第1回研究会簡単な報告(2006年12月5日)



坂東昌子

「女性研究者のリーダーシップ研究会」代表


■「マリーキュリーにとっての戦争・革命」川島慶子先生(名古屋工業大学)


この研究会の最初は、川島慶子先生のお話でした。いろいろと、候補が上がったのですが、川島先生の「キュリー像」をお聞かせ願うのは面白いなと思っておりました。 ちょうど、川島先生著「エミリィ・デュ・シャトリエとマリー・ラヴワジェー18世紀フランスのジェンダーと科学」で、第21回(2006年度)「女性史青山なを賞」を受賞され ました。18世紀という時代を生きた2人の才女の話です。「物理学教程」というテキストをつくったち、ニュートンのプリンキピアを約したエミリー、化学の道を夫とともに 楽しんだマリー、どちらも貴族ならではの歩みですが、華やかな社交の世界と、科学 の営みを楽しんだこの2人を見ていると、18世紀の恵まれた貴族層の中ではあっても、 良くこんなことができたものと、驚きを禁じえません。19世紀の女性科学者達の苦労を知っているだけに、もっと前はもっと大変だったろうに、という思いがありまいた。 19世紀の方が女性は科学の世界から締め出されたのだということを聞いたとき、意外でした。実は、近代国家の成立と、「傭兵制度」から「徴兵制度」 への転換がその中で行われただそうです。そうすると、兵士は国家にとって 無償で「奉仕する人材」となります。そうなれば、女性の役割が、子供を生むという ことになる、つまり女性は「産む道具」だという位置づけになるのだそうです。そしてその中で、女性が科学に志したり、仕事を持つことが難しくなってきたわけです。 なるほど、そういうことだったのか、と納得させられました。こういう話を、昨年、 アインシュタイン夫人とキュリー夫人を比較しながら、19世紀の女性科学者像を描いていたのですが、なんと18世紀の方が、女性の科学者は沢山いたんですね。

そういう目で、それでは、女性科学者は戦争とどう向き合ってきたか、という問題を掘り下げるのは、興味深いのですが、そのにふさわしいトップバッターとして川島先生は最適でした。

20世紀は、まさに科学が戦争という抗いがたい歴史の流れの中で、ある意味では翻弄された時代とも言えます。2つの大戦を経て、科学者は、戦争とどう向き合ったのか、という重い課題がありますが、その中でも女性研究者にまつわる話はいくつかあります。 その1つが、ハーバーというドイツの化学者の話です。ハーバーは、「ハーバーボッシュ法」という空気中の窒素固定法で有名で、ノーベル賞も受賞しました。 その妻も化学者でしたが、結婚して研究から退くことになります。 このハーバーは、その後ドイツの毒ガス兵器開発に協力します。 妻は、夫の兵器開発への協力をやめるよういい続けて 最後には自殺してしまいます。このような極端な例はさておいても 原爆製造に関わった物理学者の多くが悩みつついろいろな生き方を してきました。

もし、マリー・キュリーが生きていたら、どうだったろう、と考えさせられます。 今回は、この時代の中でのマリー・キュリーに光を当てて、お話を伺いました。 私のキュリー像は、娘さんのエーヴ・キュリーがかいたキュリー夫人伝や キュリー母と娘の手紙などのイメージしかありませんが、昔の有名な映画 「キュリー夫人」に描かれたのと、今回、新しく持ってきてくださった、 DVDで描かれているキュリー夫人は、少々、アグレッシブで、 社会改革に熱心な、愛国心に満ちた女性として描かれています。 これだけ違った印象で描かれている2つのマリー・キュリー像に、 意外な側面を見た思いでした。このキュリーの映画は、 今までの私のイメージを打ち砕く効果がありました。

確かに、私達が湯川秀樹像を描くとき、多少、神格化することもあり、 よく、「本当の湯川像」を描いていない、と色々といわれます。 キュリー夫人の素顔みたいなものもあるわけですから、もっ と人間として捉えることも必要なのかもしれません。 この機会に、めずらしいリーゼマイトナーの映画も一部見せていただきました。 リーゼマイトナーの生き方も興味深いです。大変興味あるお話でした。 最近、リーゼマイトナーの話も詳しく読んで、キュリー夫人の 特別さがあらためてわかりました。川島先生の報告が楽しみです。



■川島先生のレジュメ 「マリー・キュリーにとっての戦争・革命」

「国家」とは何か---国民国家における戦争

「マリー・キュリーとポーランド」
  • コペルニクスとマリー・キュリーとヨハネ・パウロ二世---ポーランドの英雄たち。
  • ポーランド、血塗られた悲劇の歴史と誇り高い人々。
  • マリア・スクォドフスカ(後のマリー・キュリー)の家族史---19世紀ポーランドの歴史とともに歩んだ反骨精神あふれる男女。
  • リアリスト、マリー・キュリーの言説の数々

             

実証主義者マリー(マリア)が選んだ「科学」の意味

  • 科学」の中に若きマリア・スクォドフスカは何を見たのか ---ポーランド実証主義者の団体とロシアへの抵抗(カトリック信仰に かわる、もう一つの抵抗の手段としての「科学」)。
  • 科学者マリーキュリーの出世と「怒りの表出可能性」の関係。
  • ---民族的悲願がジェンダーを超えるケース (「女らしい」ミレヴァ・マリッチ・アインシュタインやリーゼ・マイトナーとの差)。
        




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