Paris1(10月24日(日))

ここでは2004年10月24日から30日にかけて、フランスのパリに滞在しBaryons04に出席したときの模様を中心に、雑多なことを書きます。

10月24日(日)

今回パリまでは、AFで関空からの直行便。乗り継ぎがないのがよい。しかし原油価格の高騰かAFであるからか、航空運賃はやや高め。に見える。出発は11:35と遅めなので朝はゆったりできる。さらに茨木駅から空港へのリムジンバスが出ているので、これまた快適。乗り継ぎの必要がないし、往復で乗ると帰りは半額です。ぜひ皆さんご利用ください。

8:00のバスに乗るため、前日の調査に基づきバス乗り場まで移動。これまで使っていた生協で9800円だったスーツケーツは、各地でひどい目に(ゴマがこわれたり鍵がこわされたり)あってきたので、今回ついに2世を購入。”超軽量”が売りのやつで、大きさは特大だった1世にくらべやや小さめ。取っ手がのびたりもします。銀色なので、アップルのシールを貼るとややpowerbookのような印象になる。”じゃーん”て言いそう。

いつもなら関空快速が天王寺を過ぎたあたりから、海外へ行くんだ、という気になってくるものだが、今回はバスであり、ずっと寝ていたこともあっていまいち気分は盛り上がってない。それでも橋をわたる前には起きる。天気はよさそう。今年は台風がいっぱい来たり、昨日は新潟で大きな地震があったり、いろんなことが起きているが、とりあえず出発は無事にできそうである。

バスは関空の4階に着いて、これまた便利。時間はだいぶ早いがわりと他の人もやっているようなのでチェックイン。席がすでに確保されていたようだが、通路側から2席に変更してもらう。そういえば他のBaryons04の日本人参加者もこれで行ったりしないのだろうか。きょろきょろしてみるが、それらしい影はみあたらず。RCNPからの参加者は、指導教官は先にヨーロッパ入りしておりS.I.N.さんは韓国からの渡航、パリで合流の予定。

plane セキュリティチェック、入国審査と順にこなしてゲートへ向かう。海外はロストック以来なのでほぼ1年ぶりくらいである。またまた離陸にたいする不安がわき起こるが、不安内容はロストックのときと同じなので割愛。くわしくはこのへん参照。いやしかしパリですか、パリ。パリに入るにはもう少し精神的に修行を積んでからと思っていたのだが。結局プルーストは読み終わらなかったし。まあ今回は会議がメインなので、街の構成とだいたいの土地勘が得られればよしとしよう。

しまったデジカメを持ってきたのに充電器をわすれてしまった。

飛行機の席は3-3-3の真ん中の3の通路側、前のほう。客はわりといっぱい乗っている。若干天井が高く、機内は少し広く感じる。エコノミーにも全席液晶テレビ付き。これがAFの力か。よく見るとメニューがついており、いろいろモードを選べる。映画、音楽はもちろんゲームもあるし現在地表示にずっとしとくこともできる。

と、なんとか楽しい気分にもっていってたつもりが、日本海上空でやはり揺れる。おのれ日本海。まだ最初のビールも効いてくる前に揺れるとは。しかし昼ご飯でさらにビールを飲むころにはわりと揺れもおさまってきて、ちょうどいいくらいに眠たくなってくる。

しばし睡眠、その後起きる。飛行も安定しているようなので少し安心。現在地表示で少しずつ距離が縮まって行くのを見てなごみ、ゲームで遊んでみる。オセロやブラックジャック、フラッピーを想起させる謎のパズルゲームなど。オセロはhardにしてもコンピューターはたいして強くない。

ウラル山脈上空あたりでやや揺れるがその後はだいたい安定した飛行。まあ許してやってもいいくらいか。現在地表示では対地速度や海抜もわかるが、対地速度は750km/hから900km/hくらいの間でわりと変動する。到着予定時刻が離陸したときから若干遅めになっていたのだが、これもやや変動している様子。暇つぶしにゲームをやっていると、ソリティアにはまる。ウィンドウズには標準で入ってるらしいが、そんなものはしらん。最初何度か挫折するが、直にこつをつかんでくる。これはおもしろい。

途中、夜食のサービスはセルフで後ろにもらいに行く。提供されたのは「うどん de Sky」なるしろもの。日仏英3種混合ながらちょっとうまいな。アイスはないのか。

飛行機はヨーロッパに近づいてくる。上空から確認するとやはりロストックとコペンハーゲンは近い。S.T.君の行ってたところは日本語表示で”グロニンゲン”。それもどうかと思うが。うわさの”ス○ベニンゲン”は表示されないようだ。向こうにパリが見えてくる。翼よ、あれが、、、

軽い食事をいただき飛行機は降下をはじめる。ここからテレビはデフォルトで対地速度や海抜などの表示画面になる。真ん中の列なので窓の外は見えないが、速度が落ちてきて海抜も下がって、あと100m、90、80、とおもってたらいきなり着陸。海抜なので着地が0mとは限りません。だまされた。関空では限りなく0に近づくだろうか。

チケットにある時刻から30分くらい遅れているが、無事パリはシャルル・ド・ゴール(Charles-de-Gaule 注:本紀行ではフランス語の地名、固有名詞がいくつか出てきますが、初出時にそれっぽいカタカナ表記と括弧内にフランス語表記を示し、以下そのカタカナ表記で通します)空港到着。アップルマーク+バレンシアで買ったベルトのスーツケースも出てくる。滞在場所は会議がサポートとして提供してくれるユースホステル、FIAPで、RERなどのダンフェール・ロシュロー(Denfert-Rochereau)の近く。ガイドブックに空港からのRERは危険という情報があったので、モンパルナス(Montparnasse)まで空港バスで行くことにする。ちなみにこのガイドブックは図書館で借りてきた03〜04ので、最新版ではない。旅行中いろんなものが若干変化していることに気づいた。皆さん短期滞在とはいえガイドブックはけちらずに最新版をもっていきましょう。案内板をたよりにバス乗り場を探し、乗り込む。

バスはパリ郊外の高速道路みたいなのをかなりの速度でとばす。だいじょうぶかバス。途中、日本では鶏の丸焼きも売ってるスーパーCやおもちゃの殿堂T、金管の先輩が広告に出演したHPなどを発見。空港で6:30くらいに乗ったときまだ明るかったのだが、約1時間後市内に入る頃にはもう真っ暗。モンパルナスの前にリヨン(Lyon)駅に停車。駅前のカフェがパリっぽい感じを醸し出している。地図でだいたいの位置を確認すると、セーヌ(Seine)河を渡ってモンパルナスに入る感じ。窓から眺めていると、バスが大きな河にさしかかる。これがラ・セーヌですか!Je passais au bord de la Seine...のラ・セーヌですか!!!

と感動しているうちにバスはモンパルナス駅へ到着。暗い中にそびえたつモンパルナスタワーの方向からガイドブックで現在位置を確認。若干遠いが歩いて行くことにする。がしかし雨が降りはじめる。最初は気にせずあるいていたが、だんだんひどくなってきたので傘をとりだそう、と思うが傘はスーツケースの中。そのへんの商店の軒下でスーツケースをがちゃがちゃ開け、中から傘を取り出す。

モンパルナス墓地の横を通り抜け、今後の生活の起点となるダンフェール・ロシュローに到着。よく見るとバスで通ったおおきなライオンがある交差点、もといカルフール。なんとか向こうに渡るが暗いのでどの道に行けばいいのかわかりにくい。重い荷物に苦労しながらも、地図を頼りにがんばって探すと、ほの暗い街路にひときわ明るいFIAP入り口を発見。外観はわりと近代的。

中に入るとRCNPのS.I.N.さんがいて、レセプションにネットワーク接続の話を聞いている。いやあ疲れた。チェックインして食券をもらう。朝食、夕食はそこのレストランで。鍵はカードキーで、外に出るときもフロントに預けずに携帯すること。無くしたら交換代をいただくのでそのつもりで。等々、諸注意を受けてやっと部屋に入れる。

部屋は612なのでエレベーターで6階へ。おりると6階は改装中らしく、床のじゅうたんにシートが敷き詰められ、壁になにやらペンキ塗り立てみたいな紙が貼ってある。呼び鈴みたいなのからコードがにょっきり出ていたりする。おいおいこんなとこに泊まって大丈夫か、と思うが、S.I.N.さんが「10畳くらいです」と評した部屋はまあきれい。設備は少ないがただでとまれるのでよしとする。

8:30を過ぎていたので今日の夕食は終わっていたが、あまり腹も減ってないのでよしとする。が、のどが乾いてるので、水でも買ってこよう、と下におりるが自販機が壊れてたり営業外だったりしてなかなか水が手に入らん。しかたなくカフェバーみたいなとこで缶コーラを買う。こういうときは空港でなんか買って行くべきであった。空港にそんなに遅くない時刻についたので、油断してしまったようだ。とりあえずシャワーを浴びて就寝。

Paris2(10月25日(月)、26日(火))へつづく

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