国際都市「加速膨張宇宙」の魅力

B01班 研究分担者 野海 俊文 (東京大学大学院総合文化研究科) 
2026年3月24日(ニュースレターより転載)

 極限宇宙プロジェクトには様々な時空が登場します。重すぎて光すら出てこられない天体を表すブラックホール時空、ホログラフィー原理の研究で中心的役割を果たしてきた反ド・ジッター時空、宇宙の歴史を記述する膨張時空などなど。みなさんはどの時空が好きですか?私は加速膨張宇宙を表すド・ジッター時空(de Sitter時空;dS時空)が一番好きです。本稿では、自身の研究をまじえながら、その魅力を伝えたいと思います。

 まずはdS時空の定義から始めましょう。dS時空は最もシンプルな加速膨張宇宙のモデルで、その線要素は

ds^2=-c^2dt^2+at^2dx^2+dy^2+dz^2, at=e^{Ht}
で与えられます。ただし、 a(t) は宇宙の大きさを表すスケール因子、 H は膨張率を表す定数(ハッブル定数)で、宇宙が指数関数的に膨張していることを表しています。線要素や計量に馴染みがない方は 「膨張率 H で指数関数的に膨張する時空」とだけ理解していただければ十分です。

 ではなぜdS時空が面白いのか?精密観測に裏付けられた現代宇宙論によると、現在の宇宙が加速膨張していることが知られています。また、宇宙初期には「インフレーション」と呼ばれる加速膨張期があり、その膨張エネルギーが物質のエネルギーに転換されることで、ビッグバンが起きたと広く考えられています。つまり、加速膨張宇宙を理解することは、宇宙の始まりと現在・未来を理解することに他なりません。dS時空は、これら加速膨張宇宙を記述する時空であり、宇宙論で最も重要な時空の1つであると言えます。

 dS時空の重要性は宇宙論にとどまりません。例えば、初期宇宙のインフレーションは、地上の加速器では到達できないエネルギー領域で発生したと考えられており、超高エネルギー物理学の重要な実験場になりうると期待されています。実際、我々の論文[1]では、宇宙マイクロ波背景放射などで測定される原始宇宙の密度ゆらぎの相関関数を用いて、標準模型を超える未知の素粒子を探索する手法を提案しました。特に、密度ゆらぎの3点関数に現れる特有の振動パターンから、インフラトンと結合する未知の新粒子の質量を決定できることを示しました。これは、地上の加速器実験において、共鳴シグナルを用いて素粒子の質量を決定するのと対応しており、宇宙観測によって未知の素粒子の特性を調べる可能性を示しています。このような考え方は今では「宇宙論的加速器物理学」と呼ばれています。大変光栄なことに、この分野を開拓してきた業績で第40回西宮湯川記念賞を今年度受賞いたしました。

 dS時空が高エネルギーフロンティアの研究に繋がることを述べましたが、その背後の物理は非平衡統計力学とも密接に関連しています。そもそも、インフレーション宇宙は激しく膨張しているので、極限的な非平衡現象であると言えます。興味深いことに、ブラックホールが温度を持つのと同様、dS時空が膨張率 H に比例する温度を持つことが1970年代から知られています。インフレーション宇宙の膨張率 H は 1013 GeV にも迫ると考えられており、この事実は、インフレーション宇宙が超高温状態にあったことを示唆しています。超高温の熱浴の中で、超高エネルギーの素粒子が互いに衝突や散乱、崩壊を繰り返し、その痕跡が初期宇宙の観測データに刻まれる。これが宇宙論的加速器物理学の研究を行う際に基礎となる物理的直感です。

 さて、温度の概念があるならば、エントロピーを考えるのも自然でしょう。やはりブラックホールと同様に、dS時空も地平面(加速膨張に起因する因果的境界面)の面積で定まるエントロピーを持つことが古くから知られています。結果として、極限宇宙プロジェクトのキーワードの1つである「ホログラフィー原理」をdS時空で理解しようという試みも近年盛んに議論されています(より詳細はニュースレター第1号の疋田氏の記事を参照)。私自身も、dS時空を含む、より一般の膨張宇宙でホログラフィー原理をどのように定式化したら良いか?というテーマの論文を今年度発表しています[2]。

 さらに、地平面の外側は(内側にいる)我々から観測できないので、dS時空の物理は量子開放系的な側面も持ちます。このような事情もあり、近年の宇宙論研究では、開放系や量子情報の視点も幅広く用いられています。私自身の今年度の研究においても、例えば論文[3]では、宇宙論への応用を念頭に、開放系における有効場理論の方法を重力系に拡張しました。また、論文[4]では、量子もつれの観点から、dS時空上の有効場理論の整合性条件を議論しました。

 このように、加速膨張宇宙を表すdS時空は、「宇宙の始まりと現在・未来」を記述する重要な時空であると同時に、宇宙論、素粒子物理、量子重力、非平衡統計力学、量子情報など幅広い研究分野が交差する「物理学有数の国際都市」であると言えます。私がdS時空を好きな理由はここにあります。みなさんも一緒に加速膨張宇宙を研究しませんか?

[1] T. Noumi, M. Yamaguchi and D. Yokoyama, JHEP 06 (2013), 051.
[2] T. Noumi, F. Sano and Y. Suzuki, JHEP 08 (2025), 115.
[3] P. H. C. Lau, K. Nishii and T. Noumi, JHEP 02 (2025), 155.
[4] Q. Cai, T. Inada, M. Ishikawa, K. Nishii and T. Noumi, arXiv:2507.00850 (accepted by JHEP).

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