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非平衡熱・統計力学 (Nonequilibrium Thermodynamics & Statistical Mechanics)

 平衡系の熱・統計力学が大きな成功を収めたのはよく知られている.では,この綺麗な枠組みを非平衡系に拡張できないだろうか?我々は,以下に記述するように,確率過程を用いて微小系をモデル化し,非平衡系特有の熱力学的性質を考察している.まだまだ非平衡系の一般論構築への道程は遠いが,幾つかの面白い示唆が得られた.

微小系の熱力学(Stochastic Thermodynamics, Stochastic Energeics)

微小系の実験技術の発展
 近年,微小な系を操作・観測する技術が大きく発展してきた.たとえばレーザーピンセットが普及したことにより,コロイド粒子や生物分子などのサブマイクロスケール(10^-7m 程度)の系を自由に操作することができるようになった.また,全反射照明蛍光顕が発展し,小さな系の実際の挙動を直接観測できるようになった.つまり,今までは統計平均しか観測出来なかったが,ついに系の1つ軌道(single trajectory)を調べることが出来るようになった.そのため,この様な小さな系の挙動を熱力学的に理解することの気運が高まっている[1].たとえば,生体内では分子モーターが作動しているが,分子モーターを「微小熱機関」と見なしたとき,そのエネルギー効率はどうなっているのだろうか?

熱的な系のStochastic Thermodynamics
微小系の熱力学はこういった微小系を議論するために生まれた分野であり,現在研究が進行している.小さな系では環境由来の揺らぎが支配的になるため,揺らぎを取り入れた必要がある.また,揺らぎを取り入れた熱力学ということで''Stochastic Thermodynamics"と呼ばれている[2].この枠組みでは,系を確率微分方程式を用いた定式化を行い,物理量の統計平均だけでなく,一回だけの実験で得られる生のデータについて議論を行う.そして熱・仕事といった熱力学量を確率変数として導入し[3],それらがどんな不等式によって制限を受けるかを議論する.平衡状態間の遷移に関してはマクロ熱力学の体系がそのまま拡張されることが示された.揺らぎの定理,Jarzynski等式といった,任意の非平衡系で成立する定理もこの枠組みで再導出できることもわかった.また,外場をかけて非平衡定常状態になった場合についても熱力学の形式を拡張する試みが行われている[4].

非熱的な系へ
さて,いままでは環境が熱平衡状態にある微小系を考えてきたわけだが,環境が非平衡状態にある微小系はどういう挙動を示すであろうか?たとえば,生物分子は外から熱揺らぎだけではなく,ATP の供給を受けている.ATP を受け取るかどうかにも揺らぎがあるわけだが,この揺らぎは非熱的な揺らぎであり,熱的な揺らぎとは違う性質を持つはずである.実際にATP 由来の非熱的揺らぎを測定する実験が赤血球の膜運動の測定を通じて行われたが,この挙動は通常の熱揺らぎとは違うことがわかった[5].また,微小な電気回路を考えてみよう.電気回路を平衡に保つと熱揺らぎ(Nyquist 電流)が生じるが,外部に非平衡な電源がある場合はショットノイズとよばれる非熱的な揺らぎが生じ,この性質も熱揺らぎとは異なることが知られている[6].今挙げたこれらの非熱的揺らぎは非ガウス性によって通常の熱揺らぎと区別出来ることが知られている.そこで我々は,微小系熱力学の枠組みを非ガウスノイズに拡張する方法を提案した[7].具体的には,熱・仕事と言った熱力学量を定義する確率解析の手法(非ガウス過程の揺らぎのエネルギー論)を整備し,非ガウス性が支配的になる条件などを導出した.また,我々の枠組みを用いることで,非ガウスノイズに特徴付けられる非熱的な系のエネルギー輸送を明らかにした[8].その結果,熱的系のエネルギー輸送を特徴付けていたFourier 則,揺らぎの定理にはsystemetic な補正が入ることがわかった.また熱力学第0法則(熱平衡条件の推移律)が非熱的系ではそのままの形では成立しないこともわかった.

参考文献
[1] C. Bustamante, J. Liphardt, and F. Ritort, Phys. Today 58, No. 7, 43 (2005).
[2] U. Seifert, Rep. Prog. Phys. 75, 126001 (2012).
[3] K. Sekimoto, Stochastic Energetics (Springer-Verlag, Berlin, 2010).
[5] E. Ben-Isaac et al., Phys. Rev. Lett. 106, 238103 (2011).
[6] Y. M. Blanter, M. Bu, D. P. Theh, and U. D. Gene, Phys. Rep. 336, 1 (2000).
[4] T. Hatano and S.-I. Sasa, Phys. Rev. Lett. 86, 3463 (2001).
[7] K. Kanazawa, T. Sagawa, and H. Hayakawa, Phys. Rev. Lett. 108, 210601 (2012).
[8] K. Kanazawa, T. Sagawa, and H. Hayakawa, arXiv:1209.2222.