時空の特異点定理からブレーンワールド宇宙まで

C03班 研究代表者 白水徹也 (名古屋大学大学院多元数理科学研究科/素粒子宇宙起源研究所) 
2024年3月28日(ニュースレターより転載)

 本領域の主テーマである極限宇宙の謎の発端の一つはペンローズやホーキングの時空の特異点定理であるといっても過言ではありません。この定理によって時空には端が存在し、従来の物理法則が成り立たないことがわかります。そこで登場したのが、超ひも理論です。この理論において、特異点定理の仮定を破る、あるいは従来の考察が大幅な変更を受けることとなり、時空の端は当然のことながら、私たちの宇宙の姿に関する理解も大きく塗り替えられる可能性があります。驚くべきことにこの理論に従えば、私たちの宇宙は高次元時空を運動する薄膜のようなものであることを予言します。これがブレーンワールドと呼ばれる宇宙模型で、本領域のキーワードの一つです。

1. 特異点定理と極限宇宙

 まずは約60年前に発表されたペンローズの特異点定理からみてみましょう。幾分厳密性を欠きますが、
 1. 一般相対性理論が正しい
 2. 捕捉面が存在する
 3. 光のエネルギー密度が正
 4. 空間は無限に広がっている
 5. タイムマシーンが存在しない
という5つのもっともらしい仮定下で、時空は未来に特異点(時空の端)を持つことが証明されます。3~5の仮定は比較的自然であるので、1, 2の仮定に焦点を当てて確認しましょう。
 一般相対性理論は時間と空間を扱う物理の理論です。重力(万有引力)を時空の曲がり具合(幾何学)によって表現します。そして、その曲がり具合はアインシュタイン方程式を解くにことによって決まります。地球の赤道の異なる2点から北極に向かう人はだんだん近づいていきます。これは地球の表面が(ほぼ)球面で曲がっているからです。最初平行だった二人は北極で出会います。まるで引力で引き合うように。
 一般相対性理論はこれまでに数多くの興味深い予言を行い、検証されてきました。宇宙が膨張することとそこで織りなされる(軽い)元素の合成、銀河やダークマターから成る大規模構造。現在の加速膨張。アインシュタイン方程式のブラックホール解の発見と重力崩壊による形成過程。ブラックホールや中性子星の合体由来の重力波。一般相対性理論が正しいという仮定は十分にもっともらしいでしょう。
 次に捕捉面の存在について。まずはその定義を紹介しましょう。そのために、球面から放たれる光を想像してみましょう。日常の経験からは、電球から放たれた光を思い返すと、外に光は広がり、私たちの目に届きます。捕捉面はそこから放たれた光が外に進むものの、広がらないようなものとして定義されています。そんなことがあるでしょうか。実は、ブラックホールの内部には存在し得ることが知られています。従って、捕捉面の存在を仮定することは、ブラックホールが存在するほどに重力が強いことを意味します。
 捕捉面の存在は暗にブラックホールの存在を想定していることになりますので、この特異点定理はブラックホールの中の未来に時空の終わりとしての端があることを示します。これが極限宇宙の一つの「空間の極限」に対応します。ペンローズの特異点定理は直ちに当時大学院生だったホーキングによって宇宙全体に応用されました。これが極限宇宙の一つである「時間の極限」の存在を主張します。
 時空の端の外側に時空は存在しません。多くの場合、そこでは物質のエネルギー密度が発散する、あるいは時空が激しく歪んでいます。既存の物理法則は成り立ちません。この問題を解決してくれると期待されているのが、超ひも理論です。

2. 極限宇宙の世界

 超ひも理論の基本構成要素はひもです。また、10次元あるいは11次元時空で定式化されています。ひもには開いたひもと閉じたひもの2つがあります。ひもの振動の仕方によって様々な素粒子を表現することができます。ところが、ポルチンスキーが約30年前に開いたひもの端をよく調べてみると、何もないのではなく薄い膜が存在し、そこに開いたひもの端が張り付いていることに気が付きました。また、開いたひもは物質を、閉じたひもは重力を表すことが知られています。そうすると、自然に物質はブレーンに張り付いているという描像が生まれます。この世界観を宇宙全体に適用したものが、ブレーンワールドで、アルカニハメドらやランドールらによって約25年前に提案されました。私たちの宇宙は高次元を運動するブレーンであるというわけです。
 ブレーンは素粒子と同様に張力と呼ばれる質量のようなものを持ちます。そして、その重みによって高次元時空は高次元アインシュタイン方程式に従って曲がります。このブレーン上に私たちは住んでいます。このブレーン上の時空を支配する方程式があると何かと便利です。白水は前田と佐々木と一緒に約25年前にこの問題に取り組み、結果としてブレーン上ではアインシュタイン方程式からのずれが存在することがわかりました。ブレーン上の物質によるブレーンの配置の歪みからくるものと、高次元時空からの重力波からのものが加わります。これらのずれは極限宇宙への一つ目の扉の鍵となると期待しています。また、興味深いことに、これらのずれはホログラフィーとして解釈することが可能です。例えば、高次元時空にブラックホールが存在する場合、ブレーン上の宇宙ではまるで光の気体の類似物が宇宙に充満しているかのように宇宙の膨張速度が上昇します。それは物質として検知することはできません。

3. ブラックホール

 星の形は多様です。すべてのブラックホールがどのように形成されたか人類は理解していません。しかし、その一部は重たい星が核燃料を失った後に重力崩壊することで形成されると考えられています。形成直後はブラックホールも激しく変化するでしょう。しかし、時間経過とともに時間に依存しない定常状態に落ち着きます。現在観測されていますように、ブラックホール周辺には膠着円盤などの物質が存在しますが、ブラックホールの質量と比べると極めて軽く周辺の時空の構造に影響を与えるほどではありません。 形成後、十分時間を経た後には、周辺の主要な物質はブラックホールに吸い込まれ、ブラックホール周辺は真空かつ定常であると思って差し支えありません。なんと驚くべきことに、そのようなブラックホールは質量と角運動量によって決まるカー解で表されるブラックホール時空のみであることが数学的に証明されました。回転がない場合は質量だけで決まるシュバルツシルトブラックホールのみです。なお、これらは時空の次元が4の場合のお話です。では、高次元ではどうでしょうか?
 ブレーンワールドの登場に触発されて、高次元ブラックホール研究も大いに進みました。4次元とは大きくこ異なり、様々なブラックホール解が発見されました。特に5次元時空において、リング状のものから、ブラックホールとブラックリングが共存するブラック土星のような場合も。異なる回転軸をもつ2つのリングが共存するものはC03班の泉が大学院生のときに発見しました。たくさん解はあるのですが、自転が速いようなものは不安定であることが示唆され、数値シミュレーションでもいびつな形状に変化することがわかりました。一方、回転しない場合については4次元時空の場合と同様に解が唯一に定まることがギボンズ、井田、白水によって証明されました。
 ブラックホールの解が発見されてから100年後の現在ようやく本格的な観測が行われていることはニュースなどでよく知られていることと思います。しかし、本当にブラックホールはあるのでしょうか。また、そこに高次元の痕跡はみえるのでしょうか。素朴な疑問は尽きません。

4. ブラックホールから広がる世界

 ブラックホールは様々な話題を提供し続けています。ほとんどの銀河の中心に巨大ブラックホールは存在してそうです。今日ではブラックホール同士の合体から放出された重力波が数多く検出されています。ブラックホールの影の「直接撮像」も行われるようになりました。
 ブラックホールは一方通行ですから、太る一方です。これを反映してブラックホールの表面である事象の地平面の面積は時間とともに増大することがホーキングによって証明されています。その他の性質と合わせて、ブラックホールのエントロピーが事象の地平面の面積に比例するベッケンスタイン・ホーキング公式によって与えられることがわかりました。エントロピー増大則とも合致します。これはブラックホールの情報が、その表面に蓄えられていることを示唆します。通常の物体のエントロピーが体積に比例していることを考えると大変興味深いことが起きていることを意味します。実際にブラックホール表面の注意深い観察から高次元の重力理論と一つ次元の低い物質の理論の間に対応関係があることがマルダセナらによって前世紀終わりごろに指摘されました。さらにこの対応関係を土台に、ベッケンシュタイン・ホーキング公式の普通の物質への一般化が笠・高柳によって今世紀初頭に提案されました。私たちが住む空間を人為的にAとそれ以外のBという領域に分け、Aを観測しないことにしましょう。するとAはブラックホールの類似物とみなせます。ただし、AとBはミクロな世界を支配する量子的な相関はあります。このような場合に系Aの(量子もつれ)エントロピーにしばしば興味がわきます。笠と高柳は具体例を通して、一般的にそのエントロピーがAを囲む余剰次元方向に広がった面のうちで最小の面積に比例することに気がつきました。この発見後、量子情報との融合が急激に進むことになりました。その詳細は本領域「極限宇宙」から発信されるニュースをご覧ください。

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