イベリア半島史 (History of Iberia Peninsula)

 

イベリア半島の歴史。

アルタミラ洞窟 BC20000~

現生人類(ホモ・サピエンス)に属するクロマニヨン人が描いたと思われる洞穴絵画が残されている。


BC3000年頃に使われたとみられる農業遺跡と巨石文化が発見されている。

イベリア人 BC1000-

BC1000年頃地中海に進出しカルタゴを建設するフェニキア人は地中海に面する地域で東方との交易を活発に行い青銅器文明を半島に伝えた。それからBC650年頃まで北方のピレネー山脈を越えてケルト人が移住し鉄器文明をもたらした。さらにBC6世紀ごろにはギリシア人が進出、ギリシア人はこの半島の住民をイベリア人と呼んだ。

カルタゴ領 BC650~ - BC200~

BC6世紀中頃カルタゴのフェニキア人勢力がイベリア半島のギリシア系都市を制圧、イベリア半島の銀などの鉱物資源を得て西地中海で交易を行った。

BC264年からカルタゴはローマと地中海の覇権を争いポエニ戦争が始まるとイベリア人を傭兵として雇った。カルタゴは第1次ポエニ戦争でシチリアを失うとイベリア半島の経営に力を注ぐようになり、カルタゴ・ノヴァ(現カルタヘナ)他、バレンシア、バルセロナ、アルメリアなどを建設した。

ローマ帝国侵攻 BC205

第2次ポエニ戦争ではハンニバル軍はカルタゴ・ノヴァから陸路東進し、アルプスを越えてイタリア半島に攻めいったが、スキピオ軍に反撃を喰らいイベリア半島に攻め込まれカルタゴ軍は制圧されBC205年イベリア半島はローマの属州となった。

ローマ属州ヒスパニア BC205 - 418

ヒスパニア(Hispania)とはラテン語(フェニキア語)で「ウサギの海岸、島」を意味し、この語から英語の「スペイン(Spain)」が生まれた。

セルトリウスの反乱 BC80-BC70

ローマのヒスパニア総督セルトリウスはイベリア人の支持を受けてローマに反抗し「第二のローマ」を樹立しようと反乱を企て、アナトリアで起きていたミトリダテス戦争を引き起こしたミトリダテスと連携し反ローマ闘争を実施した。地中海東西で同時に起こった反ローマ運動となったが ポンペイウスによって鎮定された。

ゲルマン民族大移動 375-

ヴァンダル人が5世紀頃からイベリア半島入りし、彼らはさらにジブラルタルを超えて北アフリカに移動しヴァンダル王国を建国する一方、400年前期にはスエヴィ人、西ゴート人が半島北西部にスエヴィ王国、南ガリアからイベリア半島にかけて西ゴート王国をそれぞれ建国した。

西ゴート人王国 Visigoth / 418 - 713 / 都:トロサ(トゥールーズ)->トレド

ウマイヤ朝侵攻 713

西方遠征を行うウマイヤ朝のイスラーム勢力が711年にイベリア半島に侵入、西ゴート王国は滅ぼされた。

イスラム国家

コルドバ=カリフ(後ウマイヤ朝) 756-1031 / 都:コルドバ / 初代:

ウマイヤ朝の一族は


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教材工房 『世界史の窓』 『イベリア半島』
実教出版 『世界史B』