日記 (1月)


counter 主な予定

  1. 1/5: 専攻会議等
  2. 1/21(AM): 公聴会(國仲、金) (PM) 林(豊田)来訪
  3. 1/22 (AM,PM) 公聴会が3つ:横山、岩城、古川
  4. 2/2: 修論発表会(理) 11:20-斉藤君
  5. 2/5: 修論発表会(人環) 17:00-河原田君
  6. 2/10: 卒論発表会(総人)
  7. 2/20: 博士編入試験
  8. 3/8-10 Dynamics of complex fluids (京都)
  9. 6/? 阪大集中講義
  10. 7/4-9 STATPHYS at Bangalore, 7/11-13 Kolkata (Satellite meeting)
  11. 全然終らない本(〆切はとっくにすぎた。原稿はとっくに書いたのだが。。)

2月


1/31:

いよいよ本命校の受験。妻は5時起き、私と長男は5時半起き。午前は仕事を する。昼に中学に行くが面接試験終了迄コンタクトできないとのことで近所の 図書館に行く。面接の時間が遅く、北野天満宮に寄ってから帰ると夕方になって いた。皆ぐったりしていた。


1/30:

兄が転勤か。だいぶ今のところが長かったからな。

卒論の提出。粒子数を多くすると摩擦係数の取れるレンジが狭くなり、不安定な 停留解に漸近するのは不思議である。

河原田君の練習。指数関数分布を出す「理論」をもう少し整備する必要がある。

総人3回生が来年の卒研を取るかどうかで研究室訪問に来る。ニューラルネット をやりたいとのことなので丁重にお引き取り願おうかとも思ったが、卒研生を だしにしてやりたいことを勉強するのにはいい機会かもしれない。来ると 決まった訳ではないが。


1/29:

STATPHYS の登録が気になってページを覗くとdeadlineが伸びたとのアナウンス。 最近registrationが面倒でキャンセルしてしまうパターンが多い。集中講義を 火、水、木にすれば授業は何とかなるか。参加しないといけない サテライトは 同じインドだけあって思ったより豪華なメンバーを集めた。

卒論の〆切は明日だが、既に出来た分には殆んど朱をいれる必要がない。これは 今までにないこと。なかなか楽しみな論文である。河原田君の修論も提出後に 頑張って投稿できるに足る内容になった。

昨日の計算の手直しと幾つかの推測の証明。密度はドリフトなしに温度と カップルして拡散する。不思議な気もするが、自然なような気もする。 やはり結果が出て来るとS展開の方がChapman-Enskogより圧倒的に優れているような 気がしてきた。Xuさんも計算に慣れて来て競争で計算できるようになり、 効率が上がってきた。

COEの旅費の手続きをどうすれば良いのか分からなかったが、親玉が再三に 渡って事務官に下らない質問をして負担をかけるなとのたまうので放って おいたら、電話がかかってきた。説明なしにはできないややこしい手続きが 必要だったので、堂々と先に聞いておくべきだったかな。


1/28:

どうやら第1の手法であれば矛盾なく展開でき、高次迄計算すると輸送係数の補正も 求まる。やれやれ、冬休みの間に終わると思った計算が1月末迄かかるとは。


1/27:

試験2:昨日にも増してできが悪い。何を聞いていたのだろう。ちょっと油断した かな。

遅々たる進みだが、一つバグを発見したのが収穫。


1/26:

試験1。出来は極めて悪いようだ。双極子を説明しろという問題ができないので は末期的だ。

河原田君が10,000粒子のシミュレーション結果を報告する。

受験その1. 算数が難しく、壊滅しているようだ。他の科目が よくできただけに残念。


1/25:

前日で落ち着かない。

二つ方策を考えた。一つは散逸パラメータをKnudsen数と同程度とする。そうすると 矛盾はないが、当り前だが最低次で粘性率の補正がない。もう一つは可解条件を 崩して場の量のスケーリングをずらして考える。しかし変な気がする。

高校生の理系科目の学力低下が顕著なのは分かり切った話だが、問題を作る方も 大丈夫かいな、という気もする。朝日にあった動摩擦が静止摩擦より小さい という事を答えさせる問題は何が言いたいのか。単なる知識を問うだけなら 新聞で取り上げる程、深刻ではない。そもそも例外が多すぎる不正確な経験則を 真空中の質点の自由落下と同列に扱うセンスに問題がある。


1/24:

やはり散逸を入れると矛盾する。何が悪いのか。

そのせいもあって粉体ガスの定常状態の速度分布の簡単な説明を試みる。 大雑把な話はできたが、本当に正しいかどうかは別。


1/23:

卒研では有賀君がここ一週間で大いに頑張り、非常に面白い結果になった。アーチ 解については殆んど知りたいことは分かったという感じである。また摩擦係数によって は滑らかな形状から急にzigzag patternへ遷移が起こることを示した。そのパターン は最も不安定で崩壊するものに極めて近いものである。代々卒研はPREに印刷して 来たが、今回はその中でも最も面白く、オリジナリティに溢れた研究だと思う。 摩擦のある球が作るアーチは建築でも基本的な役割を果たすので、その基礎研究は 他の分野でも意味があるのではないかと思う。

午後はまた理物の会議。博士編入試験の試験官を決める話等。我々の研究グループに 河原田君以外にも応募があったのを初めて知る。他にも面接試験に臨席する必要が あり、2/20は結構面倒。


1/22:

理学部の博士論文公聴会を3つ聞く。午前は水面波の乱流の話。散逸のない 自由境界問題が難しいのは分かるが、最初から展開に頼らずに高次近似を 含むものはないものか。2つ目は吉川研の荷電高分子の話。一切実験はなく Floryタイプの平均場近似によって新しいタイプの分子内相分離があるのでは ないかという話。

3つめは古川の話。高分子・溶媒系の「臨界」指数の異常について、実験結果 との比較迄含めた話。持ち時間が終了してから 弾性乱流を含めた2相系のシミュレーションの話に触れる。準備も含めて手際は 極めて悪かったが、内容は申し分なく、質疑応答が掛け合い漫才みたいで楽しかった。

帰宅後、勘違いに気がつき、とりあえず最も簡単な場合の結果を確認できた。


1/21:

午前は公聴会。二人ともつつがなく終わる。金君の場合は外部の関係ない人も聞きに 来て注目度の高さを窺わせた。彼はパワーポイントの機能を上手に使った発表だった が、若干気負いから来る勇み足なコメントもあったと思う。ともかく京都に来て から初めて学位を二人に出すことができ、肩の荷が半分下りた。後は2人が就職して くれればいいのだが、金君は学振を取っているので半分は安心である。

午後はトヨタの林さんが来訪。格子ボルツマンの事や、我が研究室でやっているような 理学と工学の境界領域の話、その企業的な意義を話し合った。4時から林さんの 格子ボルツマン法の講演があり、新鮮な分、午前の講演より楽しめた。格子ボルツマン も純粋にシミュレーターとしてはCIP法等への優位性を主張するのが難しいという あたりが、むしろ成功した多孔質媒質への応用以上に興味深かった。Xuさんがもっと 絡んでくると思ったが、(言葉のせいもあって)寡黙だった。

一服の後、容量を得ない上に学位論文審査報告を書き始めたが書く分量が多く、一人 分を書き上げた段階で今日の事務作業は終わりにした。


1/20:

本年度最後の授業が終了。後は今日〆切の修論のチェック。12月の時点ではどう なることかと思ったが、ここ一週間頑張ってなんとか形になった。世の中で始めて 粉体ガスを(気体の力を借りずに)安定に作ることに成功した。定常状態では長距離 相関はなさそう。密度、温度等は一様に近く、速度場にも目だった流れはない。 定常状態を作った 後のcoolingも法線方向 のみに非弾性衝突をする非現実的なモデルとはだいぶ違っている。ここで考えた システムを実験するのは容易なので粉体ガスの実験は間もなく世の中に現われる ことになる。

Xuさんに説明。どうも彼はまだ問題点の所在を理解していないようだ。ちょっと 泥沼状態かもしれない。冬休みの間に終わる筈だったが思うように行かない。 S展開は高次迄必要なのも一因だが。。

明日はいよいよ公聴会。9:00から國仲、10:45から金がいずれも233で発表する。


1/19:

授業の後、明日〆切の修論の打ち合せとデータ解析を手伝う。


1/18:

モデルを変更してもうまくいかない。


1/17:

修論の打ち合せ。

センター試験の試験監督。東北時代は毎年の様に丸二日拘束されたが、京都に移って からは久方振りの2回目。それも監督に費す時間は短かった。


1/16:

卒研はだいぶ形になってきたが、投稿論文にするにはもう一つインパクトがない かもしれない。

セミナーは期待外れ。SSTというタイトルに期待する方が間違っていたかも。


1/15:

昨日某先生の退官の論文集の話が出て、今日はその論文誌から封筒が来たので えらく手回しがいいなと思ったらレフェリーの依頼だった。一見すると面倒な 論文だ。

今日は午前と午後に北部で会議が2つあって、その間に某さんと会って密談。

物性研究編集長の後任問題は暫定的な解決を見る。

計算はやはり矛盾を含んでいるので方針を若干変更する。


1/14:

Tex化を図ったのは失敗だったかな。もう式番号が(78)でおまけに一つの式が平気で 8行になったりするので入力にばっかり時間がかかる。可解条件を課すと補正項が 消えるのは変更がない。何か勘違いをしているのか、formulationが間違っているのか。

21日にLBM userのお客が来ることになった。21,22は完全に塞がった。

学会をどうしようかと迷っている段階で座長依頼が来る。この座長をすると林さん の講演は聴けても、佐々のは無理だな。悩ましい。


1/13:

授業をして、昨日考えた試験問題を手早く完成して物性研究の編集会議にでる。

XuさんがノートをTexに打ち込んだので細工をしようとするが式変形が細かすぎて かえって分かりにくい。結局自分で打ち込んだ方が早いようだ。という訳で整理の意味 も兼ねてnoteのTex化を図る。

Duranの本の悪口を書いたが、不安定なのは動かしがたいが 離散モデルの厳密な結果と比較すると、 ともかく漸近解にはなっているようだ。前の計算の高次の方はあてにならないのか? 光藤君に固有値の分布を見せてもらう。面白い。


1/11-12:

ひたすら家で計算する。大きな勘違いを発見したが未だに結果がおかしい。そもそも モデルを変えたのにその効果が見られないのは妙だ。きっと計算が間違っているに 違いない。それにしても繁雑で面倒臭い。


1/10:

どうも面倒臭い計算で手間取っている。計算がやるたびに合わない状態になりつつ ある。


1/9:

卒研。とりあえずはっきりしたのはDuranの本に書いてあるような世間一般の常識 は嘘ばっかりである、ということ。まずは摩擦のないアーチ解は不安定停留解である (本には安定であろうと書いてある)。次に摩擦のないアーチ解は停留曲線となると してあるが私が計算した限りでは4次関数近似迄はそうだが高次が効くとそうでは ない。摩擦のない解から出発して壁の間隔を徐々に広げていくと(摩擦係数無限大でも) 端から2つ目と3つ目の粒子がフラットになってアーチは崩れる。後はいろいろ 調べたがまとめにくい。

Xu氏への事務連絡と昨日迄のこちらの計算の報告。まだ完全でないので困る。 週末に完成させたい。


1/8:

昨日の問題は解決したが、今度は可解条件と整合しない。そうすると局所平衡解を いじるしかないようである。それが最も自然と言えばそうなのだが、モデルを変更 しないといけないので抵抗があったが、よく読むと本来は局所平衡解ではなくて 一様冷却解を使うべきなのでこれでいいのかもしれない。


1/7:

今日に目処が着くと思ったが微妙におかしい。稲室さんと曾根さんのやり方も微妙に 違うし。時間微分の入れ方もどうも変だ。


1/6:

S展開の続き。普通の場合と比べて飛躍的に面倒になる。峠は越したと思いたい。

昨日書いた編集後記で高校駅伝を見たように書いているが名古屋にいたので部分的 にラジオで聴いただけだ。高校時代はラグビーをやっていたのだが最近めっきり 放送が減って観る機会がない。ワールドカップもテレビ東京系なので観れなかったし。 ラグビー協会というのは改革をすればするほど失敗する典型的な団体だと思う。 正月の2日は学生選手権の準決勝、4日は決勝、15日に日本選手権という 安定したスケジュールを崩してみすみすテレビ放送の機会を減らしたのは自殺行為 だとしか思えない。それでいて早慶戦が11月23日、早明戦が12月の第1日曜 というのをfixしている。

ラグビーも我々がやっていた頃とはだいぶ様変りした。現役の頃、大分舞鶴あたりの FWの平均体重が80kgというのを聞いてたまげたが今や95kg位のチームもある。 中学の頃(75年:笹田、松尾の代)、重戦車フォワードの明治が平均76kgで 早稲田(藤原や山下がいた)は70kgしかなかった。あの頃の方が観ていて面白かった。 そもそも漫画チックで明治の立体攻撃というのはともかく、早稲田の十文字攻撃 から星野のドロップゴールなんて相手を嘗めていたとしか思えない。対抗戦で 常勝早稲田に明治が挑み10:10で引き分けて明治の選手が皆グランドを叩いて 悔しがっていたのが忘れられない。因みに大学選手権では明治がうっぷんを晴らす 大勝。日本選手権も社会人を問題にせず圧勝した。その後の学生チームの日本一は 86年の慶応と,88年の早稲田しかない。

一方で、私自身のへっぽこラグビーでは日によって出来、不出来の差が大きかった。 タックルをするのにすんなり入れるか恐怖心が微妙に入るかで全く違う。最も 出来が良かったのは78年の2月に宗茂が快走した日の試合だった。雪の残るグランド でFBとして出場したがタックルが100発100中で相手(東海)を完封した。 4-0の勝利だったからFBのタックルによって勝った試合だった。それにしても よくラインを破られていた。その日がうまくいきすぎて翌週の試合は無心では いられず、相手も強かったのでぼろぼろにトライを取られた。

フランカーをやっていたときに後年全国優勝をした西陵商と試合をしたが、 そのときはプロップの足が浮く程めくられていたのが忘れられない。スクラムや ラインアウトで全然ボールを取れなかった。タックルが決まったと思っても パックが甘くて、立ち上がってそのままトライされたりもした。勝負になって いなかった。鍛え方が違うのだろう。現在、千種や明和が西陵と互角の試合を しているのは素直にすごいと思う。


1/5:

会議。D論の審査を3つ見ることになった。

編集後記。

年末から正月にかけてスポーツ中継を見る機会が結構あったが 、就中、中学時代に選手であった関係から駅伝やマラソンを熱 心に見た。例えば年末に京都の街中を走る高校駅伝も1979年のテレビ 中継開始、1989年の女子駅伝の開始、1993年以降のケニア人に よる男子1区区間賞の独占等幾つかの時代の流れがあった。昨 年末の男子高校駅伝では佐久長聖の上野が日本人としては初め て28分台で1区を走ったにも拘わらずトップと50秒差の5位がや っとであった。またケニア人留学生の力を借りたとは言え仙台 育英が2時間2分余りで走ったのは隔世の感がある。奇しくもテ レビ中継が始まった私が高3のときの高校記録は2時間8分16秒 であったから4半世紀で6分以上の短縮があったことになる。5000m の日本人による高校記録も14分17秒4から13分44秒台にまで伸 びている。その一方でシニアのレベルは上がらず、1980年に10000m で瀬古が27分43秒5で走ってから今の日本記録までの伸びは僅 かに8秒程である。その一方で世界記録は1分伸びたのでレベル的には 世界からすっかり取り残された。これらの事実は幾つか考えさせるものがあ る。

まずは「黒人アスリートはなぜ強いのか?」という本でも述べ られている様に民族的素質の差は絶望的な程ある。例えば100m で10秒を切った選手は史上50人程いるが非黒人の選手は2003年 にようやく一人現れただけである。これらのスプリンターは皆 西アフリカにルーツをたどることが可能である。また長距離で も10000mの2002年末の歴代ランキングで非黒人を捜すとようや く23位に登場する程度である。この記録はかなり長く世界記録 として君臨したように1980年代迄は白人は互角に長距離を戦え たのだが、近年のトレーニング法の改善とアフリカの経済状況 の改善によってもって生まれた素質の差が埋めがたい溝を作る ようになった。もはや10000mで黒人、それも殆どが東アフリカ のエチオピアとケニア(その中でも特定の部族)出身の選手に よって主要なレースの上位は独占されるようになってきている 。高校駅伝で日本人高校生がケニア人留学生にかなわないのは 彼らの怠慢のせいではなく、むしろ民族的な差異、煎じ詰めれ ば体型の差によるものであるというのが数年前のNHKのテレビ でも報道されていた。むしろ問題となるのは留学生に対抗しよ うとして高校時代に過剰なトレーニングを行って、スポットラ イトも浴びた選手が焼き切れてシニアの選手としてして大成し ていないことの方が問題となるかもしれない。

抜き差しならない素質の差と過剰なトレーニングによる焼き切 れの問題は陸上競技などのスポーツだけでなく理学系の学問で はある程度皆潜在的に自覚していることかもしれない。例えば 数学においては理学部の1回生で既に3回生の演義や場合によっ ては卒研である講究に取り組む学生もいた。そうした天才とも 思えるような人達の中から研究者として大成する一握りの人達 が出て、凡才の学生はため息をつくより他はなかった。そうし た残酷な現実を直視して、それに応じた教育を行ってきた事実 が日本の数学の高いレベルを支えてきた面もあるだろう。物理 はそれほどのことはないが、それでも素粒子論には天才、秀才 が集まって多くは討ち死にする中で少数の突出した研究者が成 果を生みだし、名を残していく。一方でものすごくよく出来る 学生がさしたるオリジナリティーも示さずに消えていくことも ある。それは受験勉強に過剰適応した結果か、あるいは先人の 轍を踏むことに長けていても道なき道を歩むことはできない結 果なのか。物性論においても歴史に残るような仕事をするのは 運だけではなく高い素質と適正なトレーニング、そして大事な 課題を見極める眼が必要である。

学問において民族的な素質の差異があるのかどうかは分からな い。しかし数学オリンピック等の成績を見ると、与えられた問 題を解く能力などにおいては圧倒的によくできる民族というの はあるようである。日本人はおそらくは最優秀の層には属して はいないだろう。こうした状況で採るべき道は限られてくる。 一つの道は正攻法として訓練法を改善するなりして 絶望的な溝を埋めようと努力するしかない。陸上の例を出せば 先の世界選手権で 末続が200mでメダルを取ったようにもっとも向いていないと思われた短距離でも 工夫次第で世界との溝を埋めることは可能であることを実証している。実際、 (メキシコ五輪での日本記録が公認されなかったこともあって)四半世紀で 100mの日本記録は0秒48も伸び、1998年には非白人最高タイ記録も日本人に よって出されている。長距離のみならず学問においても正攻法で世界の トップに互すことができるのであればそれに優る道はない。 しかし物性物理の対象は多彩であるばかりでなく、同時に ルールと枠の決まった競技ではない。幸い学問は問題を見つけだすことに 重い価値を置い ている。先の陸上の例で言えば10000ではかなわないならマラ ソン、マラソンではかなわないからウルトラマラソンと新境地 を見いだすことは可能である。勿論決められた枠内で競争する エリート「選手」も必要だが、さしあたって凡才は新たな競技 を開拓し、自らルール作りを制定する方が賢明である。うまく 新領域を開拓できれば追随するセカンドランナーにルールの整 備は任せればよい。そういう第2の道を巧く選択できるよう にせいぜい基礎学力と確かな眼を涵養したいと思う。


1/3:

学校に来たが成果がない。S展開の続き。


1/2:

狸谷神社に自転車で行く。そこから徒歩。昔の下宿のそばにあり何回も行ったこと があるだけに懐かしい。


1/1: 下鴨神社にお参り。駅伝を見る。

12月