E01班の研究概要

対称性と情報幾何に基づく量子重力・量子物性の探求

研究代表者:田島 裕康
電気通信大学 大学院情報理工学研究科 助教

近年、量子情報理論における最重要分野の一つであるリソース理論において、対称性が量子力学的過程にもたらす影響を包括的に解析する分野が急速に開拓されつつある。Resource theory of asymmetryと呼ばれるこの分野では、「対称性を守るダイナミクス」と、「対称性に対応する保存量に関する量子揺らぎ」を組み合わせることで、どのような量子過程が実現可能で、どのようなものが不可能かを判別することを目標としている。最近、私はこのresource theory of asymmetryの対象領域で成立する複数のトレードオフを発見した(PRL2018, QIP2020, PRL2021等)。現在、さらにそれを統一・拡張する試みを行い、ある程度まで成功している。本研究計画では、この統一構造をさらに深化・発展させつつ応用し、量子重力および物性理論において有用な定理を複数見出すことを目標としている。
現時点までに得られている成果として、対称性・不可逆性・量子性の間に普遍的に存在するトレードオフ構造があげられる。このトレードオフ構造が持つ物理的メッセージは以下二つである。1. 大域的対称性が存在する時、その対称性に対応する保存量を局所的に変化させようとする局所的ダイナミクスは不可逆性を生む。2. しかし、この不可逆性は、量子的なコヒーレンスによって和らげることが出来る。このトレードオフ関係は、量子測定・誤り訂正符号・量子計算ゲートの実装・量子熱力学・量子重力などへの、幅広い応用を持つ。例えば、測定への制限であるWigner-Araki-Yanase(WAY)定理、誤り訂正符号への制限であるEastin-Knill定理、ユニタリーゲート実装への制限であるunitary WAY定理などを、全て統一・拡張できる。また、量子重力への応用として、量子ブラックホールのqubitモデルであるHayden-Preskill(HP)モデルに適用することで、ブラックホールからの古典および量子的な情報脱出に対し、エネルギー保存則がどのように影響するかの一般的なバウンドを与える。例えば、mビットの古典情報の内、平均して何ビットが回復不能になるか、などを、HPモデルの範囲の中で厳密に議論することが可能になる。今後はこのような結果を、どんどん拡張・応用することを目指していく。

 

量子制御理論に基く量子多体系における物理的に自然なt-designの生成法の研究

研究代表者:尾張 正樹
静岡大学情報学部情報科学科・准教授

ランダムユニタリ変換は、量子情報処理における中心的な技法の一つである。初期の量子情報処理研究では、ユニタリ群上の正則不変測度であるHaar測度に基づくランダムユニタリ変換が用いられていた。しかし、Haar測度に基づくランダムユニタリ変換の実装には、量子ビット数に対して指数関数的に多い量子ゲートが必要であることが認識された。そのため、Haar測度を近似する測度であるユニタリt-designが、注目を浴びている。t-design に基づくランダムユニタリ変換は、様々な量子情報処理で必須であるのみならず、近年、量子カオス系を近似する手法や、環境系のマルコフ化を生じさせる手法としても重要であることが分かってきた。しかし、従来のt-designの生成プロトコルは、量子コンピュータ上で効率的に動作する多項式時間アルゴリズムとして設計されているため、量子多体系上で実装する事は困難である。そのため、本研究はマルコフ化などへの応用を念頭に、量子多体系において従来手法よりも物理的に自然なt-designの生成方法を発見することを目的とする。まず、量子制御理論の手法を応用することで、完全に制御可能な量子系において全体系のダイナミクスが必ずt-designとなるようなランダムな制御法が存在することを証明する。量子多体系では、制限された自由度にのみ外部からランダムな作用が加わるという状況を想定する事が自然である。そこで、上記で存在が証明されたランダム制御法を用いる事で、性質が良くわかっている1次元や2次元のスピン系において、小さな部分系へのランダムなユニタリ変換により、全体系のt-designが達成されることを示す。さらには、得られた新たなt-designの生成法の量子情報処理への応用を目指す。特にt-designの生成法を元にしてパラメトリック量子回路を作成することで、一部にのみアクセスすることで変分量子アルゴリズムが実行可能な新たな量子多体系デバイスの考案を目指す。

 

量子情報理論的手法による1次元テンソルネットワークの数理的解析

研究代表者:加藤 晃太郎
名古屋大学情報学研究科数理情報学専攻・助教

テンソルネットワークは、量子多体系の状態や演算子を少ないパラメータで効率よく記述する方法で、本領域においても量子多体系のダイナミクスやホログラフィー原理の解析において活躍しています。テンソルネットワークの利用は近年物理学の様々な領域に波及していますが、1次元ネットワークのような比較的シンプルな場合においても、基礎理論には未解明の部分が多々あるのが現状です。
本公募研究では、MPOと呼ばれる1次元テンソルネットワークが、どのような量子状態を記述できるかを明らかにします。1次元系の量子状態を表すテンソルネットワークには大きくMPSとMPOの2つが知られています(他にもMERAというものがありますがここでは割愛します)。このうち、MPSで効率よく表せる量子状態は、1次元系の低温状態(基底状態)と一致することが理論的に知られています。このことは、MPSが低温状態の記述に適しているということだけでなく、それ以外の状態を表現するのにMPSは適していない、というMPSの表現能力の限界をも示しています。それに対し、MPOは1次元系の高温状態を記述するのに適したテンソルネットワークです。しかし、MPOによって記述される状態には、こうした高温状態以外の状態も含まれることが知られており、いったいMPOにどこまでの量子状態が含まれるのかは明らかになっていません。テンソルネットワークの記述範囲の問題はMPSを除き具体的には分かっておらず、本公募研究ではその第一歩としてMPOを対象としてこの未解決問題に取り組みます。
また、本公募研究の対象とする1次元テンソルネットワークは、2次元スピン系の物理とも関係していることが指摘されています。2次元非臨界系の低温状態では、その物理的性質が系の境界の1次元系に反映されることが知られており、この境界の1次元状態がMPOによって記述されるためです。本公募研究の後半では、こうした2次元系と1次元系の「ホログラフィー」的対応にも取り組んでいく予定です。

 

NMRを用いた非平衡量子多体システム構築および量子情報制御

研究代表者:清水 康弘
名古屋大学大学院理学研究科・講師

核スピンと電子スピンの間には、超微細相互作用とよばれるMHz~GHzのエネルギースケールの微小な磁気的な相互作用がはたらく。そのため核スピンは、物性を担う電子の運動をひっそりと見守るだけであるが、超微細相互作用には電子構造や対称性に関わる極めて多くの情報が含まれている。私たちの研究グループでは、核磁気共鳴(NMR)を用いて、この超微細相互作用を紐解くことで、凝縮量子系の局所的な対称性の破れの形態や低エネルギー励起構造を調べている。対象としている物質は、古典的な相転移の枠組みに属さない、量子ホール効果や量子スピン液体などの巨視的な量子エンタングルメントを有する系である。これらは、誤り耐性量子演算において重要となる分数統計性のエニオンが素励起を担うと考えられ、その根拠を得るべく実験研究に取り組んでいる。近年、これまで2次元系でしか起こらないと考えられてきた量子ホール効果が、ディラック電子系とよばれる極めて移動度の高いバルク結晶において実現したことで、NMRによる磁性研究が可能となっている。実際、量子化されたディラック・フェルミオンの振る舞いを強磁場・極低温のNMR実験により観測している。一方、量子スピン液体は、電荷のない絶縁体であるが、スピン励起にギャップのある系では、量子ホール系同様の長距離量子エンタングルメントのトポロジカル秩序をもつ。これまでに、いくつかのフラストレート物質においてNMR測定から量子スピン液体を示唆する結果を得てきた。果たして、核スピンは電子系の量子もつれにどのように関与しうるのであろうか?本プロジェクトでは、これらの巨視的量子状態と核スピン系とが結合した非平衡量子系を創出することで、量子情報を読み解く新たな課題に挑む。

 

冷却リュードベリ原子を用いたグラフ状態の生成と測定型量子計算への応用

研究代表者:富田 隆文
分子科学研究所・特任助教

本研究では、量子誤り訂正や測定型量子計算のリソースとして重要な「グラフ状態」と呼ばれる多体エンタングルメント状態を、冷却リュードベリ原子が持つ相互作用を用いて、自然な時間発展により生成する実験を行う。
局所的に集光されたレーザー光を用いて冷却原子を1個1個個別にトラップし任意の配列に並べる「光ピンセット配列」と呼ばれる技術を用いて、量子ビット配列を構築することができる。また、原子をリュードベリ状態と呼ばれる高エネルギー状態に励起することで、原子間に長距離相互作用を誘起することができる。
本研究では、光ピンセット配列中に捕捉された冷却ルビジウム原子を、パルスレーザーによりリュードベリ状態へと励起し、原子間にイジング型長距離相互作用を誘起し時間発展をさせることで、原子配列に対して一斉に大規模なエンタングルメントを生成し、グラフ状態を作る。冷却原子実験では一般に連続波レーザーを用いるが、本研究ではパルスレーザーを用いて原子間相互作用の時間スケールと比較して短時間で励起することで、相互作用を無視し一斉にリュードベリ状態へ励起することができ、その後一斉に原子間の相互作用を誘起できる。これは、個々の量子ビットペアに対して2量子ビットゲートを実行し、順を追ってエンタングルメントを形成する従来の方式とは異なる。グラフ状態生成に最適なリュードベリ電子状態や状態操作、グラフ形状を明らかにする。個別にアドレス可能な1量子ビットゲート操作を実装し、生成した状態の忠実度を検証する。
加えて、周辺に存在する他の原子に対して影響を及ぼさない個別局所原子観測を実装し、生成したグラフ状態をリソースとした測定型量子計算への応用可能性を探る。

E02班の研究概要

量子もつれに基づいた強相関開放量子系でのトポロジカル物性の探索

研究代表者:吉田 恒也
京都大学大学院理学研究科・准教授

凝縮系では波動関数のトポロジカルに非自明な構造を持つ量子相の研究が急速に発展しており、系の詳細によらない特異な物性が明らかとなってきました。その典型例がトポロジカル絶縁体です。そこではバルクのトポロジカルな構造に起因して、摂動に対し安定なギャップレス状態が試料の境界に発現します。また最近では、非エルミート行列によって記述される非平衡開放量子系などのトポロジカルな物性が注目を集めています。そこでは、例外点や非エルミート表皮効果といった非エルミート性とトポロジーが絡み合った通常の系には見られない新奇な物性が数多く報告されています。本課題では極限宇宙という視点で開放量子系を系統的に解析することで、非エルミート性が本質的に効いた異常物性の探索やダイナミクスの解析を行います。
冷却原子系ではその高い制御性により散逸と強相関効果の両方を実験で導入可能となりつつあります。そこでは、強相関効果が本質的に効いた新奇な非エルミートトポロジカル現象が期待されます。本課題では特にこのような量子系を念頭にダイナミクスを解析することで、強相関効果と非エルミートトポロジーが絡み合った新奇物性の探索や、実験での観測にむけた提案を目指します。
また、本領域の他班の方々と協力しながら、極限宇宙という視点で研究を行うことで学際的な研究展開も目指します。

 

量子情報理論及び物性理論からの量子重力理論へのアプローチ

研究代表者:沼澤 宙朗
東京大学物性研究所・助教

一般相対論と量子力学は20世紀における物理学の大きな成果であるが、その融合である量子重力は未完の理論である。本研究では、量子重力を量子情報及び物性理論の立場から研究する。それを通じて量子力学と一般相対論がどのように統合されていくかを研究し、時空が量子系から創発するメカニズムを明らかにする。また、そのような無矛盾な量子重力から生じる低エネルギー有効理論が満たすべき制限を、量子情報及び物性理論の側面から研究し明らかにする。その上で、この記述が我々の時空や宇宙、素粒子に対してどのような予言を与えるかを解明していく。また物性理論における量子情報や、非平衡領域における相構造を解明し、それらの結果を量子重力の問題に応用していく。
具体的には、「[A]量子通信路と時空の関係および時間方向の創発」、「[B] 量子情報から導かれる量子重力の沼地条件」、「[C]物性における創発現象と量子情報、および量子重力への応用」を研究することで、上記の問題を解明する。
[A]では、SYK模型と呼ばれる強結合系の量子解放系ダイナミクスの研究から始め、超弦理論での実現をもつAdS/CFTにおける量子解放系ダイナミクスの理解へと繋げる。これにより、未だよく理解されていない時間の創発や非ユニタリーCFTの重力双対の理解を目指す。[B]では、量子重力のSwampland条件を量子情報やトポロジカル相の観点から理解することを目指す。Swamplandは量子重力が与える低エネルギー有効理論への制限であるが、ブラックホール熱力学による議論が用いられることが多い。本研究では、量子重力においてより根本的な条件である量子情報や量子エンタングルメントに基づく制限の導出や考察を行う。[C]では、物性系における創発ゲージ理論を量子情報的観点から調べることで、創発時空の性質の理解を目指す。創発ゲージ場は物性系においてよく現れるが、重力もゲージ場であるからこの点で類似性がある。本研究では創発ゲージ場を伴う系の量子情報量を調べることで、この類似性を通じて量子重力の理解を目指す。

 

テンソルネットワークの素粒子物理学への応用

研究代表者:武田 真滋
 金沢大学理工研究域・准教授

テンソルネットワーク(TN)法とは元々、物性物理学分野における量子多体系の問題を効率よく解くための変分法の一種として提案されたが、その後、様々な改良が加えられ、現在その応用は素粒子論、量子情報、量子化学など多くの分野へ広がっている。私自身は、TN法を素粒子論の理論的基礎である場の理論に応用する研究を行っている。特に、従来法であるモンテカルロ法では「符号問題」のために攻略することが難しい物理系にTN法を適用することで、これまで得ることができなかったダイナミクスを第一原理計算から取得することを目標としている。符号問題があるが興味深い例としては、有限バリオン数密度の量子色力学(QCD)、実時間経路積分、格子カイラルゲージ理論、超対称格子模型、トポロジー項が入った系などが挙げられるが、本研究ではトポロジー項が入ったCP(1)模型の相構造解析を行っている。この模型はQCDのトイモデルとして知られており、それを解析することでQCDの知見が得られると期待されているが、現在CP(1)模型の相構造自体の大局的な理解については混沌とした状況となっており、より洗練したTN法を用いることで最終決着をつけたいと考えている。
 TN法には符号問題がないという利点がある一方で、高次元系(3次元以上)に適用した場合その計算コストが激増してしまうという問題が残されており、現実世界は3+1次元であるため素粒子物理学においては不可避の問題である。この問題を解く鍵となるのが情報圧縮の方法である。例えば、環境効果や局所相関を取り入れたもの、あるいは確率的に主要な寄与を選び出す方法など様々なアイデアがこれまでに提案されている。本研究ではこのような知見を織り交ぜながら、高効率な高次元用粗視化アルゴリズムの開発を目指している。

 

くりこみ群に基づくテンソルネットワークにおける時空の創発の研究

研究代表者:土屋 麻人
静岡大学理学部物理学科・教授

時空の創発は量子重力理論の本質的な性質であると考えられる。そこでは、量子エンタングルメントが大きな役割を果たすことが認識されつつある。ゲージ重力対応は時空の創発を具現する典型的な例である。本研究は、ゲージ重力対応において、くりこみ群に基づいて連続的なテンソルネットワークを構成することにより、量子エンタングルメントによる時空の創発の機構を探究し、量子重力理論の構築へ向けて前進することを目的とする。
MERAやHaPPYコードやランダムテンソルネットワークなどのテンソルネットワーク模型におけるネットワークは、境界上の理論からエンタングルメントエントロピーを通じて創発した離散的な空間であると解釈されるため、これらの模型は時空の創発の研究において重要である。ここで、連続的な空間の創発を得るためには、連続的なテンソルネットワーク模型を構築する必要があると考えられる。
MERAの連続版であるcMERAは、自由場の理論の場合には変分法を用いて構成することができる。ゲージ重力対応の観点からは、強結合の相互作用がある場の理論について、cMERAを構成することが望まれるが、変分法によるアプローチは試行関数の選択の面から難しい。MERAにおけるネットワークの階層はくりこみ群のスケールと解釈され、これがバルクの方向に対応することから、cMERAの構成は波動汎関数のスケール依存性を得ることと等価であると考えられる。本研究では、くりこみ群に基づくcMERAの構成を追求する。特に、厳密くりこみ群とMERAの経路積分版とみなせるテンソルくりこみ群に着目する。
まず、波動汎関数に対する厳密くりこみ群を定式化することによって、非摂動論的に波動汎関数を解析することを可能にする。さらに、格子理論に対するテンソルくりこみ群の連続極限をとることにより、波動汎関数のスケール依存性を数値的に調べる手法も確立する。これらを用いて構成した連続的なテンソルネットワークにおいて、重力のダイナミクスを引き出すことにより、量子エンタングルメントによる時空の創発の機構を探究する。

 

インフレーション宇宙モデルにおける量子もつれ構造と情報スクランブリング

研究代表者:南部 保貞
名古屋大学大学院理学研究科・准教授

確率的インフレーションの方法は、加速膨張する宇宙におけるスカラー場(インフラトン場)
の短波長量子ゆらぎ(ハッブル地平線長さより短い成分)がc数の白色雑音とみなせることを用いて、長波長成分に対する確率微分方程式(ランジュバン方程式)を導出する取り扱いである。この方法を用いると、インフレーション宇宙の量子的発展は古典的なBrown粒子の運動と同じ形に表現できる。インフラトン場の長波長成分に対する確率微分方程式は、現象論的な考え方に基づいて導出されたものであるが(Aryal & Vilenkin 1987, Starobinsky 1988)、この方程式を用いて評価されるゆらぎの多点関数は、非線形相互作用がある場合にも場の理論を用いて得られる結果と一致することが知られている。よってこの方法はインフレーション宇宙における大域的な量子効果を有効的に取り入れたものになっていると考えられ、膨張宇宙における場の理論の赤外発散の問題と漸近対称性の観点からその正当性が議論されている。またインフラトン場の背景時空に対する反作用効果を簡単に取り入れることができるため、非ガウス的及び非線形な計量ゆらぎを取り扱うことが可能であり、原始ブラックホール形成のシナリオ提案等においても活用されている。インフラトン場をBrown粒子とみなす確率的描像に基づくと、大域的には加速膨張が永遠に終了しない状況が実現する(エターナル・インフレーション相)。この相の実現はインフラトン場のパラメータに依存しており、その値に応じて相が変わる構造となっている。古典的にはハッブル地平線スケールでは、宇宙は一様なフリードマン宇宙として表現することができ、それ以上の大スケールでは独立なフリードマン宇宙が空間的に貼り合わされている描像となる。確率的インフレーションの方法に基づいてインフレーション宇宙の大域的空間構造を考えると、各空間点ごとに膨張率の異なるフリードマン宇宙が貼り合わされたものとなり、大域的には非一様で複雑な時空構造が実現することとなる。
確率的インフレーションのモデルでは、量子効果としては短波長の量子ゆらぎによる状態変化の効果を取り入れている。しかしながら、ハッブル地平線以上の大スケール空間相関は手で落とす取り扱いとなっており、量子論の重要な性質である量子もつれの効果はモデルの中には取り入れられてない。量子もつれの効果を取り入れた場合に、量子的インフレーション宇宙の描像はどのようなものになるのであろうか?すなわちインフレーション宇宙に対する古典Brown粒子の描像はどのように変わるのか?また量子もつれの導入に伴い生じうる情報スクランブリングは、宇宙の保有しうる情報量の振る舞いにどのような影響を与えるのか?そして宇宙の古典化現象と関係があるのだろうか?以上の「問い」に対する手がかりをこの研究を通して得たい。

 

Jackiw-Teitelboim重力理論に立脚した量子重力理論の研究

研究代表者:吉田 健太郎
埼玉大学理工学研究科・准教授

わたしの主な研究分野は素粒子論における超弦理論です。超弦理論は自然界に存在する4つの力、電磁気力、弱い力、強い力、重力を統一的に記述できる究極理論の有力候補と考えられています。超弦理論の研究にはいろいろな研究テーマがありますが、わたしが興味を持って研究しているのは、ゲージ理論と重力(弦)理論の双対性(等価性)です。この双対性の雛型となる実現例は、Maldacenaという人によって提唱された反ド・ジッター(Anti-de Sitter, AdS)空間上における重力(弦)理論と共形対称性を持つ場の理論(Conformal Field Theory, CFT)の等価性です。この等価性はホログラフィー原理の実現例の一つですが、この原理がどのように発現するのか、その基礎的な機構は未だに解明されていません。
わたしは、この機構に対して、双対性の背後に存在する可積分構造に基づいた数理物理的な解析、弦のカオス的な運動や乱流的な振る舞い、ゲージ理論におけるカオス的な散乱などの観点から研究を進めています。本領域の主題である量子情報理論とこれらのテーマの関係について理解することは非常に重要な研究課題です。
わたしの公募研究の課題は、量子情報理論とホログラフィー原理の解明を目指して、Jackiw-Teitelboim重力理論と呼ばれる2次元重力にディラトンの結合したトイモデルを詳細に解析することです。ディラトンのポテンシャルにはいろいろな選択肢がありますが、わたしたちの先行研究によって、sinh型の場合にはLiouville重力理論というよく知られた理論と等価になることが分かりました。この研究を推し進めることで、量子情報理論との関係、量子重力理論における基礎的な自由度の解明の糸口を探りたいと考えています。

 

重力の量子性の検証に向けた懸架型光学機械振動子の精密理論模型の構築

研究代表者:山本 一博
九州大学大学院理学研究院物理学部門・教授

宇宙論や曲がった時空上の場の量子論の理論研究を行なっています。数年前に量子力学のテキスト執筆の手伝いを行ったことをきっかけに、量子力学の基礎論や量子情報理論といったテーマにも興味を持つようになり、現在は重力の量子力学的性質の検証に関わるテーマを中心に研究をしています。「重力が量子力学の枠組みに従うかどうか」という問いを改めて見直すこのテーマは、古くはファインマンやペンローズの奥深い考察の歴史があり、最近の量子情報や量子技術の発展とも関連する非常に興味深いテーマと感じています。重力相互作用が作り出す量子もつれが関心事の一つですが、それが持つ量子重力理論への意義や、それを実験で検証できるかどうかを明らかにするための理論研究も行なっています。量子力学系がどのように重力相互作用をするのかといった点に着目しますが、重力は非常に弱いので、なるべく質量の大きな物体の量子状態を実現する必要があります。そのようなマクロな物体の量子状態を実現するためにオプトメカ系は重要な役割をすると考えています。オプトメカ系とは、光学キャビティの一端を鏡振動子とし、キャビティ光と相互作用させる力学系です。それらを組み合わせてマイケルソン干渉計とした装置は重力波検出の原理となっており、関連する研究や技術が発展しています。計画した公募研究では、将来の重力の量子力学的性質の検証とマクロな物体の量子状態の理論予言を目的として、ビーム模型と呼ばれる懸架型鏡振動子のオプトメカ系の理論模型の構築を行なっています。ビーム模型に基づいてオプトメカ鏡振動子の振動ノイズと散逸の特徴、光学系のフィードバック制御による量子制御を行った場合の量子状態の理論予言を行う計画です。

 

量子情報で繋ぐブラックホールのミクロ・マクロ描像の研究

研究代表者:玉岡 幸太郎
日本大学文理学部物理学科・助教

本研究の目標は、ブラックホールおよびワームホールの量子論的 (ミクロな) 側面を、ホログラフィー原理と量子情報理論の観点から理解することです。
宇宙空間の極限的な状況であるブラックホールは、今現在まで「量子重力理論」を理解する上での試金石の役割を果たしてきています。特に近年、ブラックホールの内側と外側の世界を“つなぐ”ワームホールが発見され、有名な「ブラックホールの情報喪失問題」の解決へ向けて大きな進展がありました。この進展は主に半古典的な描像 (マクロな視点) に基づく理解で、量子論的な描像 (ミクロな視点) に戻ると、依然として不明瞭な点・問題点が存在することが指摘されています。
私は「ブラックホールや付随するワームホールがどのようなミクロ構造を持っているか?」や 「ミクロな視点とマクロな視点の関係を補完する方法はないか?」を明らかにすることで、このような量子重力の重要な問題の理解を進めることができると期待しています。直接的にはB班の研究テーマと関連が深い内容です。
より具体的には、「(1) ワームホールを記述する量子状態(の候補)たちのミクロ/マクロな性質を、量子情報量の観点から明らかにすること」、「 (2) 巨視的ワームホールを微視的なモノへ“分解”する量子操作とその影響を明らかにすること」を目標として現在研究を行っています。興味深いことに、これらのテーマはC班やD班の研究テーマとも深い関わりがあり、この極限宇宙のコラボレーションで新しい研究の方向性を探っていきたいと考えています。また、「(3) ミクロなワームホールの存在が宇宙の対称性などの物理へどのような示唆を与えるか」についても取り組んでいきたいと考えています。

 

量子フラストレート磁性体におけるエンタングルメントウィットネス

研究代表者:下川 統久朗
沖縄科学技術大学院大学 量子理論ユニット スタッフサイエンティスト

量子もつれの概念は近年非常に大きな注目を集めている。特にentanglement entropy (EE)を用いた理論的研究が盛んに行われた結果、量子スピン液体やトポロジカル秩序などといった量子系に現れる特異な状態を理解する上で、またはテンソルネットワーク法などの新しい数値計算手法の開発を進める上でも量子もつれの概念は本質的に重要であることが明らかにされている。一方で冷却原子系や光学系などの少数系における例を除いてEEを実験的に直接測定することは非常に困難であることも知られている。そこで本研究ではone tangle, concurrence, quantum Fisher informationなどの所謂entanglement monotones (EMs)と呼ばれる量子もつれ測度に着目する。これらは磁性体分野では馴染み深いスピン間の相関関数や動的構造因子で書き下すことが可能であることから中性子散乱実験などとも親和性が高く、エンタングルメントの目撃者 (witness)となりうることで知られている[1-4]本研究では量子スピン液体状態やランダムシングレット状態などと言った、極低温でも磁気秩序が見られないが故にこれらの状態を特徴づけるポジティブな実験的証拠を捉えることが難しい量子状態を研究対象とする。これらの特異な量子状態が上記のEMsによって特徴づけられるかどうかを数値的に明らかにすることで、候補物質におけるこれら量子状態の実験的検出法や制御法に繋がる理論的指針を構築することを目指す。
[1] L. Amico et al, Phys. Rev. A 69, 022304 (2004).
[2] W. K. Wootters, Phys. Rev. Lett. 80, 2245 (1998).
[3] P. Hauke et al, Nat. Phys. 12, 778 (2016).
[4] P. Laurell, et al, Phys. Rev. Lett. 127, 037201 (2021).

 

孤立量子系の非エルゴード性に由来する新奇量子多体現象の研究

研究代表者:國見 昌哉
東京理科大学 理学部第一部物理学科 助教

本公募研究では孤立量子系の熱平衡化に関する問題に取り組む。近年の量子技術の進展により、冷却原子気体、Rydberg原子、イオントラップ、超伝導量子ビット系などのほとんど孤立した量子系が実験できるようになった。それに伴い孤立多体系を十分時間発展させた後、熱平衡状態になるのかという点を実験的に調べられるようになった。実際に多くの研究がなされ、固有状態熱化仮説(ETH)を系が満たすと熱平衡化することがわかった。ただし、ETHを実際に系が満たすかという数学的証明はまだなく、未解決問題となっている。一方でETHを満たさない非エルゴード系と呼ばれる系も存在することが知られている。典型例は可積分系やAnderson局在、多体局在を起こす系であるが、最近理論的にも実験的にも新しいタイプの非エルゴード系が見つかった。例えば、quantum many-body scar状態と呼ばれる特別な固有状態を持つ系や、Hilbert space fragmentationというある種のkinetic constraintを有し、その結果熱平衡化が妨げられているような系がある。本公募研究ではこれらの発見に触発され、非エルゴード性に由来した新しい量子多体現象の発見、探索を行う。特に、Hilbert space fragmentationを先行研究とは異なり運動量空間で考える。素朴に考えると、Hilbert space fragmentationを運動量空間で起こすと、永久流状態が出現することが期待できる。本研究では運動量空間のHSFに誘起された永久流状態の性質の研究や、新奇非平衡量子多体現象の発見、新しい非エルゴード機構の発見を目指す。また、ここで得た研究成果を実験で実装するためのスキームの開発、提案を行う予定である。

 

次世代観測で探る原始ブラックホールの蒸発における量子性の理論的研究

研究代表者:郡 和範
高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所・准教授

宇宙初期におこったとされるインフレーションは大スケールで約10万分の1の大きさの曲率(密度)ゆらぎを量子的に作りました。また、同時に宇宙重力波背景放射も生成します。これまでのCMBの観測により曲率ゆらぎに起因する温度ゆらぎが発見されたように今後は重力波に起因するB-mode偏光を観測しインフレーションを検証することが期待されています。最近そうした宇宙初期から存在する重力波を観測した可能性があるというニュースが報じられました。NANOGrav共同実験が複数のパルサーが周期的に出す電波のシグナルの相関を12年半の間観測したところナノヘルツ帯の電波に有意な変調を観測したというものです。もし背景重力波が存在するなら時空を伸び縮みさせるため、その正確なパルサーの電波の周期を変更してしまうのです。今回の観測値は宇宙初期のインフレーションが直接つくる重力波に比べて7桁以上も大きいものでした。一方、観測的に許されるインフレーションが作る小さなスケールの曲率(密度)ゆらぎδが大きかった場合(例えばδ~0.3)、2次的な非線形効果を通して小スケールに極めて多くの重力波が作られる可能性があります。我々は論文(Kohri and Terada, arXiv:2009.11853)において、この2次的重力波背景放射により観測が説明できることを指摘しました。さらに上記の大きな密度ゆらぎは宇宙初期につぶれて太陽質量程度のブラックホールになることが予想されます。このブラックホールは天体起源のものと区別して原始ブラックホールと呼ばれます。この説を検証するための方法にも実は重力波が用いられます。それら原始ブラックホールが宇宙初期に連星を形成し現在合体しつつあります。その時に発する重力波を近い将来LIGO-Virgo-Indigo-KAGRA共同実験が連携して見つける可能性があるのです。将来の重力波実験を用いて初期宇宙のインフレーションを検証し原始ブラックホールを発見する日がまもなく来ると期待されます。