Notes on Islam

イスラーム(イスラム教)はアラビア語で「唯一神アッラーに絶対的に服従すること」、イスラーム信者はムスリムと呼ばれ「絶対的に服従するもの」を意味する。

ムハンマド 荒) محمد 英) Muhammad / 570頃-632

イスラームの開祖。預言者(神に選ばれて神の言葉を授かる役目を担った人物のこと)であり、かつ神の使徒(メシア)でもあるが、神格性はなくあくまで人間である。クルアーン(コーラン)によるとアダムが最初の預言者であり、続いてノアアブラハムモーセダヴィデイエスにムハンマドが続き、この唯一神教の系譜の最後の預言者である。このためムハンマドは「預言者の封印」と呼ばれている。

クライシュ族

ムハンマドを生んだメッカの名門。カアバ神殿の管理権を掌握し遊牧生活をやめてメッカに定住を始めた一族。ムハンマドはクライシュ族のうちハーシム家に生まれ、570年頃ハーシム家は没落しており有力大商人の家と対立していたと言われる。ムハンマドは青年時代には商人の雇い人となるなど通常の人であったが、610年、40歳の頃ヒラー山の洞窟に籠もり天使ガブリエルから神の啓示が下った。

スンナ派法学ではクライシュ族の出自がカリフの条件の一つとなっており(cf.『サヒーフ・ムスリム』第3巻)、ウマイヤ朝アッバース朝ともにクライシュ族カリフとする。

迫害

イスラームに目覚め人々に啓示を伝えようとするムハンマドに待っていたのは人々からの冷遇・疎外・迫害であった。当時の人々がムハンマドに辛く当たった背景には以下のような理由があった。

  1. 偶像崇拝の禁止は、当時カアバ神殿に祀られていた多数の偶像を否定する。これらが否定されればカアバ神殿への巡礼者が減りクライシュ族にとって経済的打撃となる。
  2. イスラームによる社会的弱者の救済の勧めは大商人などの富裕層への批判につながり、富を独占する立場の者にとっては危険な教えとなる。
  3. ムハンマドによる信仰による社会共同体を目指す試みは、それまであった血縁関係による部族社会の解体につながる。

実際、ムハンマドによる唯一神アッラーの下に「神の啓示」に従って生きる社会とは、先祖伝来の慣行や権威、血縁といった伝統や精霊崇拝、現世主義を否定するものでジャーヒリーヤにあった価値観を根本から覆すものであった。

...現世の生活は、遊びや戯れに過ぎない。だが来世こそは、真実の生活である。もしかれらに分っていたならば。かれらは船に乗っていると、アッラーに信心の誠を尽くして祈る。だがかれが、陸に無事に送って下さると、たちまちかれらは偶像を拝みだし、われがかれらに授けたものを、有り難く思わず、享楽に耽る。だがかれらは、今に分るであろう。...(クルアーン29章)

悲しみの年 619

有力部族からの脅迫はあったが、祖父のアブー・ターリブや妻のハディージャはムハンマドを常に励まし支えた。しかし619年二人が没すると迫害はさらに激しいものとなり暗殺計画まで企てられた。その中でムハンマドはメッカでの布教に見切りをつけメッカからメディナへと移住(ヒジュラ)する。

ムハンマドの死後

ムハンマドの死後、イスラーム共同体(ウンマ)の人々はウンマを導く後継者やウンマの規律となるイスラーム法を定めていく。

カリフ Caliph 荒) khalīfa: ハリーファ

アラビア語で「代理人」。ムハンマドの死後の後継者・ウンマを指導する最高指導者とされ、正式には「神の使徒(ムハンマド)の代理人(khalīfa rasūl Allāh: ハリーファ・ラスール・アッラー)」と呼ばれる。より短い称号として「信者の長(Amīr al‐Mu’minīn: アミール・アルムーミニーン)」も使われる。ほぼ同義の称号としてイマームがある。

正統カリフ Rashidun

アラビア語で「正しく導かれた代理人たち」。イスラーム派閥が生じる前にウンマを率いていたカリフ。歴代正統カリフはアラビア半島史正統カリフ時代参照。

イマーム imām

アラビア語で「指導者」。大きな意味合いとして「精神や信仰における指導者」を指す。

シャリーア Shari'a

イスラーム法。ムハンマドの死後、地域や個人ごとに法の解釈や判断に食い違いが発生した。この食い違いを解消するため法学者シャーフィイーは四つの法源論を確立した。

四法源論
クルアーン
(神の啓示)
日常生活の指針:食物規定、相続、結婚、離婚、利子の禁止など
スンナ
(慣行)
原意「踏みならされた道」。もともとは征服した地域の慣行や伝統であったが、当時数十万ほどあり地域によるばらつきを防ぐため、スンナの法源は預言者のハディースからのみ得られる知識であると定められた。
イジュマー
(合意)
ある問題についての反論や異論がやんでしだいに成立するイスラム教徒全体の合意。実質的にはムジュタヒドやウラマーといった宗教上の問題に対して意見を述べる能力をもった人々によって一致して承認されること。
キヤース
(類推)
法学上のある問題に対して直接あてはめることのできる明文がクルアーンやスンナのなかに見出されない場合、それに類する事例から類推して当面の問題を解決すること。

(SY comment)
「キヤース(類推)」に相当する「類推解釈」は、中世ヨーロッパや律令制度時代の東アジアでも行われていたようで、権力者による恣意的な逮捕を可能にしてしまう恐れがある。近代刑法では「罪刑法定主義」を原則に取り入れることによって「類推解釈」を排除しこの問題点を克服している。

ウラマー

アラビア語で「知識を持つ者」。一般的にはイスラム法学者を示し、イスラーム諸学(法学、クルアーン学、ハディース学、神学、アラビア語学など)を修めた知識人を指す。ウラマーは「聖職者」と訳されることがあるが、イスラームにはキリスト教のように神と一般信徒を仲介する聖職者階級は存在しない。また資格試験もなく公の認定機関も存在しない。

(SY comment)
ウラマーと聖職者階級の相違があまりよく理解できないが、ウラマー認定条件は恐らくハッカー認定条件と同じなのではないか(ハッカーと認められた人物にハッカーと認められること)と思われる。

マドラサ madrasa

アラビア語で「学ぶ場所」。一般にイスラーム圏の主要都市のモスクに附属しそこを教室としてワクフ(寄進)により運営される神学校で多数のウラマーを輩出した。特に有名なマドラサは、ファーティマ朝がカイロに建設した(アル・)アズハル学院セルジューク朝がバグダードに設置したニザーミーヤ学院がある。

クルアーン Quran

神からムハンマドへの啓示。コーランとも呼ばれ、アラビア語で書かれている。ムハンマドの弟子が暗記していたものを文書化した。第一回結集は、初代カリフアブー・バクルの時代に行われ、現在残っているものは第三代カリフウスマーンの時代に編纂されたもの(「ウスマーン版」)とされる。

六信五行

クルアーンから抽出されるイスラームにおける信仰の内容と、行うべき具体的行為。

六信五行
六信説明
唯一神
(アッラー)
ユダヤ教、キリスト教のと同じ。世界の創造者であり、最後の審判における裁定者である。
天使 神と人間の中間的存在で、光から創られ神の手足となって働く霊的・天上的存在。悪魔も霊的存在であるが、悪魔は煙の出ない炎から創られ、天地の終末まで神に背き人間を誘惑する存在。
経典 神から啓示されたメッセージで次の四聖典:『クルアーン』『モーセの五書』『ダヴィデの詩編』『イエスの福音書』
使徒 預言者(messenger)のこと。最初の人間アダムから最後の預言者ムハンマドまで神から人類に遣わされたすべての預言者。アダムもイエスも預言者であり、ムハンマドは最後の預言者で「預言者の封印」と呼ばれる。
来世 死後の世界のこと。終末に死んだ者たちが復活し、最後の審判を受けて天国と地獄に振り分けられる。
神の予定 全知全能の神が創造から来世までに生じることすべてをあらかじめ知っていること。宿命論につながる考えであり、来世思想と矛盾する側面がある。
五行説明
信仰告白
(シャハーダ)
「神以外に神はいない。ムハンマドは神の使徒である。(ラー・イラーハ イッラッラー。ムハンマド ラスールッラー。)」の二文からなり、第一文は一神教を認めること、第二文はイスラームを認めることを意味する。イスラームにおける最も重要な言葉。
礼拝
(サラート)
一日5回、メッカの方向(キブラ)に向かって定められた方法で行う礼拝であり、神への服従と感謝の念を表明する行為。礼拝の回数が5回になったのは、ムハンマドが天国への旅(ミュラージュ)を体験した際、神から最初は一日に50回の礼拝を命じられたが、それでは無理なので5回に減らしてもらったから、という伝承があるらしい。
喜捨
(ザカート)
義務的喜捨。一年を通じて所有した財産に対し、一定率課せられる支払いのこと。喜捨の対象は、貧者、困窮者、旅行者などで、信者同士の相互扶助に用いられる。
斎戒
(サウム)
ヒジュラ暦9月(ラマダーン)の日中に行われる断食と禁忌のこと。サウムを実行する主体は成人男女の心身が健康なもの。日の出から日没まで一切の飲食と性行為などを断つ修行。飢えた人、貧者の苦痛を思いやるための斎戒。10未満の子供、妊娠中や授乳中の女性、旅行者、戦闘中の兵士などは免除されるが、あとで免除された期間を補う必要がある。
巡礼
(ハッジ)
メッカへの大巡礼のこと。信者が一生に一度は行うべきとされる。

日常生活指針

リバー

アラビア語で「利子、利息」。アラビア語で「増加する、大きくなる」という意味のラバー(rabā)から派生した。不労所得として得られる利益一般のこと。イスラームでは富の源は人間の労働にあると考えられている。
神は、商売を禁止し、利息(リバー)を禁じておられる。(クルアーン2章275節)
あなたがたは利殖のために高利で人に貸し与えても神のもとでは何も増えない。(クルアーン30章39節)

しかし、19世紀以降イスラーム世界にもヨーロッパの経済システムが導入され、今日では銀行の運営などは正当化されている。

ヴェール

女性のムスリムが頭部を覆う布の一般呼称。長衣などはヒジャーブ、アバーヤ、プルカ、チャドルなどが存在する。

異教徒との結婚

イスラームの男性はユダヤ教キリスト教など啓典を同じくする啓典の民の女性と結婚できるが、これ以外の宗教の女性とは結婚できない。一方、イスラームの女性はイスラームの男性としか結婚できない。イスラームでは一夫多妻が一般に認められており、とくに4人まで妻を持つことが認められている。

あなたがたがもし孤児の女たちに対し、公正にしてやれそうもないならばあなた方が良いと思う2,3,4人の女を娶れ。だが公平にしてやれそうにもないならばただ一人だけ娶るかまたはあなたがたの右手が所有するもの(女の奴隷)で我慢しておきなさい。このことは不公正を避けるため最も公正である。(クルアーン4章3節)

(SY comment)
イスラム教ではその教義において男性の権限が強く設定されていることが分かる。このことは社会がイスラムの教えに忠実であると男尊女卑の社会が覆らないことを示唆する。(以下2017/11/30追記)ただし、ジャーヒリーヤ時代の項目でも書いたが、イスラーム発生以前のアラビアにおいては女性は人格を認められておらず、実際、結婚人数は無制限であり、息子は生前父が結婚した妻を財産として相続することができどの妻とも再婚することができていた。上記クルアーン4章3節はこのようなジャーヒリーヤ時代の男女間にあった大きな不平等を縮小し女性の地位の向上に大きな役割を果たし、当時としては画期的であったと評価しなければならない。そもそもジャーヒリーヤ時代程の男女不平等社会から突然現代のような男女平等の考え方を導入することは実現不可能というべきだろう。婚姻人数の制限数が4人というのはムハンマドによる「絶妙な匙加減」の結果と言える。ちなみに、ムハンマドの最初の妻であるハディージャは15歳年上であったようである。

刑罰規定

刑罰規定
刑罰説明
固定刑
(ハッド)
姦通罪、姦通の中傷剤、飲酒罪、窃盗罪、追い剥ぎ罪のどれかを犯した正常な成人ムスリムに対し、与えられる身体的刑罰。
同害報復刑
(キサース)
意図的になされた殺人や傷害の犯罪者に対し、遺族(相続人)、被害者による了承のもと公権力が被害と同等の処罰を執行する刑罰。これは「血の代償」(慰謝料)によって済ませることも可能。
裁量刑
(タァズィール)
上記2つ以外の宗教的罪(断食中の飲食や礼拝の怠慢など)、犯罪に対し裁判官がその裁量によって命じる刑罰。

その他の経典

クルアーン以外にも認められている3つの経典ある。それは

  1. 旧約聖書における最初の五書=モーセの五書
  2. 古代イスラエルの讃美歌や嘆きの歌など様々な歌が収録された『ダヴィデの詩編』
  3. 新約聖書における最初の四書=イエスの福音書(①『マタイによる福音書』②『マルコによる福音書』③『ルカによる福音書』④『ヨハネによる福音書』)

である。このためキリスト教信者とユダヤ教信者は「経典の民」として尊重される。実際、ムハンマド自身当初礼拝をイエルサレムのヤハヴェ(エホバ)の神殿の方向に行っていた。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の対照表
宗教名ユダヤ教キリスト教イスラム教
創始者モーセ(人間)イエス(神の子、救い主)ムハンマド(人間)
信仰対象神(ヤハヴェ)神、イエス、(精霊)神(アッラー)
聖典旧約聖書、主にモーセ五書新旧約聖書クルアーン、新旧約聖書
使徒ユダヤ人(イスラエルの民)人類人類
行為規範タルムード精神的規範シャリーア
教団組織
聖職者階級
ラビ(宗教的指導者)教会、教団、教皇>司祭>神父(プロテスタントでは牧師)原則なし(イマームは礼拝の指導者、ウラマーは宗教的指導者を務める)
政治関係政教一致の契機を持つ
(約束の土地)
政教分離
(聖肉の分離)
政教一致
(信仰生活と社会生活の一致)
聖日シャバット(金曜の日没から土曜の日没まで精神の修養に務める)日曜日金曜日(木曜日の日没から金曜日の日没まで)
合同礼拝の日
うるう年を設けた太陰暦
(農耕文化に起源をもっている)
キリスト生誕を元年とする太陰暦、西暦、グレゴリオ暦ヒジュラ暦と呼ばれる太陰暦
食事規定
((不可食物))
カシュルート(コーシェル)
((豚))
原則なし((豚肉、酒類、規定に則って処理されていない食肉))

ヒジュラ暦

ヒジュラが行われた622年を元年とし、新月の出る日を第1日として30日の月と20日の月を交互に設ける暦法。第2代正統カリフウマルの時に定められた。

ハディース Hadith

アラビア語で「話、言葉」。クルアーンがムハンマドへの啓示というかたちで天使を通して神が語った言葉とされるのに対して、ハディースはムハンマド自身が日常生活の中で語った言葉やその行動についての証言をまとめたもの。

構成 ➡ [外部リンク]

ハディースの構成はマトンとイスナードから成る。これらを欠くものはハディースとは認められない。

マトン matn

ハディースを構成する本文。トピック毎による分類される形式を「ムサンナフ(Musan'nafu)」といい、次のムハンマドの言葉を直接聞いた人物ごとによって分類された系譜集を「ムスナド(musnad)」という。

イスナード isnād

アラビア語で「伝承経路」。ハディースは口頭伝承で行われていたため、疑わしいハディースも現れた。その真偽を決定するために、伝承経路による方法が考案された。伝承の信頼性は「サヒーフ(صحيح ṣaḥiḥ)=真正」「ハサン(حسن ḥasan)=良好」「ダイーフ( ضعيف ḍaʿīf)=脆弱」で分類される。

ハディース六書

サヒーフと認められるハディース六書のうち、以下の二つがシーア派スンナ派双方のハディースと認められている。

『真正伝承集』

中央アジアサーマン朝の都ブハラで生まれたブハーリーが16年間各地を遍歴して1000人以上の師から60万とも言われる伝承を収集し精選、97巻3450章からなるハディースを編纂した。後代のハディース編纂の模範となり、スンナ派はこれをクルアーンに次ぐ重要書とする。

『サヒーフ・ムスリム』

(日本語訳➡[外部リンク])

イスラーム宗派

イスラーム派閥の発生は、第4代カリフアリーがムアーウィヤと対立し和睦した際、徹底抗戦を唱えたアリーの支持派が離反して新しい派閥ハワリージュ派を創ったことに始まる。現代においてイスラーム宗派はスンナ(スンニ)派シーア派の2つに大別される。

スンナ派 Sunni

「スンナと共同体の民」を意味する。今日ムスリムの9割を占めており、多数派であり体制派であるため、現実主義的で極端な主張を避け共同体の統一、合意、秩序を重視する。スンナ派の母体は、アリーとムアーウィヤの対立を当初静観した後ハワリージュ派によるアリー暗殺後ウマイヤ朝カリフの正統性を認めたムスリムたちである。

スンナ派四大法学派
学派名創始者特徴主な分布
ハナフィー学派 アブー・ハニーファ
(699-767)
個人的見解による法解釈を重視。現実問題に対処しやすいといわれる。オスマン帝国の公認学派であったため、トルコやインド、中央アジアに広まった。 トルコ、インド、中央アジア
マーリク学派 マーリク・イブン・アナス
(708?-795)
地域的な慣行やクルアーンの典拠に重きが置かれる。古くから伝来するマディーナの慣習法からも影響を受けている。 北アフリカ、サハラ以南、イベリア半島
シャーフィイー学派 シャーフィイー
(767-820)
シャーフィイーは、マーリク学派のマディーナにおける慣行重視の学風とハナフィー学派のイラクの論理的な学風を総合した人物であり、それを受け継ぐ学派。 東南アジア、東アフリカ
ハンバル学派 イブン・ハンバル
(780-855)
個人的見解に依拠するハナフィー学派を批判し、クルアーンとスンナのみを有効な法源として認める学派。18世紀にアラビア半島に興ったワッハーブ派に受け入れられる。 サウディアラビア

シーア派

ムハンマドのいとこであるアリーとその子孫がイマームであると主張する諸派の総称。アリーはムアーウィヤとの派閥抗争の中でハワリージュ派によって暗殺されており、ウマイヤ朝以降のカリフアリー以前の三人のカリフの正統性を認めず、アリーの長子ハッサンを2代目、その弟フサインを3代目の正統なイマームとした。フサインは680年カルバラーの戦いによって殉教した。

タキーヤ taqīya➡ [外部リンク]

アラビア語で「恐れ、警戒」。危害が加えられる恐れのある場合に意図的に信仰を隠すこと。最初にハワーリジュ派の一派がタキーヤを認め、のちシーア派諸派によって継承された。シーア派は信仰は心と舌(言葉)と手(行為)によって表現されるが、もし自己またはシーア派信者の生命や財産に危害を加えられる蓋然性が高いと判断すれば舌と手による信仰の表現は隠してもよいとした。

ハワリージュ派

アラビア語で「出て行く人」。第3代カリフウスマーンが暗殺されたあとに第4代カリフに選ばれたアリーがウスマーン殺害のムアーウィヤと対立し抗争に発展した際、協議によってウンマ内抗争を解決しようという考えに対して裁定は神のみに属す(クルアーン111章67節)をスローガンに反発しアリー陣営を離脱したムスリム集団。後にアリーとムアーウィヤの暗殺を試みアリーを暗殺した。

信仰第一主義

ハワリージュ派は信仰とは行為であり、信仰を持つものがカリフ=イマームとなる資格があると考える。

タクフィール

罪を犯せば不信仰者(カーフィル)と断定し、殺害の対象にすること、もしくは殺害したことを正当化する言葉。シーア派スンナ派はタクフィールを否定している。たとえ罪を犯しても不信仰者であるかは人間が判断できず、最後の審判まで判断は延期されるべきであると彼らは考える。1981年にエジプトのサーダート大統領を暗殺した集団もタクフィールを唱えていた。

(SY comment)
この言葉はオウム真理教の「ポア」に似ている。


主要参考文献・サイト ⇧ top ⇧

青柳かおる 『面白いほどよくわかるイスラーム』
ジョン・L・エスポジト 『イスラム世界の基礎知識』
蒲生礼一 『イスラーム(回教)』 岩波新書
伊斯蘭文化のホームページ 『聖クルアーン』 クルアーン』の日本語訳が掲載されている。
日本ムスリム教会 『イスラームとは』 サヒーフ・ムスリム』の日本語訳が掲載されている。
イスラームハウス メインコンテンツ イスラームに関する資料が掲載されている。