第3回研究会簡単な報告(2007年2月3日)



坂東昌子

「女性研究者のリーダーシップ研究会」代表


■まえがき


リーダーシップ研究会も第3回は、筧久美子さん・田中恒子さんの講演だった。 田中さんは、思いもかけないことに、夫の田中康夫氏が、町の合併による町長選に 立候補したということで、そのスケジュールが急に入り、少し遅れるということであった。 田中さんはいつお忙しい、そして時々(正直言うと)予定通りには、いかない人であることはわかっていたが、フォーマルな会までこんなでは、ちょっと困るなあと思った。 しかし、どこかの県知事だった人とまったく同じ名前の、田中さんのパートナーが出馬とは驚いた。そして突発スケジュールもしょうがないのかな、と思った。 どちらも都市計画の 専門家であり、町づくりについては思い入れがあるはずだ。理論と実践が結びついた研究活動の最後の仕上げが、こういう形でできる(かどうかは当選しないと分からないが・・)なんて、私の分野では思いもよらないことである。とにかく、そういう伝言があって、筧さんから話をはじめてもらった。尤も、田中おツネさんは、間もなく現れたので、私はほっとした。定年を迎えて、いろいろなところから声がかかったのであろうが、「田中美術館」を開くといっていたのに、なんと、それも吹っ飛んでしまったのか、それとも、 市長夫人と美術館長と両方やるつもりなのか・・・まあ、両方できるパワーはありそうである。

■筧さんの話



筧さんの話は、ご自分の子供時代からの家庭における男女の接し方の違いから始まった。 大学へ行くことに反対の、特に父親のなかで、まともに勉強もさせてもらえなかった 苦労は多くの女の子のそのころの経験である。特に大阪は「実利の町」、損か得かを考えれば、そんな苦労を女の子にさせたくないというのが大方の親の気持ちであったろう。

■女子学生から大学院生へ


女子学生には、そういえば、、下宿もままならなかった。どこも女性を置いてくれる下宿はなかったのである。女の子には厳しい町、それが教徒だったのかもしれない。 そんな中で、女子トイレや女子寮を作る運動をしたのである。 京大の女子学生として、少数派の苦労もさることながら、最も私の印象に残っているのは、 大学院生として受け入れた指導教官、吉川幸次郎先生の言葉である。 「入って勉強するからにはしっかりやるように」といわれ、厳しい指導をされたということである。男性は、大学院の段階で、なんとなく、研究の方法論、ノウハウを知っているのに、同級生であった小野理子さんと筧さんは、何も知らなかった、という当時の状況 をきくと、たった5年ぐらい差であるのに、私の時代との違いがわかる。 お二人の先生や坂東先生たちの間の、保育所運動等を通した強い絆を感じました。 残念ながら私たちの世代は研究職に就く女性が増え、環境も整った分、 皆で協力して状況を変えていこうというような場面が減ってきているように感じます。 (昔よりはもちろん状況は良くなってはいますが、一方で新たな問題も発生しているのですが、、) 現在おこなっておられるような研究会が、先生方の思いを若い人たちにも引き継いで行けるような場にもなると良いと思うのですが。 もっと幅広い世代の人たちにも昨日のような話を聞いて欲しいです。 なかなかその状況になってみないと分からないもので、これから、私もきっとさまざまな問題に直面することになると思います。 その時自ら切り開いていく勇気のようなものを少し分けてもらった気がします。 div class=MsoNormal align=center style='text-align:center'>
■結婚と子育て



私たちの世代の研究をする女性の多くは結婚、子育ての問題をかかえていると思います。 もちろん以前に比べると問題は解消されているのでしょう。 現在そういった問題に対する助成や組織も多く立ち上がっています。 (現在京大でも女性研究者支援センターができましたね) ただ、現実問題として、私の周りには結婚はしたが、子供は持たない (いつかは持ちたいが、現状は無理である)という人が本当に多いです。 私は分子生物学の分野に属していますが、昨日坂東先生も少しおっしゃっていたように、 研究の進行スピードが本当に早く、たとえば今おこなっているテーマを一旦ストップさせ、 一年の産休後に続きを再開、というようなことは殆ど不可能です。 そして、子供を産みたいと思い始める年代(博士号を取ってから、と考えると多くは約28から35歳くらいですか) の人の多くはポスドクとして雇用されている場合が多く、その財源は5年区切りの科学研究費ですから、 プロジェクトの途中で辞めたり、休んだりといったことはとても難しいです。 数少ないポストに就き、研究を継続するためには学位取得後数年は大切な時期です。 これらの状況を考えると、やはりすぐに子供を持つのは難しいと考えている人が多いのではないでしょか。 (さらに、家庭、子供に対する価値観の変化もあるかもしれません。) 私も最近この問題に悩んでいましたが、昨日お二方の話を聞いて、 自分もどこまで出来るかは分かりませんが、研究と家庭の両立、できるところまでやってみようという気持ちが湧いてきました。 そしてその都度状況を良くする努力をしていこうという気持ちでいます。


■坂東補足


池田さんは、4月以降は静岡県三島市の国立遺伝学研究所へ移動する予定だそうです。 遺伝研は女性を育てたということでは、田中恒子さんを育てた西山研究室と 並んで全国でも女性を育てた環境としては、有名な研究所です。 きっといい環境で、やっていけるのではないでしょうか。

この会で、田中恒子さんが、西山先生の厳しさを語っておられました。 「保育所の保護者会長をやっていて、共同保育なので色々忙しく 3年ほど研究がおろそかになった時、「あんた、一体なんで給料もらってんのや」といったのが、実は、この4月にこの会でお話願う広原先生だったとか。西山先生といい、広原先生といい、 女だからといって、甘やかしてくれなかった、とのことです。

この話を聞いて、ご出席くださった 小西久子さん、この方は、京大の職員として長く勤めてこられた方で、 仕事もできる、主張もはっきりする、というタイプでやってこられたのですが、 「仕事も主張もしっかりとできる」事が大切で、このことにかけては、仕事は違っても 同じだと思ったそうです。

もう一つ、別にまたじっくり報告しますが、「すぐれた男性研究者は、学問や仕事で判断するから、決して女性だからといって差別をしなかった。」という筧さんの話がありました。 これに対して、小西さんは、「大物の上司は、女性を差別しなかった。」とある会合でいったことがあるそうです。仕事を真摯にみつめ、すぐれた仕事をしている研究者は、 女性だからといって、それで人を評価するような事はしないのですね。別に、 フェミニストであるわけではないのですが。

以上、私は、この会で、「すぐれた研究者のところにいる女性研究者は幸せだ」ということを 再認識しました。遺伝研究所は、木村資生先生という、すばらしい研究者を はじめとして、真の科学者気質の 伝統があるのでしょうね。太田朋子先生はそういう環境におられた典型的なすぐれた女性科学者ですね。 このことについては、又別途ご紹介します。



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