チュニジア史 (History of Tunisia)

 

チュニジアの歴史。

カルタゴ

アフリカ北岸の現在のチュニスの地にフェニキア人が建設した植民市。

ポエニ戦争

ローマとカルタゴの西地中海の覇権を巡る戦争。

ポエニ戦争
名称 年代 地域 解説
第一次 BC264-241 シチリア島 BC264年シチリア島を巡ってカルタゴと戦闘が開始、海軍をもたなかったローマは序盤苦戦したが、海軍を育成しBC241年戦いに勝利した。BC227年ローマはシチリア島の西部に総督を置いて統治し、ローマ初の海外の属州とした。
第二次
(ハンニバル戦争)
BC218-201 イタリア・カンネー
カルタゴ・ザマ
イベリア半島カルタゴ=ノヴァからを拠点に陸路東進したカルタゴ勢ハンニバルは象部隊を率いてピレネー山脈を越え、ローヌ川を突破、冬のアルプス越えを行い、イタリア半島に到達南下し諸都市に反ローマを唱えた。この危機にローマを指揮した独裁官ファビウスは持久戦に打って出たが民衆や元老院主戦派から「クンクタトル(ぐずおとこ)」と非難され解任、主戦派のスキピオが後任となりBC216年カンネーの戦いでハンニバル軍が勝利した。破れたスキピオはイタリア半島での決戦を避け本拠地カルタゴへ兵を向けハンニバル軍は本国へ帰還、BC202年ザマの戦いで今度はスキピオ軍が勝利を収めた。ローマはカルタゴに厳しい講和条件を押しつけ弱体化させている間、矛先をマケドニアへと向ける。
第三次 BC149-146 カルタゴ マケドニアを滅亡させ東地中海にまで属州支配を広げると、大量の奴隷と安価な穀物の流入によりローマ農民は没落していく。元老院は彼らの不満を利用してカルタゴ全領土の破壊を命令、カルタゴを壊滅させその地を属州アフリカとして支配し地中海の覇者となった。

ローマ帝国属州アフリカ BC146 - 435

ゲルマン民族侵入

ヴァンダル人王国 435 - 534

ゲルマン人の一派であるヴァンダル人はイベリア半島からジブラルタル海峡を渡って北アフリカに移動しヴァンダル王国を建国、シチリア、サルデーニャなどの地中海の島を支配し地中海貿易を行って繁栄した。

東ローマ帝国侵攻 by ユスティニアヌス / 534

東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌスから軍を派兵され滅ぼされた。

東ローマ帝国属州アフリカ 534 -

イスラム教国

ファーティマ朝 Fatimid Caliphate / 910 - 1171 / 都:カイロ

ウバイド・アッラーフ


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教材工房 『世界史の窓』 『チュニジア』
実教出版 『世界史B』