日記 (2月)


counter 主な予定

  1. 2/2: 修論発表会(理) 11:20-斉藤君
  2. 2/5: 修論発表会(人環) 17:00-河原田君
  3. 2/10: 卒論発表会(総人)
  4. 2/20: 博士編入試験
  5. 3/3: 川崎セミナー
  6. 3/8-10 Dynamics of complex fluids (京都)
  7. 3/11: Elservier
  8. 3/17: 太田セミナー
  9. 6/? 阪大集中講義
  10. 7/4-9 STATPHYS at Bangalore, 7/11-13 Kolkata (Satellite meeting)
  11. 全然終らない本(〆切はとっくにすぎた。原稿はとっくに書いたのだが。。)

3月


2/28:

STATPHYSに登録し、要旨も送る。学会の宿も予約。 COEのワークショップは下働きもある上に、 結果もなく、京大の学生の発表ばかりなので自分の発表は見送ることにした。

3月11日にElservierの人が来るとのこと。一体何事であろうか。

有賀君の英語の原稿を見る。いかにも英語の論文を初めて書いていますという感じの 原稿だったのでかえって安心した。


2/27:

結局できそうでできない。コンピューターの調子が悪い。


2/26:

うーむ。


2/25:

宇宙フォーラムに申請を予定するということで委員の再任は断った。 結局は出さなかったりして。

もう少しでできそうな気がする。時間遅れの効果を考慮したこのアイデアはうまく いくと思うのだが。


2/24:

監督でずっと立っているのも疲れる。トイレに中座する受験生が異常に多く、その ガイド役で1科目につき5回は外に出た。さすがに出席率は高く真剣さがセンター 試験と違う。理学部の人に聞くと採点か監督のどちらかが当たるが監督だけの方が 多いとのこと。今までは毎年採点だったから随分部局によって違う。

宇宙フォーラムの件で佐野さんと相談。


2/23:

監督説明会。考えてみると(センター試験の監督はよくやるが)学部入試の監督は 初めてかもしれない。京都に来てから採点は毎年のようにやっていたので棲み分けが あるのかと思ったが、今日の説明会のメンバーからするとそうでもなかったようだ。

冨田さんが研究科長になってしまうので、太田さんのセミナーを強引に企画。 太田さんも事情を察して快く引き受けて下さった。

宇宙環境利用に関する地上研究の公募案内が来る。

薮崎さんの退官パーティーの発起人になることを承諾。研究上の 接点はなく、第1教室に合流して日が浅いので迷ったのだが、 世話人に高校の同級生と大学の同期生が含まれるので承諾することにした。 蔵本さんのパーティーには勿論出席するので稲盛も出ると4月の 毎週土曜はパーティーか。

S展開は結局駄目だ、という話。


2/22:

へぼ将棋で子供達に勝つ。次男はまた弱くなったようだ。


2/21:

ようやくReferee's reportを一つ書き上げる。


2/20:

博士後期課程の編入試験。朝1の太田さんの学生の審査には当たっていないのに 電話が2回かかってきて強引に呼び出される。結局4つ見た。レベルは様々。 その後、会議があって戻って来たら夕方である。

途中の昼飯で太田さんにいろいろ驚くような話を伺う。


2/19:

とりあえず波のエネルギーを計算するがモード選択が分からない。もう少しで できそうな気がするが、気のせいかな。

学生の就職が決まる。おめでとう。M1のときは他の研究室の学生と比べて 学力不足が目についたし、修論のために研究に入っても木を見て、森を見ず という感じだったがよくぞここまで成長した。


2/18:

うーん。どう考えるべきか手がない。

午前は占部さんの中間報告。過去に行なったことが整理されていない。苦しんで いるようだが、実は過去にいい結果を出していたのに勘違いでスルーしていた だけかもしれない。

午後は4月からの新人の齋藤君による卒研発表。こちらも整理されていない印象。 BZ反応の話を聞くのは久しぶりな気がする。

その後、学生と議論。


2/17:

弾性力をいれてまっすぐな状態で横から押した状態とアーチを作ったときの エネルギーを比較したが、やはりアーチの方がエネルギーが高く不安定。 これは確定。

次男は将棋が突発的に強くなって、またもや一蹴されるばかりか長男にも ニ戦無敗。小1に牛自られるのも情けない。


2/16:

Bendingの続き。

宮下さん来訪。


2/15:

子供と将棋。次男が復活してきた。一刻、次男に勝てない時期があったが今年に なってからは負けていなかった。ところが本日は3回も負けた。長男には勝った。 次男は殆んど長男に勝てないので三すくみ状態が復活か。

Bendingの続き。


2/14:

雨が降りそうなので早く帰るが、本降りになる前にやむ。かえって濡れた。 12月の話を引っ張り出す。


2/13:

一つの厄介な話は大体済んだかな。

Binary Mixturesの論文を読む。

Prof.Liuが杉山さんに連れられて訪問。Extended Thermodynamicsのセミナー。 14 momentsでFourier則とずれるからその値をself-consistentに決める話。 そもそもentropy principleはいいのかどうかは分からないが、聞き取りにくい 英語の割にクリアな話だった。Practicalに意味があるかは不明。


2/12:

COE全体会議。結局、出張手続きでトラブって面倒な話になっている。リーダーはすぐ 怒るし。会議は長くて内容がない。

審査報告書、質疑を書き終える。審査報告書には2000字×4。そんなに書くことない し、そんなに書くからそれを報告する会議が長くなる。

夜半、もっと厄介な事態が生じる。


2/11:

一家で「法」の山を越える。Web serverのマシンがクラッシュ。


2/10:

「京都に原爆を投下せよ」を読んで眠れなくなった。

卒研発表。有賀君の発表の構成は練習会の方がよかったような気もするが勿論 これでも問題はない。興味をそそられたと見えて儀礼的でない質問も幾つか出た。 審査報告書を忘れたので途中退席して速攻で書き、冨田さんの印鑑を貰う。

午後はXuさんからLBMのderivationの話の説明を受けるが肝心のGauss-Hermite 公式の説明がない。


2/9:

いろいろLBMの文献を漁って、 離散化の概要は分かった。しかし等温条件が外しにくいと今の問題には 使えない。ということで最初からmixtureだな。

来年も卒研生がつくことになった(1/30参照)。


2/8:

久しぶりに平穏な日曜。


2/7:

単純に計算を進めるとちゃんとしたゼロ固有関数、ゼロ固有値の関係が崩れる。 等温条件がどこから来たか、Hermite公式の使い方等分からない点が多々ある。

冨田さんがだいぶ前に次期研究科長になっていることを知らなかった。

「ロード・オブ・ザ・リング」をテレビで見る。長男は指輪物語を全部読んでいる のでいろいろ解説がつく。割とよくできた映像に思えたが長男は不満の様だ。 小学生のときに「ホビット」がつまらないと思ってから読んでいないのだが、 興味を持った。しかしトールキン教授は暇だったのですね。


2/6:

離散化についての議論。何か話が噛み合わない。最終的に納得したのかな。 とりあえず理論的に抑えられるところは抑えておこう。

有賀君の発表練習。殆んど文句のつける箇所はない。パラドックスに思えたところ は大体納得した。それにしても彼ほど理想的な学生は見たことはない。原稿を 書けば殆んど修正は不要だし、セミナーをすれば4年で原書の完全な翻訳と計算を してくるし、オリジナルな研究も学位取得者も青くなるレベルで行なう。 留年して文系の大学院に進もうというのは惜しい。


2/5:

河原田君の修論の発表。昼に最後の練習をやったときはかなりmisleadingだったが、 本番では何とか恰好がついた。結果は新しい話なので充分論文になるし、関係者に はインパクトがあると思う。

会議の後、光藤君の最近の仕事ぶりの報告を受ける。調べていることは固有値分布 と行列の方法での特解の構成。前者も面白い結果が出始めている感じだが、後者は ずっとスタックしていた点から大きな進展があったように感じる。見込み通りに 解析が進めば、充分論文になるし、2レーンの厳密解であるから面白いのではない かと思う。勿論、見込み違いという可能性はあるが、それでも新しい結果には 違いない。


2/4:

検算が必要だが一応エネルギーまでBurnett orderの計算が終了。但しこれだけで は物理がないのでどうするか。とりあえず練習は終わったということで当初の 目的に応じた計算をすべきだろう。

ちょっと一休みをして指数関数分布になる理由をあれこれ考えるがうまくいかず。

会議から帰宅。


2/3:

Burnett orderの計算。とりあえず質量、運動量は終了。 エネルギーの計算にとりかかる。


2/2:

雨中、北部へ修論発表会へ。液晶プロジェクターを2台置いて次の人がパソコンで 準備をしながら発表するので聞く方は気が散る。そういえば先日のD論審査では 半分だけOHPを使おうとした人がいたが誰も使う人がいないので壊れたまま放置 されていたので講演が面倒なことになっていた。予備のものを持ってこさせよう としたらこちらも誰も使わないのでランプ切れで放置されていたという落ちがつく。

非対角項も残るのか。計算の修正が必要になる。

長男の受験の本命校の発表を見に行く。長男は最前列へするするともぐり込み、同じ 塾の友人と待つ。15分程遅れて発表があり、首尾よく合格。感極まった長男は 号泣してしばし泣き止まず。長い道程であったがよく頑張って合格したと思う。

塾の算数の先生が総人の文系一期生ということで驚く。

中学受験の是非は正直なところ分からない。しかし公立に進学校がない京都の 特殊事情と2002年のカリキュラム改悪のために受験せざるを得なくなったという のが正直なところである。また大学受験とは異なり、家族を巻き込むので、一家で 山有り谷有りの体験を余儀なくされた。このことは他の受験生を抱えた家族も 同様だ思われ、いろいろな体験記が出版されるのもよく分かる。

我が家の場合、2002年問題のため、とりあえず補習の意味で塾に行かせていた。 長男は5年の中盤迄は全く成績もよくなく、そのことを気にする風でもなかった。 5年の冬に少し成績が上がり、6年前期迄は大学附属中あたりなら狙えるかという 成績で推移した。しかし私立大学への持ち上がりがよいとは思えず、一方で 国立の附属は母体そのものが不安定であるばかりか長男の苦手な副教科の配点が 高く悩ましかった。また中高一貫の府立、市立が折良く開校したが、試験法や 合否の判断基準が不明確なので考慮の対象外にせざるを得なかった。 その一方で6年の1学期迄は塾に行くのは週3回だし、 塾のない日は5時まできっちり外で遊び回っており、11時には強制消灯をして いたので家族としては何ということはなかった。

長男も夏休みはさすがに本腰を入れて勉強をし始めて、我が家もサポート体制が 明確になると成績は急上昇し、結局大学附属を受験することをやめて、進学校と 目されている学校に志望校を変更した。しかし秋から急に算数の問題が難しく なり、長男は算数の点が下降し、ある意味でそこから修羅場を迎えることになった。 もともと長男は算数のセンスはなかったが基礎的な問題であればそこそこ取るように なっていたが、ひねった応用問題を素早くこなすことは手に余ったようであった。 一方で振幅が大きく得意か不得意かはっきりしなかった国語は安定化し、 理科は明らかに得点源に移行していった。算数が苦手で社会が得意というのは親に 似たのだろう。

実質半年と言っても小学生にとって受験勉強はかなり苛酷であった。後期は週5日 間塾に行き、そのうちの2日程は10時過ぎの帰宅になった。皮肉だがそのために 勉強する時間が取れず成績の更なる向上はできなかった。まさに教育過剰で 自発的に勉強する芽を摘んでいるとも言える。それでも子供が通っていた塾は 業界では最もぬるい塾と見倣されている。 例えば灘 に行く児童が通う塾は3年計画できっちり教えて、6年にもなると休みなし で帰宅も11時過ぎ。下手をすると更に家庭教師をつけると言う異常な状況になる。 そんなことがいい訳はないが、長時間の勉強が必要な算数の学力は現時点では歴然 とした差になって現われて来る。 その一方で受験のためとは言え、しっかり勉強したことは今後生きるのではないか と期待する。実際、勉強をしようと思ってもなかなかできなかった自分からすれば 自然と勉強できる習慣が身についただけでも良かったと思う。 今や公立の6年で要求されるレベルは次男にちょうど位、中学受験の レベルとの乖離は激しいので、何もしなければ長男は 小人閑居して不善をなしたかもしれない。勿論、本命の学校に受かり(私からみると) 素晴らしい環境で6年間過ごす権利を得たことは本人の自信にもなるだろう。 これからの我が子の更なる成長を楽しみにしたい。

父は勉強をすると怒るような人だったが、自分自身は新居浜から東京へ中学受験を して進学している。新居浜に中学がなく、西条に行くのも大変だし、松山だとどうせ 下宿を避けられないので東京にした、と人を食ったような事を言っていたが、 本当は祖父母が教育熱心だったからに違いない。実際、叔父も戦後、東京の公立高校に 超越境入学をしている。


2/1:

家で採点。特に火曜の試験が惨澹たる出来だ。教える側でも油断があったかも しれない。内容は同じなのに昨年に比べてこんなに出来が悪いのはどうしたものか。


1月