山しかいない。羽黒山も戦前は同部屋の先輩の 双葉山の影に隠れ、戦後 4連覇したものの混乱期で誰も注目してくれず、その直後にアキレス腱を痛めて、 運がいいと は言えない。45日(一突き半で相撲が終るから)とか仏壇返しの荒技を使い、 不正出の大横綱とされて いる太刀山にしても引退後は何故かちょっと前の常陸山程評価が高くない。成績は (黒星一つをはさみ43連勝と56連勝をするなど)4年間不敗を誇った 太刀山の方が上だと思うが、武士階級出身の 常陸山は梅常陸で明治期の相撲ブームの立て役者だった 上に、相撲芸者の立場を改める等の功績もあり 引退後すぐ取締になったのに比べ、太刀山は引退後取締になりそこね、 人望のなさを悟りすぐ 相撲界を去ったせいかもしれない。どちらにせよ太刀山を除く大横綱は全て雲龍型 で土俵入りをしている上、悲劇色が強くあまっさえ北尾の出現でイメージに傷ついた 不知火型の土俵入りをする力士は今後現われるだろうか。

黒澤映画「用心棒」に出て来る巨人は元相撲取り(新高山)である。他の俳優との 背の差は甚だしいが身長は2mあまりと伝えられる。当時の俳優の平均身長が低い ことも背の高さを際だたせているのであろう。また巨人として有名なのは昭和初期に 活躍した出羽が嶽。身長2m10cmあまりであったがその容貌魁偉とあいまって 独特の人気を誇っていた。後援会会長が(青山斉藤脳病院の院長であり、斉藤茂吉の 義父であり、北杜夫と斉藤茂太の祖父である)斉藤紀一である。北の傑作「ニレ家の 人々」には出羽が嶽は蔵王山として登場する。昭和以降で最も背の高いのは2m14cm とされた不動岩 と言われる。当時の巨人は脳下垂体ホルモン分泌異常による巨人症であった。した がって例外なく動作は緩慢で下半身はもろかったという話である。その巨人の中で はバランスが取れていてそれなりに強く大関を務めた大内山(202cm)は顎が伸びる 奇病で休場したことがある。

さて貴乃花の引退で一つの(相撲の)時代が終ったことになる。若貴曙の時代は空前 のブームだったが、子供が相撲を取る機会は減り続け、女子供のミーハーが 支えたあまり実のない人気であったと思う。また二子山と藤島の両部屋の合併は まずかった。最大勢力の2部屋が合併して取り組みがつまらなくなっただけでなく 力士自体も親方の血縁でないと部屋を継げないのではないかとの印象を持ち、無気力化 したのではないか。

若貴曙の時代は10年近く前から続いていたが、その前の10年は千代の富士の時代 だった。そしてその前10年は北玉から輪湖、北の湖時代。またその前10年は 柏鵬から大鵬時代であった。そしてその前は栃若。戦後、栃若が出るまでの大相撲は 苦しかったと言われている。そもそも武道色が強く、国技を標榜し角聖双葉山を無敵 日本軍?と重ねて宣伝していた相撲が占領軍の覚えがいい筈がない。また 双葉山自身が囲碁の呉清源と共に新興宗教にはまり 警官を投げ飛ばしていた(璽光尊事件)して世の中の混乱の象徴のような存在になって いた。その後、関脇力道山や横綱東富士がプロレスに転向したり、千代の山が不成績 のあまり横綱を返上したいと言って物議を醸したりしていた。戦後の混乱を抜け、 栃若の人気がでてきた 昭和32年になっても不正経理が問題になって 出羽海理事長(元横綱常ノ花)が切腹騒ぎを起こしたりしてろくなことはなかった。 (因みに出羽海の腹の脂肪が厚かったために命には別状はなかった)。その頃 若乃花はまだ大関で 本当に栃若時代になるのはその後から昭和35年の 栃錦の引退までである。栃錦は35年春に 史上初めての千秋楽での全勝対決で若乃花に敗れ、 翌場所に序盤に2連敗と 取りこぼすとさっさと引退してしまった(師匠の栃木山も不敗の優勝、それも 3場所連続優勝の後 に突如引退した。栃木山は引退後6年もたっても 本場所以外のトーナメント(大日本相撲選士権大会) で現役力士を連破して 優勝する程強かったが、マゲが結えなくなったために引退したと言われる。栃錦は 髪はいっぱいあったのだが)。相撲人気は既に入幕を果たしていた柏戸、大鵬に引き 継がれ、人気は継続した。その後、大鵬時代の後期の不人気や玉の海の死後の混乱 もあったが概ね順調にスターが育って来たが、ここ数年は本当に苦しいみたいだ。 朝青龍が若貴の人気を継ぐとも思えないし、他にめぼしい有望力士も見当たらない。 今後相撲はどうなるであろうか?

まあかくいう私も最近は相撲を全然見ないし、 結果にも殆んど関心がないから大相撲の 先行きは明るくはないだろう。

まあこんなことを書いている場合でないことだけは確かだが。


1/19:

Santosの論文でのつまらない印刷ミスを発見。後の結果に影響しないミスだ。 修正の方針をいい加減固める必要がある。

図書館で「ビューティフルマインド」を借りて来て読了。言わずと知れたナッシュの 伝記だが赤裸々に書いてありアメリカで物議を醸したというのがうなずける。 ナッシュのようにひどい分裂症に苦しむ人はそれほどでないにせよ、 数学や理論物理等、結果が明確に見えない作業で精神を病む人は少なくないだろう。

貴乃花が引退間近の相撲界で朝青龍が連続中日勝ち越し4場所という珍しい記録。 ニュースで横綱でも4人しか達成していないと言っていたが無論15日制の定着した 1949年以降の話で4人とは栃錦、大鵬、玉の海、北の湖である。昭和以降では少な くとも双葉山と羽黒山も4場所以上の中日給金を達成している。5場所以上となると 69連勝をしていたときの双葉山と玉の海しかおらず、記録は昭和45年秋場所から翌 名古屋場所にかけての玉の海の6場所である。因みに玉の海のその 6場所の通算成績は84勝 6敗で当時、6場所制が定着した昭和33年以降で昭和41年から42年にかけての 大鵬の記録と並んで1年間での最もいい成績だった。今の記録は昭和52年秋場所 から翌名古屋場所までの北の湖の85勝5敗である。(年間最多勝は昭和53年の 北の湖の82勝である)。無論、足掛け3年に渡って不敗であった双葉山とは比べる べくもないが玉の海の記録もなかなかである。また千代の富士や貴乃花も達成できな かった4場所連続での中日での給金直しの朝青龍の 記録はどこまで伸びるであろうか。

玉の海を紹介したのは私の子供の頃のひいき力士であったからである。 当時は巨人、大鵬、卵焼きと唱われた大鵬の晩年で、強すぎて面白くない大鵬は きらいだった。それで打倒大鵬の一番手と目されていた大関玉乃島(後の玉の海)を 応援していた。(もっともその前は幕内一の巨漢義ノ花を応援していたがあまり 弱いし、負けると泣くので親が閉口して玉乃島はどうだと応援力士を誘導して 乗り換えたという情けない話もある。まあ1年生のときだから仕方がない。) 彼の現役時代は本場所にも行き、テレビにかじり ついていて応援していたものだ。特に力が入ったのはまだ大関玉乃島時代の 横綱昇進がかかった 昭和45年の初場所で、千秋楽を迎えた時点で1敗の北の富士を1差で追っていた 時であった。(因みに玉乃島は44年秋13勝で優勝、九州は10勝であり、 横綱昇進には逆転優勝が必要と言われていた。 北の富士は 秋が12勝で準優勝、九州が13勝で優勝であり千秋楽の結果によらず横綱昇進は 確実視されていた。)結果は本割では吊り出しで勝ったものの優勝決定戦で敗れ、 大泣きをしたことを覚えている。幸いにも場所後2人は横綱に同時昇進を果たして 玉乃島は玉の海にしこ名を改めた。また昭和46年の初場所も忘れられない。 玉の海は素晴らしい相撲で14日目まで全勝。1差で大鵬が追っていた。しかし 信じられないことに本割と決定戦に立て続け敗れ、大鵬が32回目の優勝を飾り 呆然とした。(後年、その相撲の テレビ解説をしていた玉ノ海さんがあれは八百長だと週刊ポスト にすっぱぬいたのだが当時は知る由もなかった。)

玉の海は北の富士と共に大鵬の最晩年から引退後(46年夏に引退)の土俵を 支えていたが、その引退、というより死は突然だった。46年秋に盲腸の痛みを薬で 散らしながら土俵を勤め、連続中日給金の記録も途絶え12勝に終ると盲腸の手術を した。しかし術後、様態が急変して27歳にして帰らぬ人となった(1971/10/11)。 横綱になって 10場所でその間130勝20敗。肝臓病に苦しんだ45年名古屋を除くと最低でも12勝という 成績とその腰の強さから双葉山の再来を期待する人も多かったが叶わぬ夢となった。 現役横綱の死は 彼の師匠片男波(元玉乃海)の師匠(玉ノ海)のまた師匠であった玉錦以来のことで ある。奇しくも(どうしても勝てない双葉山に対して呻吟としながら) 玉錦も盲腸でなくなっている。

相撲は昭和43年から4年連続で名古屋場所を見に行って いたがちょうど彼が死んでからは見に行っていない。(親は玉の海が負けると泣く 坊主を連れて行くのは嫌だったと思う。44年の名古屋は藤の川(現伊勢の海)が 決定戦で清国(現伊勢ヶ浜)に負けたので泣いたのを覚えている。特に藤の川が ひいきでなかったのだが)。


1/18:

David Yoonと稲垣さんが訪ねて来る。DavidはJenkinsの所のM2でkinetic theoryに 基づくsegregationを研究している。segregationでは Jenkinsの古い理論と最近のHongの密度汎関数によるものがよく知られているが、両者 共無散逸の極限を議論しており両者の間の関係も明らかではない。Davidと稲垣さんと はIthacaにいる間によく一緒に行動していたので話も弾んだ。晩は金君と占部さんも 一緒に街中に行って食事を取る。


1/17:

結局試験問題の手直しを午前中かけてやった。やっぱり昨日のバージョンでは学生 はできないだろう。

午後は博士論文の公聴会。MDによる高分子の結晶化のシミュレーション。いろいろ 突っ込みどころはあったがまとまった結果を出していた。その後の委員会の会議は 妙に長く意味がなかった。

その後に卒研の打ち合せ。完全な2レーンにするとMatrixがでかくなりすぎるので シンプルに1レーン+スピンにモデルを変更。これが解けるかどうかは分からない が昔のモデルよりはずっと解析しやすいモデルになっている。

中島みゆきの露出が多くなっているが「中年サラリーマンの応援歌」という のはやめて欲しい。大勢でカラオケで歌うのもちょっと異様な気もする。やはり 「 エレーン」あたりをじっくり聴き込んだ方がいいかもしれない。


1/16:

Santos の論文の主要部のチェックは終る。もう彼が間違えている可能性は殆んどない。 情けないことにこちらの計算は幾つか間違いが見つかった。いろいろ助言をして貰って 情けないことに完全に先生と学生の関係になっているぞ。さっさとこんな仕事を片付 けてしまわないといけない。

定期試験の問題作成。ちょっと量が多いかなと一抹の不安がある。

松下さんが還暦とは驚いた。


1/15:

おお、ここで間違えたか。どうもSantosの方が正しいので嫌になる。そういえば Maxwell modelのレビューが 出ている。世の中の進展は早い。

韓国のスケジュールを見るが、やはり厳しい。そもそも会場が不便すぎる。


1/14:

中島みゆきが遂に1位か。すごい。

計算の手続きはこれでいい筈なんだが。

1コマ目に授業。

2月にまた東京に行くかも。


1/12-13:

辛気臭い計算の続きだがどうも合わない。そもそもΓ関数の嵐でうんざり。


1/11:

Santosの論文を読むが自分がやったのと同種の辛気臭い計算が続きどうも乗って 来ない。とは言え微妙な差がどこに由来するのかをつきとめないといけない。 終った(と思った)仕事の後始末はどうも気が進まない。

さて2月7日の予定がキャンセルされたので韓国に行くことが不可能ではなくなった。 行くべきかどうか思案。面倒だが 行くべきか。行くとしたら分子生物はキャンセルで東京は日帰りになるだろう。


1/10:

授業の後、2コマ目は期間外試験。採点は今日のうちに済ます。

卒研。光藤君と一緒にモデルを考える。解けるかどうかは別にしてモデルは うまく構成できそうである。予想通りDirac方程式っぽいものになりそうだ。 4年生で1月中にモデルが固めてシミュレーションをして卒論を書くという のも大変そうである。僕は卒論が終った後が勝負だと思っている。

Santosから詳細なコメントが届く。論文の改訂は忙しかったし、方針が立たなかった のでずっと放っているが、本が一服したのでそちらにかかろう。相関の効果は次の 論文かな。


1/9:

岩波との綱引きの結果、とりあえず今日はもう少し原稿に手を加える時間が 与えられた。付録Bを完成させておまけの6章を書いた。他にもちょっと手を 加える。

金君との論文。 ちっとも印刷に回らないのが苦しい所。

はねかえり係数が1を越えるというのはごく簡単に出るようだ。國仲君の シミュレーションでも最も簡単な場合にそれは起きる。重力の影響なんか ない。上限なんかまるで意味がない。


1/8:

朝ちょっと計算をしてから自転車屋に行く。前はスポークが10本程折れたまま 走ったこともあるし、電灯も接触不良で一瞬しか点灯しないし、フレームは曲がっ ていて、修理の際に毎回買い替えを薦められる程ぽんこつであった。そこで今回の 修理をするより思い切って買い替えた。走行中に分解しないうちに買い替えたのは 賢明であった。

学校に来て間もなく昨日だけでなく12/31,12/21,23に煮詰まっていた計算が簡単に 出来ることに気がつく。分かってみれば実に簡単だったし、特に工夫も要らない 計算だった。という訳で脚注でさらっと流すのには労力が要ったので付録をもう 一つ作ろう。

セミナーは青木研助手の小菅さん。字と声が小さく、得られた結果と 初めにモチベーションで説明していたモデルとの関連は言わないし、notationの 説明は(殆んど)なく、一般の人には聴くのは難しいセミナーだったであろう。 しかし気体論をある程度勉強している人には(そして曾根さんの本のnotationに 慣れている人には)面白い内容のあるセミナーだった。彼らは境界条件として拡散 境界条件を使っているがその結果速度分布関数が境界近傍で正の速度のものと負の 速度のものが不連続になっている。拡散境界というのはそういうものなのだが、これは 正しいかどうか興味深い。またポアズイユ流での質量流量がKnudsen 数が1近傍で 極小になるのは知らなかった。

岩波から無茶な注文が来る。とりあえず今朝の計算を付録につけるために原稿を 打ち込む。大体打ち込んだが見直しがまだである。


1/7:

年末からひきずっている式の導出を試みるがうまくいかない。何か斬新なアイデアが 篭められているのか?そうは思えないが。どうでもいいような気もするのだがやはり 気になる。


1/6:

仕事始めだがあまり集中できず。自転車が大学においている間にパンクした。 寒さで弾力がなくなったせいか。1時間以上ひきずり回したが何処も自転車屋は しまっていた。


1/5:

移動。


1/4:

高校時代のラグビー部の連中と集まる。2000年に同窓会があったので同期の2人には そのときに会ったが斉藤君とは20年ぶり位だろう。皆エンジニアなので普段聞けない 話が聞けて面白かった。斉藤君がレーザーをやっているのでBose 凝縮の話をしたが、 それが出来て何が嬉しいかをうまく伝える事が出来なかった。実際、未だにあの実験 の価値はよく分からない。物性研究にもその意義を解説して貰おうと記事を依頼した が外れだった。まあいろいろ見えて来ないものが見えるのは素晴らしいのだが、それ だけでは異分野の人に意義は伝わらない。ChuのLaser coolingの 方が重要であるという事を再認識した。

しかし同年配のエンジニアは皆忙しそうである。やはり勤勉さが足りないのかも しれない。


1/1-3:

年明け。年始挨拶のために妻の実家に行き、下鴨神社へ。おせちを 食べた後、名古屋へ移動。その後、 実家で過ごす。


12月