Rostock1(12月6日)

ここでは2003年12月6日から19日にかけて、ドイツのロストックに滞在したときの模様を中心に、雑多なことを書きます。写真はイメージですので撮影の日付けと若干異なる場合があります。

12月6日

ロストックまでのルートは、関空〜フランクフルト〜ハンブルグと飛行機で飛び、あとは電車で行く。航空会社は嫌な思い出のあるLだが、話が急だったのでしょうがない。前日までの西宮のシンポジウムで会ったM.L.氏と(G氏も)偶然同じ飛行機であることが判明。彼はp^3のオーダー(NNLO)まで使ってcrossingも入れたカイラルユニタリーの計算を100ページ以上の論文に書いている。基底状態のオクテットとデカプレット以外のバリオンは全てメソンとのレゾナンスで記述できるという信念らしい。西宮に参加した理由の一つに、この人(とBさん、あとG氏も)の顔を知っておきたいというのがあったのだが、K先生が紹介してくれた。でかい。こちらの研究にも興味を持ってくれたようで、ぜひヨーロッパに来たらGSIによってくれといわれた。まさに今からドイツにいくところなのだが、今回は帰りもハンブルグから飛行機なので断念。もう少し早く知ってもらったらよかったのだが。今後に期待。

10:15の飛行機にのるために関空快速で行くには、7:06大阪8:12関空にのる。そのために甲南山手は6:34。けっこうはやい。なんとか電車に乗ると芦屋で快速の待ち合わせ。ジョルダンで調べた予定だと各駅で大阪まで行くことになっているのだが、乗り換えなくてだいじょうぶだろうか。少し不安だがジョルダンを信じることにして座り続ける。尼崎あたりでマフラーと手袋をわすれたことに気付く。あまり時間かけて準備してないからこうなるのだが。そもそも一週間くらい前から体調を崩して、咳が出ている。熱はなさそうでしんどくないのが救いだが、いまいちいい気分ではない。やや不安。

大阪で無事予定の関空快速に乗り換え。ジョルダンうたがってごめんなさい。関空快速はそれほど込んでないが、座れたのは優先座席。多少の良心の呵責を感じながらも寝たふり。スーツケースを持った旅行者はそれほど多くない。弁天町あたりで以前ウィーンその他に行った時に買ったドイツ語の解説書を忘れたことに気付く。しかしスペイン語のも持っていってもあまり使わなかったのでよしとする。

関空着。パネルでLの場所を探し、チェックイン。よく考えると、海外は4回目だが一人で行くのは初めてである。常に自分より経験のある人と一緒だったので、ついていってるだけだったりするが、フランクフルトは前回通ったし、なんとかなるだろう。座席は通路側を希望。時間が早かったせいか確保できる。乗り継ぎのフライトもチェックインできた模様。あたりを見回してM.L.とG氏を探すがいない。彼等は直行バスで来るといっていたのだが無事これたのだろうか。まわりでチェックインしている人は日本人と外人が半分ずつぐらい。

ユーロはバレンシアのときの残りが少しあったが、とりあえず現金を両替。今回はユーロ用の財布をダイソーで買っておいた。その辺の店で手袋とかマフラーがないか物色してみるが、高いのとか女性用しかない。ついでにいろいろ見ながらさらなる忘れ物がないか確認。

続いてセキュリティチェック。「パソコンやペットボトルは出して下さい」とのことなので各々とりだし、ゲートをくぐる。と、機械が反応。コートのポケットに携帯をいれてたことが判明。再度通過しこんどは大丈夫。チェックはやはり厳しくなっているらしく、横で日本人のおじさんが金属探知機みたいなもので全身チェックされていた。階段を降りハンコをおしてもらう。7月にバレンシアにいったときに偶然いてハンコをおしてもらったクラリネットのY君はいない模様。

ゲートは48番。なんか前回と同じコースをたどっている予感。そういえばあのときも土曜出発だった。はやかったので人もあまりおらず、イスも空いているので座る。離陸が近付くにつれ不安が増大。もちろん飛行機にのるのは全体的に嫌いなのだが、特に離陸は最悪である。飛び立つ前に滑走路をゆったりと進んで、その部分で長く引っ張ったああと急に加速をはじめる。この瞬間もう戻れないという気持ちがわき起こる。その瞬間に機長が心臓発作を起こしたらだれが責任をとってくれるというのか。さらに、加速している時になにやら右に左に揺れたりすると、おまえ大丈夫かと思う。空港内を車輪で走っているときよく思うのだが、あの車輪はあんなにゆらゆら揺れるので大丈夫なのか。よくそれで着陸できるなと思う。だいたい見ず知らずの機長をそう簡単に信用できるわけがない。

基本的に飛行機が嫌なのは、乗っている間は脱出が不可能であり、こちらの選択権がなくなるという点である。もちろん他の乗り物だったらできるというわけではないのだが、たとえば途中の駅で下車したり、最悪船から海に飛び下りても少しくらいは生きていられるだろう。高校のときに遠泳させられたのはそういうときのためにちがいない。しかし飛行機にはそれがない。空中でもし万が一なにかの間違いで故障が起こった時には、自分の力を駆使して生き延びる方法が完全にない。こういう状況は普通に生活していてそう起こるものではない。着陸してしまうまでは、完全にこちらの自由意志を奪ってしまうのである。

しばらく見回していたのだがM.L.らは来る気配なし。しかしそんなことはどうでもいいくらいに飛行機にのるのは嫌だ。気を落ち着けるために本を読みはじめる。アナウンスがかかって搭乗が始まり、しばらくしてふと前を見ると、M.L.が向こうの方に座っていた。近付いて話かけてみると、なんかバスが思ってたより早くついたらしい。朝目覚ましがならなくて、G氏に電話で起こされたよ、それでいそいで支度したのさ、あっはっは、とのこと。そのG氏はファーストクラスなので先にいったそうだ。さすが、伊達にイサクを犠牲にせんとした男ではない。

乗り込むまでM.L.と少し話したが、なんかいい人っぽい。ドイツに来るのははじめて?そうかそうか、もし乗り継ぎでわからなそうだったら降りたところでつかまえてくれ、学生のうちにねえ、いろんなとこいっといたほうがいいんだよ、僕も若いころ日本に来たことあるよ、筑波のカンファレンスで、、、というかんじ。GSIはフランクフルトの近くらしく、家もその辺にあるようだ。

彼のファーストネームはイーゼンハイム祭壇画のM.グリューネバルトを想起させる。写真でしかみたことはないが、その磔刑図などは機会があれば見にいってみたい。ヒンデミットのいわゆる「画家マチ」はフォービズムのアンリ・マティスではなくグリューネバルトらしい。というのをCDの能書きで知った。たしかにマティスは宗教画はそれほど描いてないだろう。そんな空気も似合わない。こういう部分でカタカナは誤解をまねきやすい。

いよいよ飛行機に乗り込んで、席に着く。2-4-2の4の通路側。あまり込んでないようで、横にはだれもこなかった。これは快適。日本人と外人の割合はだいたい半々ぐらいで、ところどころに空席もある。

なんとか離陸を我慢して、水平飛行にはいる。どうやら無事離陸できたようだ。神様ありがとう。こういうときは一回目の離陸が一番恐いものだ。乗り継ぎの時はだいたい疲れてて怖がってる余裕が少ないことを経験でしっている。しかし初めて海外に行ったときは、窓側の席を希望し離陸のときも外を眺めていたような気がする。若かったあのころ、何も恐くなかった。離陸を耐えたとはいえ、前回の経験だと水平飛行でも日本海上空ではかなり揺れた。先日ロストックから来たT.K.に、飛行機が恐いんだ、という話をしたら、自分もそうだが飛行機に乗るときはウィスキーかなんかをポケットに忍ばせていって、がつがつ飲んで酔っぱらうことにしてるよ、君も持っていけよ、あっはっは、とのこと。さすがに持ってきはしなかったが、しょっぱなの飲み物からスパークリングワインを所望し飲む。味はいまいちだが贅沢はいってられない。最初の食事の飲み物も同じのをたのみ、食事中に回ってきたスチュワーデスさんにさらに赤ワインをもってきてもらう。これでなかなかいい気持ちになる。ちなみに食事は前回と同じだった。ちっちゃいそばとそうめんとラーメンの中間のような麺(つけつゆ)がついているのがポイント。

T.K.酔っぱらい作戦が効いたのか、食後に読みかけた論文が面白くなかったのか、しばらくして眠くなる。しかしここまで乗っててもそれほど揺れず安定した飛行である。すこし安心し、睡眠。

起きる。オーディオのクラシックチャンネルを確認。「幻想」をはじめベルリオーズや「クープランの墓」などのオケのチャンネルと、某バイオリン弾きがガーシュインやらなんやらを弾いてるのがあった。幻想はケーゲル/ドレスデンを聞いて育ったのだが、それに比べてねちっこい。たまにナクソスのにあるような不自然な残響がきいてて、歯切れが悪い。断頭台もプロコフィエフのように不自然に加速してから首を切る。いやはや。

それからは本読みなどで時間をつぶす。思ったより安定した飛行。というか前回が悪かったのか。特に帰りのモンゴル上空は最悪だった。べー7を聞いてても落ち着けなかった。季節依存性もあるのかもしれない。夜食はおにぎりかサンドイッチ。アイスかカップヌードルでなくて残念。とりあえずしばらく味わえなさそうな梅おにぎりで。

おにぎりを食べ、満たされる。シベリア上空くらいか。映画の合間にでる、地図上で現在地を示してくれるやつはなかなか好きだ。くだらん映画より、ずっとあればっかりのほうがいいのに。ウィーンに行ったとき、チケットはエコノミーだったのに運良くビジネスクラスに乗れて、個人用モニターなるものを体験したのだが、フォレストガンプをひと通りみた以外は、ずっとあればっかり見ていた。少しずつ距離が縮んでいくのが心地よい。また、色が安心感をあたえる。

そのうちに夕食があり、しばらくして着陸。今回も少し行き過ぎてからUターンして引き返すパターン。フランクフルトではそうなっているのかも。あれもはじめてのときは焦った。あからさまに行き過ぎて目的地までの距離が増えてるし、高度は下がるし。機長を疑うことこの上なし。目的地の天気は晴、というアナウンスだったが、高度を下げていくと低いところに雲がたくさんある。雲の中はやはり揺れる。しかし全体的に見て、揺れは少なかったし、激しくもなかった。運転手さんに感謝。

着陸後、空港内をゆらゆら走り、ターミナルへ到着。降りて入国審査を経て税関を通過。M.L.を探すがみあたらず。が、次のゲートもA01と書いてあることだし、まあ大丈夫だろう。前回と同じようなルートを通ってゲートの方へ。へたな水族館のような色彩の中、動かない動く歩道の横を歩く。ゲートA01は(正確にはA1)すぐに見つかるが、だれもおらず。というか全体的に人がいない。さっきの飛行機が早く着いて出発までは1時間以上もあるので、まあそんなもんだろう。うろうろしてこようかと思うが、疲れているようなので、ただで飲めるコーヒーをいただき、イスに座って待つことにする。

時間が近付いてくると、人が増えてくる。日本人はほとんど見当たらない。なにやら頭痛がする。飲んだのがいけなかったのか、寝た時に汗かいたのがいけなかったのか。飛行機に乗り込んでも、気分が悪いまま。この飛行機は混んでて、空席なし。ドイツ人があほみたいにたくさん手荷物を持ってきてて、上の棚がしまらない。3-3の通路側、となりにはドイツ人老夫婦。

わりときれいに離陸。しかし気分がさらに悪くなる。本読もうかと思ったが、小さい字をみると気持ち悪くなるのでやめ。このままだとロストックに着く前に倒れるのではないかと思う。その場合はハンブルグのホテルに泊まることになるのか。飛行は1時間と少しくらいだが、飲み物が一回くる。ここでは水をおねがいする。まわりではトマトジュースが人気。飲み物のあとにお菓子を配って回って、ゴミを回収、としてるあいだにすでに高度は下がりはじめる。途中2回ほど激しく揺れたが、気持ち悪さが勝っていてあまり気にならない。お菓子も食う気にはなれず、ポケットにいれてもっていく。

ハンブルグへの着陸は、村上春樹的にぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、、、といくはずだったのだが、気持ち悪くてそれどころではない。とにかく余裕がない。というかあたりは5時過ぎだというのに真っ暗。冬至に近いのでしょうがないか。まあ無事着いたのでよしとする。

空港からは、中央駅までバスが出ているはず。バス乗り場っぽいところへ行ってみるが、人もそれほどおらず、バスもたくさんある。よく見るとAriport Expressと書かれたのがあるのでそこへ行ってみる。スーツケースをもった若いにいちゃんがいたので、Hauptbahnhofへ直接行くやつ?ときいてみると、一瞬固まったがHauptbahnhofが通じたらしくヤーヤーといってくれる。おいおい英語だめか。しかし明らかにスーツケースのせる棚とかついてるし、路線バスではないだろう。ただ、Yさんに借りたガイドブックではAirport Expressとかいてあるのは路線バスだと紹介されていたし、ロストックの教授D.B.からのメールには直行バスは"Jasper bus"という名前だと書いてあって、多少情報が食い違っているのだが、若いにいちゃんを信じることにし乗り込む。

20分くらいのると、にぎやかなゾーンに近付いてきて、無事中央駅へ。ありがとう若いにいちゃん。19:44のICにのる予定で、1時間くらい余裕がある。切符を購入し、ロストックのD.B.に電話。最初奥さんか誰かが出て英語が通じなかったがProfessor BがわかったらしくD.B.につながる。だいたいこのくらいに電話するって言ってたんだからD.B.がとってくれてもいいだろうに。21:57に着くと言ったら駅まで迎えにきてくれるとのこと。

時間があっておなかもすいたので、そのへんで何か食べることに。とりあえず水が欲しいのでエウ゛ィアンのペットボトルを購入。ガイドブックによるとガスなしはohne gassではなくなんか難しい言い回しを(ohne kohlenzaure)してるから困る。ファーストフードその他が集まったようなところがあったのでうろうろしてみる。寿司バーがあり、ドイツ人がドイツ人の出した寿司を箸で食べていた。うまそうなソーセージなどもうってたのだが、いまいち肉気分ではなかったのでピザハットでマルガリータを買う。ここでは英語が通じるようだ。くる前にYさんに教えてもらったmitnehemenを使おうとも思ったが、気合いがたりず。店員も明らかに英語しゃべってるし。

さらに時間が少しあったが、疲れたのであまりうろうろするのをやめてホームのイスに座る。電車も2時間半くらいのるので、お腹が空いてはいかんとキオスクでリッターを購入。電車が来るが、ほとんど人はのってない。同じ車両内にのってるのは5人。最初は暖かかったのだが、だんだん寒くなってきたのでコートをかぶる。気分も悪く、リッターを食べる気もしない。停車駅予定表が座席の前にあったのでみてみると、実はこの電車がフランクフルトを通って来ていたことが判明。今回のフライトでこの電車に乗るのは難しそうだが、少なくとももう一本遅いのには確実に乗れているようだ。電車も可能だったか。

思えばウィーンからプラハまで電車に乗った時、そのまま乗っていけばベルリン〜ハンブルグまで行っているのを発見し、それらの地名が可能性として自分の人生の範囲内に入ったことを感慨深く思ったものだが、今回はハンブルグからスタートすることになるとは。It's a small...しかしハンブルグというと、ハンバーガーとスタインウェイ以外には、ベルリンの赤い雨の人が一回だけ「ハンブルグの黒い霧」を使ったことぐらいか。夜だったのでよくわからん。

ガイドブックをよく読んでみると、駅の近くの美術館にポール・クレーの「黄金の魚」があるとのこと。少しよってみたい気が起こる。三善先生の作品には高校時代にお世話になったが、黄金の魚もわりと重要な位置を占めている。はじめて谷川さんの「クレーの絵による絵本」のクレーの絵を見たときは、全体的な暗さにおどろいたが(黄色い鳥とかも)、よく考えて見れば、それは必然だったのだろう。

途中うとうとするが、ロストックが最終ではないので寝過ごしては大変だと途中から気合いをいれる。少し楽になったかんじ。D.B.はPaNIC02とその後の京都で見たことがあるので顔はたぶんわかるだろう。ロストックに夜の10時にスーツケースを持った東洋人もそうはいないだろう。

無事ロストック到着。ホームに降りて、あたりを見回し、D.B.を発見。マウンテンバイクのような自転車もってはる。前見たイメージと若干違うがまあいいだろう。スーツケース重くないか?と聞くので、心配してくれたのかとおもって、たいしたことないと答えると、じゃあ歩いていこう、とおっしゃった。そういう意味か。まあ大きさの割に全部つめてないから軽いのだが。駅を出て街の方向へ移動。自転車のハンドルに荷物をかけて運んでくれる。いい人のようだ。

道中、明日ワークショップをやるということを聞く。よく聞いてみるとE.K.が来る様子。彼は上記のM.L.の長大な論文の共著者。今回はやたらとタイミングがいいようだ。15分くらい歩いて泊まるところに着く。Schroeder通り49番。場の理論の教科書を思い出す。そういえばまだ全部読んでない。

room 部屋はなかなか広く、きれいである。シャワー、トイレ、キッチンなど完備されているし、テレビ、ソファーなんかもある。すばらしい。他の人とシェアすることもないようだ。バレンシアより若干いい待遇である。一泊21ユーロらしい。

とりあえずD.B.は親切にいろいろ教えてくれた。で、明日日曜だが、よかったら朝ご飯か昼飯をいっしょにしようと言ってくれる。疲労が激しいことを考慮し、朝にはおきれないだろうと思い昼食を希望。それなら大学に昼までにこい、とのことなので、明日会う約束をして別れる。荷物をまとめてて睡眠。

Rostock2(12月7日)へつづく

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