第6回研究会簡単な報告(2007年3月9日)



坂東昌子

「女性研究者のリーダーシップ研究会」代表


■田崎さんの話


今回は、「災害をめぐって」特に地震やナホトカ号石油流出事件など、市民が 直接係る現場からのメッセージといってもいい話でした。地球科学関係の前田佐和子さんも着てくださり、地球科学分野の現状なども話が出て、話が弾みました。 その陸地の問題は、単に物理学の問題ではなく、そこにすむ特に微生物が大きな役割をします。田崎さんは、海・川・陸・生物環境、そういうものを総合的に調べないと、地球環境の全体像がわからない、といわれます。 そういう膨大な総合科学を、しかも、土地の状況に応じて、様々な要因が係って決定される地球環境というものを、「全て面倒見るぞ!」という気迫で、学生達と一緒になって、研究を進めておられるのです。 今回も、報告をお願いしたら、「まことにすみません。こちらは3/25日の能登半島地震以来、現地調査5回、分析、データー整理、21日の報告集会、27日からの写真展ーーーーで走り回っています。明日も朝から学生をつれて現地調査です。寝る時間も無いくらいなので、もう少し静まってから考えます。すみません。」というお返事が来ました。こういう実践型の研究者の 生き様を見たような気がしました。田崎先生から、研究会の後で送られてきたお手紙を後で紹介することにしましょう。付け加えると、そこに同封されていた、「この人紹介!」の「日本がダメなら世界があるさ」というタイトルは、とても気に入っています。そのうち面白い報告が来るでしょうが、タイトルを見ただけでも、とても面白いです。「名もなく貧しく、美しくもない私が、研究者になれたわけ」「日本は私をお呼びではない?」「生んで育てて研究して」「自分の為に勉強し、社会の為に働きたい!」・・・・・ どうです。読んでみたくなるでしょう。お許しが出たらアップさせていただきます。 ともかく、バイタリティがあり、自分でおにぎりを作って学生を連れて出かける田崎先生のユニークな生き方に、ただただ感激でした。 田崎さんは、その後も又色々と資料をお送りくださりまた、 田崎さんの研究者になった経緯、大変興味深いものがあります。外国で 拾われた話は身につまされるものがありました。 どうして外国の方がフレキシブルで、がんばっていれば受け入れられる 環境があるのでしょうね。特に女性には・・・。 それと、お話の中で、ナホトカ石油流出事件のとき、結局、石油を浴びた 莫大なゴミを食べてくれたのは、微生物だったというのは、印象的でした。 きっと面白い報告を書いてくださると思います。

■中山さんの話
地球環境の中でも、大気圏・水圏・陸圏という順番で、研究は困難になります。 空気の科学から地球の温度・気候の話になると、現在の温暖化の問題と繋がる 様々な考察は、物理学者・化学者の研究から始まったといっていいでしょう。 「空はなぜ青いのか」という疑問から出発したチンダルの研究は、「大気が赤外線に対して 透明か?」という疑問に答えようとして、酸素や窒素が透明であるのに対して、炭酸ガスが不透明なことを発見したときににさかのぼります。そして、大気の組成が地球の温度にどう関係するかという問題の本質を捉えたのには、1860年ごろなのですから驚きです。それでは、その後、地球温暖化の話は、アウレニウスをへて、ジョン・カレンダーなどによって引き継がれ、たのが、なんど1939年です。こうして今では、気象予報がこれだけあたるようになってきたのですから、それを支える大気圏の情報を入手することが可能になってきたのですね。そして空気の科学は比較的よくわかっているので、それを基にして、地球全体の気候の変化を予測できるだけの、膨大な計算を可能にしたコンピュータの発達とあいまって、大きな発展を遂げました。それにひきくらべ、地下の様子は目に見えないだけに、掘ったり人工地震等で 診断しないとわからないので、殆ど最近までわかっていなかったのです。その上、 物が割れる仕組みは、物理学にとっても、やっと最近、破壊の物理」といった形で、 取り組みを始めたところで、まだまだ未解決です。そういった事情の中でも、 、地球科学の膨大な情報を必要とする分野が、どのような状況か、議論の中で ほのかながら様子が見えてきました。 東京の地盤のデータベースをこつこつと東京都土木研究所の中で、協力して作り上げた中山さんは、そのデータベースを今、後の人のために役立てようと、仕事を続けているそうです。 東京の地域のあちこちで、子供達や市民に、地震の話しをして、自分の住んでいる町の下がどうなっているか、歴史的を積み重ねた地盤のでき方を話すととても面白がられるそうです。 そして、土木研究所でも、「一度講演を!」と頼まれてて、話したそうですが、沢山来てくれてびっくりしたそうです。地道なデータが、過去の地震の情報と重なって結構、どの地域でどうゆれたかなど、わかる時代になったそうで、その話を聞いて、そうか、陸圏もここまできたか、やはり科学はすごいな、と思いました。日本も特に、阪神淡路地震のあと、観測の為の予算がドットでたようですが、もっと前から地道にあっておけば、もっとすばらしい成果が出るのにな、と思ったものです。

■田崎さんのお手紙

このたびは、研究会に呼んでいただき、誠にありがとうございました。すばらしい先生方の生き方には、本当に敬服します。帰りの電車でのなかで、「理系の女の行き方ガイド」を拝読しました、全ての項目に、私の考え方や生き方と合致します。説得力もあり、力作ですね。本の中には書いてありませんが、きっと、アカハラやパワハラの嫌がらせも沢山あったことと思います。私もしょちゅう、頭を押さえられ、足を引っ張られていますが、「出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれない」とひらきなおっています。 先生は、ハミルトンにいらっしゃったのですね。私はカルガリーに2年、モントリオールに2年、ロンドン・オンタリオ(坂東註:イギリスではなくカナダのロンドン)に5年半いました。 三番目〈の子供?)は、カナダ生まれで、現在ベトナム・ホーチミンにいます。2番目は、オーストラリア・シドニーに住み、私は1人で金沢です〈夫は4年前にがんで亡くなりました。)」 ということです。田崎先生は、土地の調査の中で、「晶子染め」を見つけられ今ではかな座兄名物だそうですが、この染物を送ってくださいました。そのうち、坂東がスカーフにしているかもしれません。


田崎さんのお言葉から、この研究会が、実に興味深い、そして示唆に富む楽しい研究会であることを、再認識しました。だんだん、皆さんの議論がかみ合ってきて、一人ひとりが 独創的で、豊かな視野を持っているので、話が広がります。そういう研究会がもてたことを、とても誇らしく思います。
バイタリィティの塊のような、田崎先生をみていると、みんな勇気がわいてくるのではないでしょうか。

■あとがき



■坂東補足
「少数派から多数派へ」という記事を書きました。 湯川先生が、「少数派から多数派へ」といわれた話 に関係しています。2007年1月23日に行われた「湯川朝永記念講演会」 で、野依良治理化学研究所理事長が講演され、そのなかで、「少数派から多数派へ」と いう話が出ました。これに勇気付けられてかいたものですが、新聞に載りました。 又紹介します。〈坂東)



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