第6回研究会の簡単な報告(2007年2月28日)



坂東昌子

「女性研究者のリーダーシップ研究会」代表


■加藤さんと河辺さんのお話


愛知大学の会場で、加藤利三氏と河辺先生が講師として話題提供された。愛大卒業生や中国在住の日本語教師なども加り、また、名古屋大学工学研究科の院生、非常勤講師の谷口先生、それに、研究分担者の功刀・坂東というメンバーが加わって行われた。加藤氏の話は、科学者の業について、色々な視点から分析され、そして、科学とは何かという大きなテーマにまで近接した話であった。そして、科学者の「業」という言い方や、科学の原罪という考え方が、どういう意味で使われているか、科学の成果自身は「中立」という考え方との対比で、問題提起をされた。なかでも、科学は中立かという議論や、予防原則の概念などについても触れられ、それについて後での議論になった。科学とは異なり技術の場合、そもそも目的が明確になっているのだから少技術者の倫理といった問題は別に論じる必要がある。かのWinny裁判で、「技術そのものは中立である」という判決文はどういう意味だという話にも発展した。

技術というのは目的があるはずだ、というのは、科学と技術を考える上で重要な違いであろうと思われる。

話は尽きず、議論は収集しないが、続けて、河辺氏の話となった。川辺氏の話は、説得力と迫力があり、自然科学とは異なる視点で興味深い話が聴けた。なかでも河辺氏から「自然科学者の話を聞いて、うらやましい限り」という話から始めた。自然科学者が客観的な共通の基盤に立って議論を展開できているのに対して、社会科学のほうは、個人の主観からなかなか脱却できず、議論の客観性という側面が弱い。そこが、自然科学の学会とずいぶん違う」という話は興味深かった。さらに、現在の国際情勢の分析と日本の弱さ、アメリカと日本の思考態度の違い、発想の違いが鮮明に語られた。日本はどうして1人が何か言うと、みんな同じ事を言うのか、正確な知識に基づく議論ができないのか、など、いろいろと自然科学との違いも紹介された。文理の交流という意味でも面白かった。事実の検証や、実態の正確な把握なくして、一面だけみた論がほとんどだという話と対比して、自然科学の検証可能性の強さを改めて感じた。 ■コメント
今回は、河辺先生が講師ということで、愛大卒業生や中国在住の日本語教師なども加り、また、坂東が、環境問題でご一緒に研究会を持った武田邦彦研究室の名古屋大学工学研究科の院生、それに、愛知大学で非常勤講師をしていただいている谷口正明先生、それに、研究分担者の功刀・坂東というメンバーが加わって行われた。加藤氏の話は、科学者の業について、色々な視点から分析され、そして、科学とは何かという大きなテーマにまで近接した話であった。そして、科学者の「業」という言い方や、科学の原罪という考え方が、どういう意味で使われているか、科学の成果自身は「中立」という考え方との対比で、問題提起をされた。なかでも、科学は中立かというはなしや、予防原則の概念などについても触れられ、それについて、功刀さんからも色々鋭いコメントが出て議論になった。科学とは異なり技術の場合、そもそも目的が明確になっているのだから少技術者の倫理といった問題は別に論じる必要があるということである。かのWinny裁判で、「技術そのものは中立である」という判決文はどういう意味だという話にも発展しておもしろかった。一度このWinny裁判の被告似方に話を聞きたいものである。来年ぐらい、一般教育研究室で、講演してもらっては?などと思っています。

話は尽きない。河辺氏の話は、テレビにこういう人が出てきて話してくれたら、説得力と迫力があって、みんな納得するのにな、テレビの論者にはこういう歯切れよさがない場合が多いな、などと思った。、自然科学とは異なる視点で興味深い話が聴けて幸いであった。

なかでも河辺氏から「自然科学者の話を聞いて、うらやましい限り」という話は身にしみた。自然科学者が客観的な共通の基盤に立って議論を展開できているのに対して、社会科学のほうは、個人の主観からなかなか脱却できず、議論の客観性という側面が弱い。そこが、自然科学の学会とずいぶん違う、という話は興味深かった。さらに、現在の国際情勢の分析と日本の弱さ、アメリカと日本の思考態度の違い、発想の違いが鮮明に語られた。日本はどうして1人が何か言うと、みんな同じ事を言うのか、正確な知識に基づく議論ができないのか、など、いろいろと自然科学との違いも紹介された。文理の交流という意味でも面白かった。事実の検証や、実態の正確な把握なくして、一面だけみた論がほとんどだという話と対比して、自然科学の検証可能性の強さを改めて感じた。


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