湯川が京都帝国大学で副手として研究していた1931年と、大阪帝国大学における1934−1939年の当用日記と、5年間の在米の後帰国した翌年の1954年の当用日記が自宅に残されていた。
また、大阪帝国大学時代の1938年から渡米する1948年までの「研究室日誌」と題する15冊のノートと、在米中の1948年10月から1949年12月までの「DIARY U」が、基礎物理学研究所に保存されている。
これらのうち、1933年12月23日から1935年2月5日までの日記は『湯川秀樹日記 昭和九年;中間子論への道』(朝日新聞社、2007年)として、1945年の日記は『湯川秀樹日記1945―京都で記した戦中戦後』(京都新聞出版センター、2020年)として刊行されている。他の部分も今後整理のついたところから順次公開していく。
大阪帝国大学助教授であった湯川秀樹の1938年の自筆の大阪帝国大学理学部物理学教室湯川研究室理論コロキウム記録を、本史料室と阪大湯川記念室の両ホームページに同時公開する。(2018年7月6日)